70 テオドール視点
「おかえり」
「⋯⋯あぁ、テオドール。夜に呼び出して悪かったな」
俺が掛けた魔術により光を纏いながら現れたルイに、ソファーに寝転んだまま声を掛ける。
ルイはそんな俺を気に留める様子もなく、何かを耐えるかのようにグッと奥歯を噛み締めているようだ。
そして目を瞑って一つゆっくりと深呼吸をした後に、視線をこちらに向けた。俺が掛けた言葉に答えると、眉を下げながら寂しそうに微笑む。
「こっちこそ悪かったな。ラシェル嬢と会うのに、十分しか時間をあげられなくて」
「いや、お前がいなかったらラシェルとは話せなかったから。感謝してもしきれないよ」
「⋯⋯そうか。なら良いけど」
寂しさを滲ませてはいるが、ラシェル嬢の所へ行く前に比べたら大分晴れやかな表情になったな。
⋯⋯俺がしてやれるのはこんな事ぐらいだし。
なんと言っても、俺が関わったせいで聖女が誕生したといっても過言ではない⋯⋯気がする。結果的に。
その聖女によって、婚約の継続が危ぶまれているんだからな。
召喚の儀の時から嫌な予感はしていたが、的中してしまうとは。
⋯⋯それにあの聖女。
ルイとラシェル嬢にあそこまで関わらなければ放っておいたが、どうもややこしい事になってるようだからな。
そう考えて、俺は今日の昼間に、大教会へ訪問した時の事を思い出す。
その時に聖女と会い、若干苛立ってる時に挨拶に来た神官⋯⋯。
まだ若そうだったが、真面目そうな感じの奴。
そいつがルイと繋がっているようだったな。
本人に聞いてみるか。
「そういや。大教会にスパイを送り込んだって?」
「人聞きの悪い。アロイスの友人が大教会勤めだから、キャロル嬢の周囲を色々教えて貰ってるだけだ」
「アロイス⋯⋯あぁ、あのマルセル領の神官」
マルセル領では一悶着のあった神官であるが、その後は思いの外ルイと密に連絡を取り合っているようだ。
それに今回は聖女絡みだ。
教会内に情報網を築くのは正しい事だろう。何しろ大教会は流石神官のエリート集団だけあって、俺でさえ知らない事が多い。
同じ神官、しかもワトー家出身のアロイスだからこそ、協力者を見つける事が出来たのだろう。
やはり恩を売っておいたルイは正解だったな。なんて一人納得していると、目の前のルイはジッと俺を見て口を開く。
「それで、テオドール。お前、聖女に会いに行ったんだってな」
「⋯⋯流石、情報が早いな。今日の今日だってのに」
鋭い目で俺に視線を向けるルイ。
その瞳には、危険物を見極めるかのような厳しさがある。
その瞳からは《知ってること、気付いたことは全て言え》と言葉にせずとも伝わってくる。
やれやれ、と微かに肩を竦めながらも、今日会った聖女について思い返す。
「⋯⋯あの聖女。精神面で不安定そうな、危険な感じがする」
「危険?」
「ルイさ、敵に回して怖い奴ってどんな奴だと思う?」
「⋯⋯実力の有る者、無慈悲になれる者、頭の切れる者、とかじゃないか」
それは確かに敵に回すと面倒な奴だな。
まぁ、この国のトップに立つであろう、しかもまだ十代のルイが考えるのはそういう相手だろうな。
だが、魔術師や騎士は敵と相対する事が少なくはない。そんな時にやっかいな奴。
「もう後がない奴。追い込まれた人間が俺は一番面倒だな。⋯⋯死をも恐れない、そんな奴は何をするか分からないからな」
「なるほどな。それで、それがどうした?」
ルイは納得したように一つ頷く。
こう言う時、自分と違う意見を言おうがルイは否定せず、耳を傾ける。
人の意見も自分が納得するものであれば柔軟に理解を示す。そんな所がルイの良い所でもあるな。
なんてしみじみ考えていると、目の前のルイは早く話を進めろ、と言わんばかりに視線を向けてくる。
⋯⋯せっかちな所は減点ポイントだな。
そう、それであの聖女の話だ。
「あの聖女、そんな目をしていたんだよな。周囲の人間全てが敵に見えている⋯⋯まるで戦場にいるかのような、そんな目」
俺の言葉にルイは目を見開き「戦場?」とポツリと呟いた。
「あまり計算する頭がある方ではなさそうだし、神官達の監視の目もあるから、何か出来るとは思わないけど⋯⋯」
「そうだろうな。それに、大教会に行ってからは大人しくしているらしいしな」
確かに神官からの印象は良さそうだったし、前に舞踏会や召喚の儀の時に会った時とは雰囲気が変わっていた。
だが。
これはルイには言えない事だが。
あの聖女に警戒心を強くしたのにはキッカケがある。
そのキッカケまでは、何処か小さな子供がお菓子が欲しくて駄々を捏ねている。ぐらいの子供っぽい奴だな、ぐらいしか思わなかった。
だがそれが、危険視するようになった理由。
それは。
彼女は俺しか知りえないことを知っていた。
記憶の奥深くに置いておいた自分にとって大事な思い出を。
しかもそれが、俺以外に知る人はいない、という所までを初めから知っていたようだ。
それを勝手に引き摺り出し、あまつさえ脅すような言葉を吐いた聖女。
『私と殿下が結婚出来るように協力してほしいの。協力してくれたら、この事はラシェルさんと殿下には秘密にしておいてあげる。
知られてギクシャクしたくないんでしょ?』
⋯⋯流石にこれは普段温厚な俺も少し怒ったけど。
結果、俺が聖女を脅す様な形になったのは、仕方が無い。⋯⋯とはいえ女子に対し申し訳なかったかな。
ルイぐらい冷徹であれば、そんな気にもしないだろうが。俺はそこまで冷たくもないからな。
ふと手の平に顎を乗せたまま、目の前のルイを眺める。
「本当にルイのその無慈悲さを少し分けてほしいよ」
深いため息を吐いた後に呟いた本音に、ルイは「いきなり失礼な奴だな」と怪訝そうに眉を顰めた。
「とにかく、あの聖女はどうにもお前に拘っている。まるで結婚さえ出来れば後はどうなっても良いとさえ見えるな」
「⋯⋯何故そこまで」
そこが、俺も分からない。
何故そこまでルイに拘るのか。
王家と結婚したいなら、第二王子だっている。
今年十五歳という、聖女と年が離れている訳でもない。ルイとは少し違うタイプだけど、見目も良い。
それに、王太子と結婚したいっていう野心溢れる感じでもない。
何しろ、こいつは今ラシェル嬢しか見えていない。その状況で結婚した所で、ただ恨まれるだけだし。
しかも聖女と会話をしてる時に思ったことだが、ルイの事が好きだと言うオーラを全く感じなかった。
それどころか誰に対しても興味なし、と言う感じだったな。
⋯⋯本当にあの聖女は何がしたいんだ?
「流石のお前も掴めない?」
「あぁ。情報は整理している。だがやはり目的に辿りつかない」
「やっぱりか。で、ルイも実際会いに行くの?」
「あぁ、明日シリルを連れてな」
そうか、明日か。
もう少し間を置くようなら、言わなくてもいいかと思ったけど。
⋯⋯明日か。
それなら一応報告しとかないと、不親切だよな。
「今日、俺さ。聖女に随分酷いこと言っちゃったから、もし火に油を注いでたらごめんな」
「は?」
俺の言葉に、ルイは最初目を丸くした。
だが徐々に不審そうに《どういう事だ》と睨んできた。
うーん、まぁ、そうなるよな。
彼女、激昂してなきゃいいけど。
流石に今日のは俺が悪いから、飛び火したら可哀想だよな。
「逆に落ち込んで静かになるぐらいだったらいいな」
ソファーから立ち上がり、ルイの前まで行くと、ポンっと肩を叩く。
頑張れよ、と言う意味を込めながら。
「は?⋯⋯何、お前⋯⋯何か余計なことを更にしたのか?」
やべ。
ニッコリと笑いながらも苛立ちを全く隠さないルイに、流石にこれ以上ここに居たらマズイと焦る。
と言うことで、俺は退散するか。
「じゃ、とりあえず帰るから」と右手を上げてそれだけ告げると、俺は自邸まで転移の言葉を口にする。
それに対してルイは、「待て!」とか騒いでるけど。
⋯⋯聞こえなかった、ってことで。





