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「ラシェル・マルセルです」
状況が掴めないものの、名乗り返すと、目の前の彼女は笑みを更に深めて嬉しそうに微笑んだ。
「いつまで手を握っているつもりだ」
「おや、気がつかなかった。これは失礼を」
「いえ⋯⋯」
いつの間にか私のすぐ隣にやってきた殿下は、私の腰に片手を添えて、もう片方の手で女性騎士の手をベリっと剥がした。
殿下に睨まれた彼女もあまり気にする様子もなく、色気を滲ませた微笑みを向けたまま、私にウィンクをする。
「止めろ」
「殿下は気が短いですね。いやー、噂通りで驚きました」
「⋯⋯はぁ。だから、ラシェルにお前を紹介したくなかったんだ」
騎士としては不思議と気安い雰囲気の殿下と彼女。
そして、目の前の女性騎士は騎士と言う仕事柄か、女性的な雰囲気をあまり感じさせない。
スラっとした長身や切れ長の目が特にそう思わせるのだろうか。
そういえば⋯⋯と思い出す。
大分前になるが、アボットさんから彼女の話題が出てきた覚えがある。
『レオニー・ミリシエ様にこの間お会いしたのよ。
まるで小説の王子様に会ったかのようで驚いたわ。
私の婚約者が言うには、夜会でもいつでも男装されているそうで、女性達の人気はそれはもう凄いものみたいよ』
確か、そう言っていたはずだ。
それを思い出して、また改めてもう一度彼女へと視線を向けると、中性的な顔立ちと落ち着いた声。
そしてどこかミステリアスな雰囲気。
⋯⋯確かに、華がある。
そう考えていると、隣で殿下が眉間に皺を寄せたまま、彼女の紹介を始めた。
「第三騎士団のミリシエだ。ミリシエ伯爵の次女だ」
「ぜひ、レオニーとお呼び下さい。ラシェル嬢」
「ミリシエだ!」
嫌々な雰囲気を隠しもせずに紹介する殿下とは対照的に、女性騎士はとても機嫌良さそうにニコニコと微笑む。
そして、殿下から発せられる冷たい視線も目に入らないかのように、受け流している事にまた驚く。
しかもミリシエ伯爵家の方であったとは。
確かにミリシエ家は優秀な武人を多く輩出する家であるし、もう嫁がれている長女以外は全員騎士だと聞く。
そうか、彼女が⋯⋯あの、有名なミリシエ伯爵家の。
伯爵家ではあるが、建国当初から続く家柄であり、王家の信頼も厚い。
「えっと⋯⋯ミリシエ様」
「ラシェル嬢、あなたの凛とした美しい声では、ぜひ名前の方でお呼びいただきたいのですが」
「いいか、ラシェル。こいつの言うことは聞き流していい。腕は第三騎士団の中でも片手で足りる程の実力は持っているが⋯⋯。
女を片っ端から口説く癖がある」
想像していたよりも、大分フレンドリーな方ではあるが。彼女が第三騎士団の次期副団長と目される方だったのね。
あれ、でもそういえば。
「ミリシエ伯爵家と言えば、カミュ侯爵家と⋯⋯」
「あぁ、よくご存知で。そうですよ、親戚です。
僕はテオドールの従姉妹にあたりますね」
⋯⋯あぁ。
どこか既視感を覚えたのは、テオドール様であったか。
不思議と初対面にしては、距離が近く、それが不快感を感じさせない。
しかも、一癖ありそうな方。
テオドール様の親戚だと言われると、納得してしまう。
「ラシェル嬢の噂もテオドールから聞いていますからね。マルセル領での護衛も立候補したのですが⋯⋯何故か選ばれなかったんですよね」
「わざわざ危険を増やす真似などする必要はないからな」
「ロジェより僕の方が腕は立つし、なにより女性同士の方が良いと思いますけどね」
「その同じ女性が、ロジェよりもたちが悪いから選ばなかったんだろう」
急に話題に出されたロジェは気まずそうに「いや、俺は⋯⋯」と口籠っている。
「綺麗な女性を褒めるのは当然ですからね。お近づきになりたいと思うのも自然でしょう?」
「もう二十五歳なのだから、身を固めろ」
「ははっ、嫁ぐ相手がいないんですよ。僕より圧倒的に強い相手じゃないと嫌だし」
第三騎士団で片手で足りる腕前⋯⋯それより圧倒的な強さを持つ独身男性は、一体何人いるだろうか。
少し想像するが、やはり考えるのは止めておこう、と考え殿下達のやり取りを曖昧な微笑みで眺める。
すると、レオニー様は殿下に向けていた視線を私へと向ける。
「だったら、ラシェル嬢のような美しい女性たちと遊ぶ方が楽しいでしょう?」
色気を含ませた流し目は、年頃の令嬢達を皆虜にするのも頷ける。
現に、今私も少しドキッとしてしまった。
だがすかさず、腰に回っていた殿下の腕にグッと力が入り、私の顎に殿下の反対の手が、優しく掴むように添えられる。
そして、クィッと私の顔の向きは殿下の方へと向けられる。
蒼い瞳は見つめられるだけで、私を捕まえて離さない。
「ラシェル、他の者に心を動かされるとは、感心しないな」
「動いてなど⋯⋯」
「ならいいが」
そう言った殿下は、瞳を柔らかく甘いものへと変化させる。
そんな私達の様子を目を丸くして見たレオニー様は、「ははっ、殿下が年相応に見えますね。いやー、若い」と楽しそうに笑う。
「まぁ、良い。これ以上続けても時間が勿体ない。
とりあえず、お前とラシェルを引き合わせたから、これで良いだろう。ほら、お前達は隣室に移動しろ」
「殿下、あまりにも雑ですよ。
ラシェル嬢が困っているじゃないですか」
「私! ⋯⋯ですか?」
レオニー様の言葉に、殿下は深い溜息を吐き、私の顔を見た。
何だろう?
今日、レオニー様と私を引き合わせる必要があった、という事らしいが、何故だろうか。
不思議に思い、殿下の言葉を待つと、殿下は横に何度か首を振り「仕方ない」と前置きした後。
「今度のブスケ領への護衛だが、ロジェとレオニーの二人を第三騎士団から付けようと考えている」
「第三騎士団からですか? いえ、でも⋯⋯大丈夫なのでしょうか」
確かに第三騎士団は王太子の管轄下ではある。
だが、私の護衛に第三騎士団の騎士を付けるというのは、陛下に知られたら良い顔をされないのではないだろうか。
あまりにも心配そうな顔をしていたのだろう、殿下は「大丈夫だよ」と私に向かって優しい微笑みを浮かべる。
「このレオニーはブスケ領の隣にあるミリシエ領の人間だからね。いくらでも誤魔化せる」
「そうですよ、安心してください。
僕は領地にも詳しいですから、自分で言うのも何ですが、これ以上の適任はいないですよ」
私がしたい事に、殿下や騎士の手を煩わせてしまうのは気が引ける。
だがそうと言っても、殿下は引かないだろう。
それに、何より心配してくれる殿下には申し訳ないが、だからと言って止めるわけにはいかない。
だからこそ安全に、そして納得する答えが見つかる旅になるように、殿下の優しさを受け取ろう。
「そうなのですね。
では改めましてレオニー様、ロジェ、よろしくお願いします」
「もちろん」
「はい。今度は危険な目には遭わせません」
ロジェは性格が滲み出た真面目な顔付きをすると、決意を固めた表情で膝を付いた。
マルセル領で迷惑をかけたのは私の方であるのに。
ロジェはこの半年、相当鍛え直しているようだ。
それは表情からも身体つきからも変化が窺える。
「では、殿下は待てが出来ないようなので、隣の部屋で待つとしますか」
レオニー様はそう言うと、ロジェに声を掛けた後に、隣室へと繋がる扉へと向かった。
そして扉の前でロジェと共にこちらへ礼をすると、若干扉を開けたまま、隣室へと入っていった。
二人が部屋から去ったのを見届けた後、殿下に席に着いて話をしようと提案する為、後ろを振り返ろうとする。
その時。
「ラシェル、ようやく二人だ」
隣にいる殿下から、甘く優しい声が聞こえた。
声を辿って、私より少し上にある殿下の顔に視線を向けると、殿下は目を細めて私を愛おしそうに見つめる。
その視線だけで、フラッと酔いしれそうになるが、私の腰に回っていた殿下の腕が、優しく包み込んでくれる。
「いつだって君に会いたくなるよ。
この間会った時から、もう何年も会えなかったような感覚さえある」
「私も⋯⋯私も殿下に会いたかったです」
素直になろうにも、どうしても殿下のように上手く言葉が紡げない。
頬が紅潮し、胸がドキドキする。
殿下を想う気持ちをもっと伝えたいのに、恥ずかしさから顔だって俯いてしまう。
それでも、私のそんな気持ちは殿下はお見通しなのかもしれない。
下から殿下をチラッと覗き見ると、殿下もまたいつもより赤みが差した頬に、くしゃりと嬉しそうに笑みを深めた。
まだ愛の言葉を伝えるのは、慣れない私だけど。
それでも、殿下。
あなたの笑顔を見るだけで、私はこんなにも幸せです。
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