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「ここは普段、兄夫婦が管理しています。
なので、何か分からない事や頼みたい用事などは、僕を通していただいても良いですし、兄たちに言付けていただいても構いません」
「何から何まで本当にありがとうございます。お世話になります」
「とんでもないことでございます。では、こちらが客室でございます。ここを自由にお使いください」
ミリシエ領主館へと着くと、まずこの館を管理しているミリシエ伯爵家の次男夫妻を紹介していただいた。穏やかそうな二人で、ここまでの道中を労っていただき、今日は疲れているだろうからと明日の晩に改めて歓迎の夕食会を開くことを提案された。
私としても、今日ゆっくりと休める事は有難く、その心遣いにとても感謝した。
そして、次に館内を簡単にレオニー様から案内され、最後に着いたのは豪華な客室であった。
屋敷の中でも、窓から庭園を一望できる位置にある部屋は、部屋の広さからいっても客室の中で一番いい部屋を準備してくれた事が分かる。
「このように素晴らしい部屋を用意していただきまして、ありがとうございます」
「ラシェル嬢のお心が休まれるようであれば、我がミリシエ家一同嬉しく思います」
胸に手を置きながら涼し気な微笑みで頭を下げるレオニー様は、本当に貴公子のようで、薔薇の花が満開に咲き誇ったかのような気品と色気を感じさせる。
そしてレオニー様は、「では、また後程」と綺麗な笑みを浮かべて踵を返したその時、何かを思い出したかのように、またこちらを振り返る。
「どうかされました?」
「ラシェル嬢が我が家にいることで舞い上がってしまったせいで、すっかりと大事なことを忘れていました」
不思議に思い首を傾げて尋ねた私に対して、レオニー様はいつもと同じ余裕のある笑みを浮かべた。
そして、レオニー様はそのまま部屋のクローゼットへと向かうと、その扉を開けて見せてくれる。
そこには、既に数着のドレスやワンピースが綺麗に掛けられていた。
「あら、このドレスは?
私が持ってきたものは、まだ荷解きが済んでいないはずですが……」
「これが殿下からの届け物の一部ですよ。ちなみに、そちらの棚にも他の贈り物と手紙が届けられています」
「殿下が、私に?」
殿下からの贈り物と聞き、クローゼット内の服をひとつひとつ確認する様に手に取る。
街歩き用の物は、簡素に見えて生地がしっかりとしている。首元までしっかりとボタンやリボンで止められるようになっているが、動きやすさもありそうだ。
ドレスも、以前デビュタントで贈っていただいた物と同様に、レースで首元や手首まで覆われている。
贈って頂いた品々をよく見ると、その全てにどこか一貫性がある。
シンプルだけど、細かいレースや刺繍といった部分が丁寧に施されていて、華やかさがある。
普段あまり選ばないような色も含まれているが、不思議と肌や髪色ともしっくりきて、自分で選んだもの以上に私らしい服装のようにも思える。
そしてもう一つ。
これはあくまでも可能性の話ではある。
だが、もしかしたら殿下は、あまり肌が見えない装いが好みなのかもしれない。
というのも、ここに並ぶドレス類は全て肌があまり出ないものであるからだ。
だとしたら、時間が遡る前。
私はよく、周囲から勧められるままに肩や腕、そして胸元が開いたドレスを好んで着ていたのだ。
以前の殿下はそんな私に、社交辞令のように微笑みながら褒めてくれてはいたが、きっと殿下の好みとは違った筈だ。
そう思うと何と独りよがりだったのだろうかと、今思い出しても過去の自分を恥ずかしく感じてしまう。
私の脇で、同じようにクローゼット内を眺めていたレオニー様の視線を感じ振り向くと、レオニー様にしては珍しく、その表情が僅かに引き攣っているように見える。
「……マーキングですかね。ネックレスだけでは飽き足らず、離れている間も自分が贈ったものを身に着けさせたいとは」
「え? マーキング?」
「いえ、何でも。ラシェル嬢は殿下にとても愛されているのだと実感しまして」
「そんな……」
「ははっ、赤くなったラシェル嬢もまた可愛らしい。でも、そんな顔を僕に見せたと殿下に知られたら、殿下はどんな顔をするのか。それも楽しそうですね」
誰かから見て、殿下が私を想ってくれているように見える。
それは、何処か気恥ずかしさもあるが、嬉しさも強い。
自然と赤らむ頬を両手で包むように隠すと、レオニー様は楽しそうに目を細めた。
そして、レオニー様は「もう少し眺めますか?」と私に尋ね、それに私が頷くと「では、クローゼットはそのままにしておきますね」と一度閉めかけた扉をもう一度開けた。
お礼の言葉を伝える私ににっこりと微笑みで返してくれたレオニー様は、そのまま入り口の扉まで歩くと、こちらを振り返り一礼する。
「では、また夕食の時に声を掛けますね」
「えぇ、ありがとうございます」
レオニー様が部屋を去った後、もう一度ゆっくりと殿下からの贈り物に目を通す。
ネックレスだけではなく、こんなにも沢山の贈り物をしてくださっていたとは。
私も何か殿下に贈り物をしておけば良かったのかもしれない。そうすれば、今の私のように、殿下にも私を思い出すきっかけになってくれたかもしれないのに。
殿下の贈り物の中には他にも、目くらましの魔石や、一時的な電撃を与える魔石など、取り扱いに注意が必要となる貴重なものが含まれていた。
これらは、きっと今回の旅で危険な事態にすぐに対処出来るように、という事であろう。
使わないに越したことは無いが、それでも準備があるだけで心強い気もする。
そして何よりも殿下からの手紙。
私の無事を案じてくれ、この旅での成果を祈ってくれている旨が綴られている。
更に、《私の心は常にラシェルと一緒にある。だから、気負い過ぎないで良いよ。折角の機会なのだから、沢山のものを見て、食べて、経験しておいで。その上で、ラシェルの言葉でその経験を私に教えてほしい》とある。
殿下のこの手紙を読むまで、確かに私の肩はどこか力が入っていたのだろう。
魔力を取り戻すきっかけを何か一つでもいい。見つけ出さなければいけない、と気を張っていた。
殿下は、そんな私の心情などお見通しだったのだろう。
だからこそ、この機会にこの地でしか出来ない経験を、と伝えてくれたのだ。
確かに、時を遡った理由や失われた魔力の謎を解き明かすのは大事なことだし、その為にここまでやってきた。
と同時に、自分の視野を広げたいと願ったのも本当の事。
それを忘れてはいけない。
折角、両親や殿下が送り出してくれたのだから、沢山の経験をして、王都では出来ない体験をしていこう。
ここにきて、もう一度前を向くきっかけになった殿下に心の中で感謝を告げる。
そして、最後に殿下の手で書かれた文字を、大切に指でなぞる。
《ラシェル、君の帰りを待っているよ。
誰よりも君に恋焦がれる男より》
一字一字を宝物のように触れて、想う。
殿下は、どんな表情で書いてくれたのだろう。
どんな気持ちで書き綴ったのだろう。
殿下を思い浮かべるだけで、愛おしさが溢れ出そうだ。
殿下からの手紙を優しく胸に抱き窓際まで歩くと、ここからは見える筈のない王宮を思い浮かべて、胸がギュっと締め付けられるような思いがする。
そして、彼にはこの声は届かない。そう分かっていながら、口を開く。
「殿下、私も貴方をお慕いしております」
そう小さく呟いた声は、誰にも聞かれる事なく消えていった。
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