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決意を新たにしてから、まず私は両親と話し合った。
お父様は殿下と、陛下には内密に連絡を取り合っているらしい。
お父様が言うには『不敬は承知で、今回の件はマルセル侯爵家の家長として不信感を抱かずにはいられない。王太子殿下がどう願おうと、ラシェルはもう王家には嫁がせるつもりは無い。⋯⋯そう言ったんだ』
その言葉に、私は酷く動揺した。お父様がその気になれば、私の新たな婚約者を早々に見つけてしまうのではないか。そう思ったからだ。
ただ、私の顔を見たお父様は困ったように笑って『私は陛下とは違うよ。娘の幸せを奪う真似なんてしないさ。父親の気持ちとしてはそう述べたけど、本心は君の幸せを誰よりも願っているからね』
そう優しく頭を撫でてくれたお父様、そしてギュッと抱きしめてくれたお母様の愛をその時、また再確認した。
そして私の今後行いたい事を相談した。
だがそれに関しては、お父様もお母様も難色を示した。
ただその事に関しては想定していた事である為、何度も説得していくしかないとは思っている。
『ニャー』
「クロ、どうしたの?」
最近の事を思い返して、殿下へと手紙を書いていると、クロがバルコニーへと出る窓ガラスをタンタン、と足で叩いている。
──外に何かある?
でももう後は寝るだけという時間で、外は真っ暗だし⋯⋯今から来客が来るとは考えにくい。
「どうしたの?」
クロを抱き上げて、カーテンを少しだけ開く。
それでもやっぱり視界の先には暗闇だけ。
それでもクロは何かを訴えるかのように身体をバタつかせている。
一体何を伝えているのかしら?
首を傾げながらも、鍵を開けて小さなバルコニーに足を踏み出す。
外に出ると、風が優しく全身を覆い、とても気持ちがいい。
「今日は寒くもないし、星も綺麗に見えて素敵ね」
そう呟きながら、夜空を見上げる。
視線の先には漆黒に散らばる沢山の煌めき。
ほぅ、っと息を吐く。
この所、学園でも図書館に籠ることが多かったし、こんなにのんびりとした気持ちは久しぶりかもしれない。
「クロ、ありがとう」
きっとクロは少し休むように伝えたかったのかしらね。そう思っていると、サァーっと強い風が吹く。
そして開けっぱなしの窓から吹き込んだ風が机の上に置いてあった便箋を飛ばす。
「あっ」
思わず部屋に戻ろうと、踵を返し足を前へと出す。
すると。
ふわっと柔らかい温もりに体が包まれた。
驚きに思わず肩が揺れるが、抱き抱えているクロを落とさない様に若干力を入れる。
──でも、私はこの腕を知っている。
私の肩に回された腕は、まるで私が逃げない様にと力一杯に抱き締められた。
頭の上に相手の額がコツン、と当たる感覚。
マフラーのように私の顔周りに回された腕に、そっと手を添える。
そして確信している相手の名を告げた。
「殿下」
そう呼ぶと、私を抱きしめる腕が一瞬震えて、再度優しく抱き込まれる。
「ラシェル、会いたかった」
殿下の声が聞こえた。
それだけで、胸の奥が熱くなる。
⋯⋯本当に、本当に殿下なんだ。
ゆっくりと振り向くと、そこには私と同じように何かを耐えるような少し顔を歪ませながら微笑む殿下の姿。
その時、腕の中にいたクロがピョンっと飛び降り、周囲をキョロキョロとして何かを探しているように見回した。
その姿に殿下は「ははっ」っと笑うと、蹲み込んでクロの頭を撫でながら。
「すまないね。テオドールの魔力ではあるが、本人は私の執務室にいるんだ」
殿下のその言葉をジッと聞いていたクロは、さも興味が無くなったかのように、サッと視線を外すと室内へと帰っていった。
「どうやら悲しませてしまったかな?」
「あの、殿下。一体どういうことですか?」
さっきは殿下に会えた喜びですっかり忘れていた。
だがこんな夜に、急に殿下が我が家の⋯⋯しかも私の部屋のバルコニーに現れるなんて。
普通に考えたら有り得ないことだわ。
「あぁ、驚かせてすまない。どうしても君に会いたくて、テオドールが協力してくれたんだ」
「テオドール様が?」
言われた意味が分からなくて、つい首を傾げてしまう。
「テオドールに十分だけラシェルのいる場所に飛ばして貰ったんだ」
「まぁ! テオドール様はそのようなことまで⋯⋯」
人を目的地まで飛ばす?
そんなこと本当に出来るのかしら。
あまりに予想外の解答に、思わず手を口元に当てて目を丸くしてしまう。
──本当にテオドール様は不思議な方だわ。
そう思わずにはいられない。
でも、そうか。
殿下も私に会いたい、と。
そう思ってくれたという事よね。
「あの、殿下。会いに来てくださってありがとうございます」
微笑みながら感謝の言葉を伝えると、殿下は若干頬を赤らめて嬉しそうに目を細めた。
「参ったな。私が君に会いたかっただけなのに⋯⋯その言葉は私を喜ばせるだけだよ」
そう言いながら、殿下は顔を綻ばせて微笑む。その笑顔は、いつだって私が思い出す殿下の顔だ。
あぁ、本当に殿下なんだな。
そう実感して、徐々に嬉しさに涙が滲みそうになる。それを押し込めて、ニッコリと微笑む。
「でも、宜しいのですか? 私たちの婚約は⋯⋯」
「まだ解消されてはいない。私のサインがまだだからね」
⋯⋯殿下は、まだサインをしていない?
でも、陛下から話が行った筈。
「大丈夫なのですか? 陛下の命令を⋯⋯」
「陛下は私の事を侮ってるからね。無駄な足掻きとでも思ってると思うよ。
でも、このまま解消なんてさせないから」
やはり、殿下は陛下に抗ってくれているんだ。
そんな事をしたらご自分の立場だって悪くすると言うのに。
「殿下、あの⋯⋯私も」
「どうした?」
私も意を決して、殿下を真っ直ぐ見る。
すると殿下は優しく微笑んで、私を見返してくれる。
「私はいつまでも殿下を頼りきってる訳にはいきません」
「え?」
「私が魔力を失った原因と向き合おうと思います」
そう言った言葉に、殿下は目を見開き驚いた顔をする。だがすぐに、眩しそうな物を見るように目を細めた。
「手助けはしてもいい?」
「いえ。殿下は殿下の。私は私のことを頑張りましょう」
勿論、危険なことは相談する。
それに周囲の人に迷惑が掛かるような事を一人でしない。
この辺は今後話し合う必要もあるだろう。
でも、いつまでも殿下のお膳立てが必要な状況ではいけない。
自分がしたいこと、するべきこと。
これに向き合うのは、私しかいないのだから。
それに、私は殿下の後ろに立ちたい訳ではない。
彼の隣にいたいのだ。
「そうか。⋯⋯そうだな。
君はどんな状況でもその強い心を持っているんだな」
一瞬言われている意味が分からず、殿下の続く言葉を待つ。
「魔力を失ったと聞いてすぐに面会した時。その時と今、同じ瞳をしている。
⋯⋯魔力を失った状態で『これで良かった』そう言った時と」
「そう、でしたか?」
「あぁ。思い返せば⋯⋯最初に君に惹かれたのは、その意志の強さが籠もった瞳なのかもしれないな」
どこか懐かしそうに微笑む殿下に、思わず頬に熱が集まる。
そして殿下が何かに気付いたかのように、胸元のポケットから懐中時計を取り出す。時間を確認した後に、殿下は残念そうに一つ息を吐く。
「あぁ、残念だ。もう時間だ」
「そうですか⋯⋯」
⋯⋯もう少し。もう少しだけ一緒にいたい。
本音を言うと、そうだ。
でも、仕方ない。
無理をしてまでも来てくれた。殿下のその想いと僅かな時間でも、殿下と会うことが出来た。
それを喜ばなければ。
「ラシェル、このままだと君も私の執務室に付いてくることになるよ?
まぁ、私は大歓迎だけどね」
そう言われて、初めは何を言われているのかが分からなかった。
不思議そうにする私に、殿下が視線を動かす。その視線を追っていくと、自分の手が殿下の服の裾をギュッと握っていた事に気付く。
「も、申し訳ありません」
恥ずかしさに俯く私に、殿下は「ははっ」と楽しそうに笑う。
だが、すぐに眉を下げて寂しそうに微笑んだ。
「本当は連れて行きたいよ、ラシェル」
「殿下⋯⋯」
ポツリと溢された小さい言葉は、殿下の本心が漏れたかの様で、この甘い逢瀬の時間が終了を迎えている事を悟る。
⋯⋯私も寂しいです。
そう心の中で言った言葉は、殿下にも伝わっていた様で、大きな手で優しく髪の毛を撫でた。
そして直ぐに、ニッコリと笑みを浮かべる。
「でもそんな事をしたら、本当に侯爵から結婚を止められそうだからね」
そんな風に片目を瞑り、内緒話をするように私の耳元に顔を寄せると、冗談めかした声色で言った。
「それじゃあ、また」
名残惜しそうに言った言葉と共に、殿下は夜空に浮かぶ星のような沢山の光に囲まれながら、フッと消えた。
「あ⋯⋯」
急に消えた殿下に、話に聞いたとはいえやはり驚く。
そして、さっきまで殿下が目の前に居たとは思えない程、辺りは静寂に包まれる。
残された私は、もう残っていない殿下の形跡を探すかのように、その場を暫し動くことが出来なかった。
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多分、殿下が帰る時もテオドールの魔力が使われたはずなので。
クロはまたテオドールを探したかもしれない⋯⋯ですね。それか、テオドールがいなくて、ふて寝中かも。





