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「あれは⋯⋯」
隣に座っていた殿下が慌てたように前のめりになり、ジッと目を凝らして強い光を見つめている。
徐々に光が穏やかなものに変わり、その全容が明らかになると、周囲がまた騒めきでいっぱいになる。
「あれって」
「嘘⋯⋯」
「まさか」
これが⋯⋯。
もしかしたら、現れないかもしれない。
何処かでそう感じていたのは事実だ。
だが、私は知っていた。
今日、ここに現れるであろう人物を。
それでも前回は早々に控え室にいた為に、その目で見た事はない。
だからこそ、想像以上⋯⋯いえ、想像を絶する圧巻の存在感に驚く。
精霊は魔力が高くないと見ることが出来ないが、精霊王は別である。
前回は三百年前に現れたというが、その時もその場にいた全ての人が精霊王を目にしたらしい。
そして、今周囲の状況から言っても、今この場にいる全ての者が光輝く人物を瞳に映しているらしい。
「光の⋯⋯精霊王」
私は思わずポツリと呟く。
すると、すかさず周囲の神官や魔術師は戸惑いながらも状況を察したのか、平伏した。
チラッと隣に視線を向けると、殿下も胸に手を当てて頭を下げた。
私も同様に座りながらではあるが、敬意を表す礼をする。
頭を下げている為、周囲の状況は見る事は出来ない。だが、戸惑いの声が歓声へと変わると、他の学生たちも状況を理解したかのように静まり返った。
すると。
『良い。我は頭を下げられる事は望まぬ』
その声にゆっくりと顔を上げて、中央へと視線を向ける。
そこには、圧倒的な存在感を放った光の精霊王の姿があった。
腰まである長い長髪はキラキラと金色に輝き、頭の上には王の象徴である王冠を被っている。
涼やかな目元にスラっとした長身。
絶対的な威圧感、そして美がそこにあった。
『して、我を呼んだものは⋯⋯お前か』
精霊王は周囲を視線のみで見渡すと、アンナさんの所で止めた。
アンナさんは頬を紅潮させ、興奮を隠せないような表情でジッと精霊王を見つめると、「はい」としっかりした声で答えた。
『私を呼び出すことが出来るとは、面白い人間を久しぶりに見たな。⋯⋯確かに呼ばれた時に見た魔力の色と其方は同じ、か』
そう言うと精霊王はアンナさんへ視線を向けながらも何かを思案する表情を見せる。
『⋯⋯だが、何かひっかかるな』
「何か、とは」
精霊王は何かを探すようにゆっくりと、体を動かし、一つ一つ確認するかのようにアンナさん、そしてテオドール様をジッと見た。
そして、その後今度は観覧席へと視線を動かすと。
えっ。
今こっちを見た?
精霊王の鋭い視線に心臓がドクン、と大きく鳴った。そして体が硬直したかのように動かなくなる。
こんなにも遠くにいるはずなのに、まるで目の前に精霊王を感じるかのような感覚。
⋯⋯何が起こっているの。
不安になり、思わず動かない手を必死に伸ばし、掴んだものをギュッと握りしめる。
すると、それに気付いたかのように私の手を大きな手が包み込んだ。
⋯⋯あ。
殿下の手?
そうか、今私が掴んだのは殿下の制服かもしれない。
それに殿下が気付いて握り返してくれたんだ。
体が動かないことで、隣を見る事は叶わない。それでも伝わる温もりに、殿下が《大丈夫だ》と言っているようで、ほっとする。
そして、その体の硬直も精霊王が視線を私から外すタイミングと共に、ふっと解けて軽くなる。
「どうした、ラシェル」
「いえ⋯⋯」
すぐに殿下は私の変化に気付いたようで、心配そうに顔を覗き込んだ。いや、もしかしたら私が気づかなかっただけで、もっと前から声を掛けてくれていたのかもしれない。
だが、先程の状態をこの場で殿下には伝えることは難しいと判断し、私は殿下に向けて微笑みを返して曖昧に言葉を濁した。
殿下は更に言葉を続けようと口を開けるが、その前に精霊王の声が聞こえ、私たちは精霊王のいる中央へと意識を戻した。
『未来を変えた?違うな⋯⋯遡った、か。なるほど』
精霊王は暫し目を瞑って考え込むような表情をした後、何かをボソッと呟いた。
ここからだと距離が遠すぎて何を言っているのか理解できない。
たが精霊王は可笑しそうにクツクツと肩を揺らしながら笑い、『我も今まで気づかなかったとは、やられたな』とまた小さく呟いた。
『どうやら、ここには面白い人間が何人もいるようだな』
そう言うと、精霊王はアンナさんへと向き直った。
『我を呼んだのなら望みがあるのだろう。それで、お前の望みは何だ』
「⋯⋯加護。精霊王様の加護を頂きたいです」
『ほう、加護とな。其方は私の加護を貰うに相応しいと申すか』
「相応しいかは精霊王様が判断を。
私は貴方の加護を望むだけです」
アンナさんは真っ直ぐ精霊王だけを見つめた。それに精霊王も『ふむ』と暫し手を顎に当てて考え込む。
『其方、元の人格を封じ込めているな。いや、それも元は其方だ。⋯⋯記憶を失った代わりに前の記憶を思い出した、か』
「なっ⋯⋯」
精霊王がアンナさんの耳元に小声で何かを言っているようで、私には聞こえない。
だが、精霊王が何か言ったことに対して、アンナさんは大きく体を揺らすと、驚愕に目を見開いて精霊王を見た。
顔色がどこか悪くなったかのように見えるのは気のせいだろうか。
「何を話しているのでしょう」
「ここからでは分からないな。テオドールがいる辺りでなら分かるかもしれないが⋯⋯」
ポツリと出た言葉は殿下に聞こえていたようで、殿下も一つ頷くと、私にではなく自分に言うかのように小さく呟いた。
「ただ、精霊王が現れるとは⋯⋯」
⋯⋯そうだろう。
誰が精霊王が現れると思うだろうか。
御伽噺のような話だ。
前回は目にしていなかったからこそ、その偉大さを本当に理解は出来ていなかった。
だが今目の前にいる精霊王は、やはり存在そのものが神聖な雰囲気を持っている。
流石、この国で神として崇められるだけある。
その後も暫くアンナさんと精霊王が何かを話しているようであったが、私の耳に届く事はなかった。
『我に隠し事は出来ぬ。其方が望む未来も我には分かる』
「それは! それは⋯⋯可能でしょうか」
『我は人には干渉しない。よって、其方の行末も何も言わぬ。
全てはお前次第。だが、叶うかも分からぬものに価値などあるのか。望む未来が来る保証など無いぞ』
「私の全てを賭けてでも⋯⋯叶えたいのです。
今を逃したら私には時間が無いもの」
『面白い。やはり人の子の考えは我には理解出来ぬ。
⋯⋯だが、その一途な心意気は気に入った。
其方に加護を授けてやろう。
だが我の力は悪いことには使えない。光とは慈愛に満ちた力。それを理解しないものに力は使えぬ』
「はい⋯⋯はい! ありがとうございます」
⋯⋯やはり全く聞こえない。
アンナさんは必死に何かを訴えているようにも見える。あの様なアンナさんを見るのは初めてだ。
そして話が終わったのか、アンナさんは目を閉じて胸の前で両手を組む。
精霊王は片手をアンナさんの額に付ける。
するとアンナさんの体全体をキラキラと煌く光が優しく包み込んだ。
その瞬間に理解した。
あぁ、変わらなかった。
光の精霊王が加護を与えたのだ。
今、ここに聖女が生まれた。
アンナ・キャロルという聖女が。
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