73 アンナ視点
私の名前、アンナ・キャロル。
それは現世でのもの。
前世は、杏。
苗字はもう思い出すことは出来ないけど。
商店街の和菓子屋で生まれた私は、両親は仕事で忙しく、あまり何処かに出掛けた覚えもない。
それでも、私は寂しいなんて思った事はない。
両親はいつでも優しかったし、時間が限られている中でも、いつも私の話を嬉しそうに聞いてくれた。
沢山抱きしめてくれて、大切にされていることも実感していた。
それに何より、お隣のお豆腐屋さんの兄妹がいつも一緒にいてくれたからだ。
お互い両親が忙しい事もあり、両親と顔を合わすより、この兄妹と一緒にいる時間の方が長いくらいだ。
そんなお豆腐屋さんの子供は二人。
兄の誠くんは私よりも五歳年上。妹のメグちゃんは私と同い年。
誠くんは、見た目は目つきも悪くて、ガタイも大きくて、一般的にはお世辞にもカッコいいとは言えない。
でも誰よりも優しくて、動物にも好かれやすい。
それにとてもしっかり者で、忙しい親に変わって小学生の頃から家事の手伝いさえしていた。
周りの友達がゲームやサッカーで遊んでいる時、誠くんはいつだって私達のお守りをさせられていた。
不満だって多かっただろうに、私やメグちゃんにあたる事もなく、いつだって『今日は杏の好きなホットケーキ焼いてやるからな』と笑ってくれた。
私が寂しい時、泣くのを我慢している時、いつだって真っ先に気付いてくれて『杏、どうした?』と優しく聞いてくれるのだ。
そんな誠くんを好きになるのは自然な事で、保育園の時から『将来は誠くんのお嫁さんになる!』と言っていたらしい。
でもそんな私を、年上の誠くんはいつも困って笑うばかり。『杏は可愛いんだし、これからいくらだって良い人が現れるよ』なんて子供の冗談だと思って、はぐらかすばかり。
そんな誠くんの事をメグにいつも相談する。
学校も年齢も同じメグとは、何でも相談出来る大切な親友だ。
「まぁ、妹としか見られてないよね」
「メグ、そんなハッキリと言わなくても⋯⋯。そんな事は分かってるの」
「お兄ちゃん、杏が本気で好きだなんて思ってないよ。鈍感だし。
せいぜい兄代わりの自分に懐いてくれて嬉しいなーぐらいだと思う」
その答えは見当はついていたけど、誠くんの妹にハッキリ言われると落ち込む。
懐いてるって⋯⋯私ももう高校生なのに。
「もっと同級生とかにも目を向ければいいのに」
「⋯⋯誠くんよりカッコいいと思う人いない」
「あっそ」
やっぱり五歳の壁は厚い。
私がようやく高校生になったのに、誠くんはもう働き始めてしまった。
メグは『お兄ちゃんに限って彼女出来るはずない』なんて言うけど、こんな素敵な人を他の人が好きにならない筈がない。
最近は焦りから色んな事を試してみては、失敗に終わっている。
大人っぽい服装にしてみたら『それも似合うけど、いつもの杏が俺は好きかな』って言うし。
薄着で誠くんの前を彷徨いたら『風邪ひくぞ』って心配しながら、自分の着ていたパーカーを私に着せてくれたし。
クラスメイトに告白されたと言ってみたら『杏は可愛いからな』とはにかみながら笑ってくれた。
結果、更に私が誠くんにときめいて終わっただけだ。
誠くんへの好きが爆発しそう。
⋯⋯でも、手詰まり感が半端ない。
どうすれば意識してくれるのか分からない。
生まれた時から一緒という事は、誰よりも誠くんを知っているという事だけど、より意識され難いという事だ。
そうこうしている内に、知らない人を彼女だって紹介されたら⋯⋯。
考えるだけでとんでもないダメージ。
そんな私にメグが深い溜息を吐き、さっきまで遊んでいたゲーム機からソフトを取り出すと、ケースに仕舞う。
「じゃあさ、次はこの乙女ゲーで恋愛の勉強しなよ!次のは魔法ありの学園ものだよ」
「またー?この間借りたの終わってないよ」
「いいから、いいから」
そう言ってメグから押し付けられたのは、メグが昔から大好きな乙女ゲームと言うものだ。
いつもメグが終わったゲームを渡されたり、アプリを入れられたりして、それを私もやる。その後に語り合う、までがいつものセットだ。
「今度のはメインはこの王子様で、特にカッコいいんだけど、隠しキャラも⋯⋯」なんてメグはパッケージを指差しながら、がっつりネタバレし始める。
それをボーッと聞きながら、そもそもこれで本当に恋愛の勉強になっているのだろうか、と首を傾げる。
だが、今の私には手掛かりになるものは何でもやらなくては。
手詰まりの私は藁にも縋る思いで、勧められるまま乙女ゲームの攻略に勤む。
でも途中から、《これを誠くんに言われたら!》《このシチュエーションを誠くんと》なんて妄想して楽しむ技を覚えた。
それをメグに伝えたら、かなり引かれたが。
誠くんとの距離は一定のまま、それでも日常は過ぎていく。
時々、誠くんが休みの日に一緒に出掛けたり、ご飯を作ってくれたり⋯⋯そんな日々が私にとってかけがえの無い日常。
伝わらない想いは苦しくて。
でも側にいられる幸せは世界一で。
彼の笑顔だけで、私も頑張ろうって思える。
そんな、一生に一度の恋をしていた。
でも、ある日。
メグが部活の朝練で先に高校へと行った日。
たまたま誠くんとバッタリ家の前で会った。
「あれ、杏。おはよう」
「おはよう。誠くんも今から仕事?」
「そう。⋯⋯途中まで一緒に行くか?」
なんてラッキーな日なんだろう。
朝から誠くんに会えて、しかも一緒に行こうなんて誘ってもらえるなんて。
寒さの厳しい時期にも関わらず、私の心は浮き立つ。
隣の誠くんは、昨夜も仕事が遅かったのか欠伸を噛み殺している。
「仕事、忙しい?」
「まぁ、まだまだ見習いだからな。修行の身だよ」
ちゃんと寝られているだろうか、と心配になる。
だが誠くんは、周囲に心配を掛けるのを苦手とする人だ。ヤバっと困った様に眉を下げると、ニッコリと笑う。
「そういえば、杏はまたメグにゲーム押し付けられたんだって?」
「うん、でもあと少しで終わるよ」
「へぇ。どんなやつ?」
好きな人に乙女ゲームの説明をするなんて、と思わないでもない。だが、その点はメグのお兄さん。
乙女ゲームに理解があり、私が携帯で検索したサイトを見せると「あー、確かにメグがやってたな」と頷く。
「一応ここまで攻略終わって、後はメインヒーローとのエンディング」
「そっか、じゃあ終わったら感想教えてよ」
感想、かぁ。
誠くんは私が読んだ本や見た映画など、好きなものを語っている時、いつもニコニコと嬉しそうに聞いてくれる。
でも、これはそれとはちょっと違うし⋯⋯。
「乙女ゲーの話聞いて面白い?」
「杏の話を聞くのが面白いんだよ。杏の話なら何だって楽しいよ、俺は」
そう言って、頭を優しくポンポンっとしてくれる誠くんに、また頬が赤くなる。
それをバレるのは恥ずかしくて、首に巻いたマフラーに顔を埋める。
「じゃあ、気を付けて行けよ」
信号の前で立ち止まると、誠くんはニッコリ笑って私に向かって手を上げた。
⋯⋯もう着いちゃった。
駅へと向かう誠くんとはここまでしか一緒に行けない。そう分かっていても、やっぱり寂しい。
そんな私の気持ちなんて知らないかのように、誠くんは踵を返し、私に背を向けながら道を真っ直ぐに進み始める。
一つ溜め息を吐いて信号を確認すると、赤。
私はもう一度誠くんへと視線を向けると。
⋯⋯振り向け、振り向け。
振り向け!
そう想いを送る。
その念が通じたのか、誠くんが振り返る。
あ! 振り返った。
そう喜んだのも束の間。
こちらを見る誠くんの様子がおかしい。
驚きに染まった顔。
私の真後ろを指差す。
そしてこっちに向かって、持っていた鞄を放り投げながら必死に走ってくる。
え?
何?
全てがスローモーションの様に見えた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、私の視界いっぱいに大きなトラック。
私目掛けて猛スピードで迫り来る所であった。
「杏!」
唯一、その瞬間聞こえた音。
それは、私の好きな人の声。
私を呼ぶ声だけだった。
だがその直後に感じた事のない強い衝撃が襲う。
その瞬間、私の世界は消えた。
最後に誰かに腕を掴まれた気がするが、それは気のせいかもしれない。
⋯⋯私、死んだ?
暗闇の中、恐怖で必死に周囲を見渡す。
すると、光が見えた。
その光を目印に走って、走って、出口を探す。
だが、眩しい光に思わず目を瞑り、その後ゆっくりと開けると。
そこは見覚えの無い部屋だった。





