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この出来事に私はただその様子を黙って見ている他無かった。
だが、この歴史的瞬間を目撃した他の観客たちは別だ。
「聖女!⋯⋯聖女様だ!」
「まさかこの瞬間に立ち会えるとは」
「精霊王様!聖女様!」
周囲は状況を読むのにザワザワと戸惑いをあらわにしていた。だが徐々に精霊王が加護を与えたのだと分かると、ゆっくりと戸惑いから歓喜へと変わっていく。
地響きのように割れんばかりの拍手と歓声に会場中が包まれた。
「聖女、か。よりによってキャロル嬢が⋯⋯」
隣から聞こえる呟きに、思わず殿下の方へと顔を向ける。殿下は冷静さを失わず、ただジッとアンナさんへと視線を向けた。
その視線は聖女が生まれたことへの喜びよりも、それに対し今後考え得る状況を判断している⋯⋯という顔だろうか。
⋯⋯そうだ。
アンナさんが聖女になったからと言って、今後の未来も同じになるとは限らない。私は過去のような過ちを犯すつもりは無いのだから。
何より、私が殿下の気持ちを信じなくてどうするの。
「殿下⋯⋯」
「ラシェル。⋯⋯流石の私も驚いたよ。まさか精霊王が現れて加護を与えるとは、ね」
「えぇ」
「何か心配がある?そんな顔をしてる。
⋯⋯大丈夫、暫くは国中が騒がしくなるだろうが、良い方向に行くよ」
「⋯⋯そう、ですね。えぇ、喜ばしいことですね」
私の顔を見た殿下は、優しく言葉をかけてくれた。不安な顔が隠し切れていなかったのだろう。それに対して、私を安心させるように穏やかに微笑んだ。
不思議なことに、殿下が声を掛けてくれる。それだけで、先程の不安が少し軽くなり、安心感が生まれる。
そうよね。
アンナさんが聖女となっても私たちの関係は変わらない。前回とは違う関係性を築いているのだから。
それよりも、この国に三百年ぶりに聖女が生まれたことを喜ばなくては。
今後、彼女も聖女としての務めで忙しくなるだろう。そして、それを私は王太子殿下の婚約者として、影ながら支えていければいいと思う。
ただ、少し気になるのはアンナさんの殿下への態度。殿下を気にする素振りが多い。
その行動にどういう意図があるのか。
⋯⋯もし、アンナさんも殿下のことを。
そんな思いがふと頭に過り、ハッとする。
⋯⋯駄目、今殿下と私は変わらないと考えたばかりじゃない。
視線の先には、嬉しそうに微笑みながら皆の拍手に応えるように、ワンピースをちょんと掴み、綺麗に礼をするアンナさんの姿。
その姿を見ても、やはり不安は消えてくれない。
⋯⋯でも、今は。
聖女が再びこの国に生まれた事に感謝を。
モヤモヤとしたものは残るが、私は無理やりにでもニッコリと微笑み、他の人たちと同じように拍手を送った。
そして、再度精霊王へと視線を向ける。
すると、精霊王はテオドール様の元へと進み小声で何か話をしている。
精霊王は先程アンナさんに向けていた視線よりも更に柔らかく、どこか懐かしむような瞳をテオドール様に向けた。
対するテオドール様も、最大限の敬意を表した礼をした後、精霊王に臆する様子もなく会話しているようだ。
二人で並ぶと何故か似たものを感じるのは、テオドール様が強力な魔力の持ち主だからだろうか。
それともテオドール様の美しさもまた、精霊王のような浮世離れしたものだからなのだろうか。
「似ているな」
「え?」
「精霊王とテオドールだ。何が⋯⋯とは言えないが、空気感がよく似ている気がする。
⋯⋯そんなことを言っては精霊王に不敬かもしれないがまるで兄弟、いや親子のようにも見えるな」
「私も、私もそう感じておりました。こうして見ると、テオドール様はどこか精霊に近しくも見えますね」
「あぁ。能力も規格外だからな」
殿下はそう言うと、冗談めかした様に笑った。
そしてテオドール様と精霊王のやり取りを遠くから見ていると、ふと精霊王がこちらに視線を向ける。
その瞬間、精霊王はあんなにも遠くにいるというのに、まるで目の前にいるかのような不思議な感覚に囚われる。
耳元に、存在を感じる。
誰!
驚きに目を見開くのと同時に、耳に聞こえてくるのは、先程聞いた精霊王の凛とした声。
『其方とは、また会う事もあるかもしれぬな』
「え?」
今のは⋯⋯。
思わず精霊王を凝視すると、やはり私の近くには来ておらず、先程と変わらずテオドール様の隣で私に視線を向けていただけだった。
「あの、今⋯⋯」
「どうした?」
さっきの声は殿下にも聞こえたのだろうか。
そう思い、視線を殿下へと向ける。だが、私の視線の先には不思議そうに首を傾げる殿下。
聞こえていなかった?
今の精霊王の言葉は、私にだけ聞かせていたのだろうか。
『では、我は元の森へと戻る。
この国の未来に幸あれ』
そう精霊王が言葉を発すると、会場中に光輝く花弁が宙に沢山浮く。
それはとても幻想的で、この世のものとは思えない美しさに暫し我を忘れるかのようだ。
そして皆、うっとりとその光景に浸っている。
キラキラと光る花々は、淡い光と共にゆっくりと消える。
ハッとして腕をその光に伸ばそうとして止めた。
何故か触れてはいけない様な、汚れなき物に感じたのだ。
やはり、精霊王は特別だ。
《幸あれ》と精霊王が言葉にしただけで、この国の未来は輝かしいものになる。誰もがそれを疑わない、説得力のようなものを感じる。
そして精霊王はその言葉を残し、再び魔法陣の上へと立つと再び強い光と共に消えた。
残ったのは、先程の精霊王が残した言葉への疑問だけ。
──どういう意味だったのかしら。
ぼうっと自分の耳元をさすりながら、考え込む。
また会うかもしれない?
でも、精霊王は召喚の儀でしか現れないのでは⋯⋯。
私がグルグルと考え込んでいる間、そして周囲がどこか浮かれ騒めきが消えないまま、儀式が終了したことを知らせる鐘が鳴った。
それと同時に、貴賓席に座っていた神官や魔術師達が足早に席を立つ。
それはそうだろう、と思う。
何しろ、聖女だ。国を挙げての祝事になるだろう。
それに、聖女は教会預かりとなる。暫くぶりの聖女を迎える為に、教会はさぞ慌しくなることだろう。
隣に座っていた殿下がスッと立ち上がる気配に、私は視線を上げた。
殿下は私の方へ顔を向けると。
「ラシェル、テオドールと話をする。一緒に行くか? 聞きたいこともあるのだろう?」
「はい、一緒に参ります」
そして、私は既に会場から姿が見えなくなっていたテオドール様を追う為、殿下とシリルと共にアリーナを後にした。





