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「やはり黒猫ちゃんが気になりますか?」
ブスケ領に着いた翌日、レオニー様から街歩きに誘われた。ロジェも伴い街へと出かけると、未だ沈んだ表情をしていたのか、レオニー様は眉を下げて心配そうに私の顔を覗き込みながら声を掛けられた。
確かにクロのことは心配だ。
学園に行っている間は家で留守番していたにしろ、こんなにも離れたことは無い。
だが周囲には心配かけないようにと、気にしていない素振りをしていたが、レオニー様には気付かれていたようだ。
それにしても……黒猫ちゃん、か。
やはり従姉妹だからか、クロの呼び方もテオドール様と似ている。
そんな風にレオニー様の涼やかな顔立ちを見ながらふと考える。
すると、昨日はクロがいなくなってしまって動揺していた為に気が付かなかったが、レオニー様の言葉に疑問が浮かぶ。
「レオニー様は、精霊が……」
「えぇ、見えますよ。火の中位精霊とも契約しています」
「中位精霊とは、とても強い魔力をお持ちなのですね」
ここ数日のレオニー様の発言、視線からきっと精霊が見えるのだろうとは思っていたが、まさか中位精霊と契約する程の魔力の持ち主とは知らなかった。
あまりに驚いた顔をしていたのか目を丸くする私を見て、レオニー様は楽しそうに目を細めると、クツクツと笑いながら肩を揺らせた。
「なぜ魔術師団でなく騎士団なのか、とお思いでしょう?」
「それは、その……少し」
「魔術師団からの誘いもありましたがね。僕は幼い時から、強い騎士になりたかったのですよ。自分の命を懸けても守るべき主君を持つ、そんな騎士に」
レオニー様の決意を込めた力強い目線は、意志の強さを感じる。
「まぁ、その辺りは僕の家は皆騎士ですからね。両親が後押ししてくれて、今の道があると思っています」
「そうなのですね。素敵なご家族ですね」
「あとは、そうだな。母がカミュ侯爵家の出ですからね。テオドール含めて魔術師の変人ぶりは嫌というほど見てきたので、魔術師は無いな、と思ったのも事実ですけど」
レオニー様の軽やかな物言いに、思わずクスリと笑みが漏れる。
レオニー様は話がとても上手く、人を引き付けて楽しませることに長けていると思う。そんなレオニー様に、昨日から沈んでいた自分の心も少しずつ前向きに変わってくるように思う。
そうなると、今度は徐々に周りを気にする余裕が出てくる。
「ところで、ブスケ領はこんなにも賑やかな地なのですね」
住むのには厳しい地だと聞いていたが、私が今通ってきたこの町中はとても色鮮やかな花が沢山飾られており、華やかな雰囲気がある。
多くの人たちで賑わった街中は、明るい笑顔で溢れており、子供たちの笑い声や屋台からの呼び込みの声など、楽しげな声が沢山聞こえてくる。
周囲を興味深く眺めていると、小さな男の子と女の子がやって来て「お姉ちゃん。はい、どうぞ」と可愛らしいピンクの花を差し出してくれた。
子供たちと視線を合わせるように少ししゃがみながら「ありがとう」と受け取ると、二人の子供たちは「お兄ちゃんたちもどうぞ」とロジェとレオニー様にもそれぞれ花を渡していた。
ロジェはいつものキリっとした顔つきを少し和らげると、子供たちに「ありがとな」と感謝の言葉を告げながら頭を撫でている。
子供たちは満足そうにニッコリと笑い私たちに手を振る。その姿がとても微笑ましく、つい頬が緩み私もまた手を振り返す。
子供たちが離れていく後姿を眺めていると、その子たちはまた別の人にも同じように花を差し出している。
「何の花でしょうか?」
「あぁ、あの子供たちは花配りの子たちですよ」
花配り?
初めて聞く言葉に首を傾げて、もう一度貰った花を見る。
ブスケ領では花を子供たちが配る風習でもあるのだろうか。
不思議に思っていると、レオニー様が同じように貰った花へと視線を下げた後、周囲を見渡しながら口を開く。
「今日から三日間は、このブスケ領の年に一度の大きな祭りなのですよ。雪深くなるこの地が、穏やかに冬を越せるようと精霊に願うお祭りです」
「お祭り、ですか。知りませんでした。……あっ、もしかして。だから昨日から三日という日程だったのですか?」
「ははっ、バレてしまいましたか」
「ロジェは知っていたの?」
「はい、警護の関係上。ただ、想像以上に賑やかで驚いていますが」
それはそうか、と思う。
お祭りとなると人が通常よりも多くなる分、警護はより厳しく注意しなければいけないだろう。
もしかしたらレオニー様は、昨日のうちに話してくれようとしたのかもしれない。
だがクロのことで気がそぞろであった為、あえて今日ここに連れてきてくれることで、明るい気持ちにさせてくれたのかもしれない。
感謝を伝えたいが、きっとそれをレオニー様は望んでいないようにも思う。
自然に気持ちが上向くのを、待っていてくれたのかもしれない。
そんなレオニー様へ心の中で感謝の言葉を伝えながら、口角を上げてにっこりと微笑む。
「このお花には何か意味があるのですか?」
「毎年地元の子供たちが、祭りに来た人たちに花を配り、それを湖に浮かべるのですよ。
意味としては、無事皆で春を迎えられますように、という願いを精霊に届けるためだそうです」
「まぁ、素敵ですね」
「えぇ、後で湖畔にも行きましょうか」
レオニー様の申し出に、「ぜひお願いします」と頷きながら返すと、レオニー様は嬉しそうに目を細めた。
子供に貰った花を顔に近づけると、朝摘んだばかりなのか、とても瑞々しくほのかに香る花の香が優しい気持ちにさせてくれる。
この地に来るまで、私は知らなかったのだ。この地の人たちがどのような生活をしているのか。
シャントルイユ修道院がある場所。
雪山に囲まれた寒さ厳しい地。
そんな表面上しか見えていなかった。
だが今日この場に来て感じたのは、ここの民たちが如何にこのブスケ領を愛し、大切にしているかということ。
心の底から、この地に来ることが出来て良かった。そう思う。
自分の甘さや恐怖心を見つめ直す事が出来たし、何より私に不足している、知識ではない実際のこの国を見るという事。それが出来たのだ。
それに魔力の件だって、今はまだ取り戻す手がかりやきっかけを掴むことは出来ていない。それでもまだ諦めるつもりはない。
唯一の可能性である森に関しては、ブスケ領からの帰路で、森を探索する時間を設けている。
きっとクロもいるだろうし、何よりもあの神秘的な森。
一度あの場所で私は死んだというのに、それでも心が和らぎほっとする場所であった。
あの場所には、何かある。
もしかすると希望でそう思うのかもしれないが、それでも望みは捨てきれない。
全ての可能性がゼロになるまでは、諦めるつもりは無い。
一人、心の中でそう考えていると「さぁ、行きましょうか」と声を掛けられ、その声に「はい」と返事をして、また歩き始める。
その後、地元の人たちと一緒に橋の上から花を投げ入れたり、屋台で食べ歩きをしたり。
初めての経験に心が浮き立ち、何度も声を上げて笑ったように思う。
だからこそ、陽が傾き始めた事にも気が付かずに歩き続けた気がする。
「そろそろ、宿に戻りましょうか」
そんなレオニー様の言葉に、頷きはしたがそれでも寂しさを感じる程であった。
行きの道中では考えられないほど、楽しんでいる自分が、自分でも信じられない。
「馬車はこの先です。まだ歩けますか?」
「えぇ、大丈夫よ」
ロジェが先頭に立ち道案内をしてくれ、その後ろに私、そしてレオニー様が並んで歩く。
するとその時。
私の歩幅に合わせて進んでいたロジェの足が急に止まる。
どうしたのだろうかと思い、隣にいるレオニー様へと視線を向けると、レオニー様もまた足を止めて、薄暗くて視界の悪い路地の一か所を険しい顔で見つめている。
「誰だ!」
ロジェの大きな声に思わずビクッと肩が跳ねる。
声を上げたロジェは剣をいつでも抜けるようにであろうか、左手を腰に添えている。
レオニー様は私のすぐ前へと出たため、私の視界いっぱいにレオニー様の背中が広がった。
ピリッとした緊張感高まる空気に、私の顔も強張る。
だが、私が勝手な動きをすれば護衛の二人が一番困るだろうことは分かりきっている為、二人の指示ですぐに動けるように耳を澄ませ、周囲音や空気感に神経を研ぎ澄ませる。
その時、路地からジャリ、と砂利を踏むような音がし、ロジェとレオニー様から更にピリッと張り詰めた空気が放たれる。
徐々にドクンドクンと心拍が早まり、緊張からか手が冷えてくるのを感じる。
誰かいる?
何? 何が起きているの?
目の前にロジェ、そしてレオニー様がいるため、姿は見えない。
それでも、路地からゆっくりとこちらに近づいてくる足音に、私の心臓は更に早まっていく。
だが、そんな空気にそぐわない鈴を転がすような声が前方から聞こえ、ハッと顔を上げる。
「お久しぶりね。あなたに会いにきたのよ、ラシェル・マルセル」
レオニー様の背中の横からその声の主の方へと視線を向ける。
そこには、この場にいる筈の無い人物。
シャントルイユ修道院にいる筈のカトリーナ・ヒギンズが目の前にいた。
彼女はその手に、柔らかく穏やかな微笑みに似合わない、陽に反射してキラリと怪しげに光る短剣を握りしめていた。
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
カトリーナが久々登場ということで、カトリーナの取り巻きの双子をメインにしたスピンオフ作品を投稿始めました。ぜひお読みいただけると嬉しいです。
タイトルは「悪役令嬢の取り巻きは、転生姉と隣国で幸せを掴みます」となります。
目次のタイトル上の「逆行した~」からシリーズが見る事が出来ます。





