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精霊召喚の儀が行われるまであと一週間。
学園内は人の出入りが多く、魔術師や神官など儀式関係者の姿を多く目にする。
中でもテオドール様は責任者のようで、度々顔を合わせることが増えた。
会う度に気軽に声をかけてはくれるが、いつも疲れ果てた顔をしている。心配になりどうしたのかと尋ねると、どうやら女生徒たちからの猛アタックから逃げることが大変らしい。
確かに、次期侯爵、将来は魔術師団長確実、それに加えてあの美形⋯⋯。
女生徒達に狙うなと言う方が無理な気がする。
「あら、今日もフリオン子爵は大人気ね」
二階の廊下を並んで歩いていたアボットさんが、窓から下を眺めて呟いた。
そう、今日も変わらずテオドール様は女生徒に囲まれているようだ。
殿下も同じようによく囲まれることが多いが、穏和な態度を取りながらもいつもサッと躱している。
対するテオドール様は面倒臭そうな様子が態度に有り有りとしている気がする。
⋯⋯きっと女性、というより人の扱いの上手さの差、かしら。
あっ、目が合った。
何か口をパクパクと開けて言っている?
えっと、何かしら。
《何とかしろ》?
そう言われて私も窓の側へ寄り下を眺めるが、女生徒の数が先日に比べて⋯⋯更に増えている。
あれでは、私がどうにかしようとして飛び火しかねない。
そういえば、殿下も『あれは婚約者を作らないのだから仕方ないだろ。放っておけば良い』と言っていた。
⋯⋯テオドール様、ごめんなさい。
今の私はとても力不足です。
今度、サミュエルに美味しいもの作ってもらうので、今日は許してください。
そう心の中で謝ると、私はテオドール様へと向けていた視線をそっと外す。
下から感じる鋭い視線は、気のせい⋯⋯よね。
そして、窓からひっそりと離れてアボットさんにニッコリと微笑んだ。
「アボットさんも精霊召喚の儀に参加するのよね」
「えぇ、成功するか分からないから憂鬱よ。
生徒であれば観覧可能でしょ。だから失敗したら次の日から学園に通うのは辛いわ」
「大丈夫よ。そもそも契約出来ないと魔術師が判断した人は、儀式自体に参加出来ないもの」
「⋯⋯そうだけど。
だって数年前に失敗したというじゃない。その人、今も社交界から遠ざかって領地に籠もっていると聞くわ」
そう、この精霊召喚の儀は学園内にあるアリーナで行われる。このアリーナは、学園祭や魔術大会、剣術大会などでも使用される。
客席が傾斜のある階段になっており、貴賓席も備わっている。
そんな全方向から囲まれた状態で行われる為、参加する生徒の緊張は相当のものだ。
勿論私も前回参加したが、その時はトップバッターで中位精霊との契約が出来た為、沢山の拍手の中で意気揚々と控え室へと帰った覚えがある。
その為最後に登場し、光の精霊王に加護を貰った前回のアンナさんの儀式は見ていない。
その時観覧席にいたカトリーナ様が後々、光の精霊王様はとても神々しく、あまりに美しかったと恍惚とした表情で言っていたことを思い出す。
生徒の中には感動で泣き出す人も多かったそうだ。
⋯⋯だが、今回はどうだろう。
アンナさんは前回のアンナさんとは全く違う。
だからこそ、今回も光の精霊王が現れるとは限らない。⋯⋯そう思うのだ。
私もそう。
同じ人格ではあるが、魔力を失ったことで前回契約した精霊と契約することが出来ない。
それでもクロと契約出来た。
つまりは、精霊との契約についての未来も変わっているということだ。
私の思い違いでなければ、今回のアンナさんは何かしらの原因により前回とは別の行動を取っている。
そして、人そのものが違うかのような言動が多い。
だとしたら、前回のアンナさんは聖女と誰もが認める人柄。⋯⋯でも今回は?
何かが変わる可能性がある。
「⋯⋯どうなるのかしら」
思わず頭で考えていた言葉がポツリと呟くように出てしまう。ハッとして目の前のアボットさんを見ると、彼女は肩を竦めた。
「なるようになるわよね。
どういう結果になろうと、胸を張って出ることにするわ!」
「流石、アボットさんね。
貴方なら大丈夫。本当にそう思っているわ」
「えぇ、ありがとう。マルセルさんも見に来てくれる?」
「勿論よ」
「それなら安心だわ」
アボットさんはそう言うと、ニッコリと笑い「じゃあ、今からまた魔術練習に行ってくるわ」とギュッと拳を握りしめた。
「頑張ってね」
私の言葉にアボットさんは嬉しそうに、はにかんだ顔をすると「では、また明日」と手を振りながら練習室の方向へと向かっていった。
さぁ、私も今日は帰ろうかしら。
そう思い歩き始めると、空き教室のドアの向こうからヒュッと出てきた腕に掴まれる。
そしてそのまま、空き教室へと私の体を引き摺り込まれ、思わず「きゃっ」と小さな叫び声が私の口から発せられる。
そのままギュッと宝物を抱えるが如く、力一杯に抱きしめられる。
すると、頬に金色のサラッとした髪が当たった。
あ⋯⋯。
「殿下!」
「驚かせてごめん、ラシェルが見えたから⋯⋯つい。
怒った?」
振り向くと、眉を下げて叱られた後の子犬のような表情をする殿下の顔。
「驚きましたけど⋯⋯怒ってはいません」
「良かった。最近の私は、君を見つけると、つい抱きしめたくなってしまうんだ」
最近の殿下は何か吹っ切れたかのように、ストレートな物言いとスキンシップが多い。
本人にとっては多分自然なことで、意図していないことなのであろう。
この間、『あの、手を離さないと帰れません』と言ったところ、手を繋いでいた事実に目を見開き驚いていた。そして、『ごめん!』と慌てふためく珍しい殿下を見られたことは、ちょっと嬉しいことでもあった。
だがそれらのことにより、私の心臓は殿下に会う度にドキドキと忙しなく動くことになっている。
それに対して、もう少し自分の心を落ち着かせたいとも思う。だが、殿下のこの優しく温かい笑みを目の前にして、いつも何も言えなくなってしまうのだ。
「今日はもう帰る予定?」
「はい」
「だったら私が送っていくよ。珍しく私も用事が早々に終わったからね」
⋯⋯嬉しい。
顔を合わせることが出来ただけでも幸せなのに、家に帰るまで一緒にいられるなんて。
また、私の心がポカポカと温かいものでいっぱいになるようだ。
「殿下、ありがとうございます」
「いや、私が君と一緒にいたいだけだから。
ついでに侯爵邸に少し立ち寄ってもいいかな?
クロとも一緒に遊びたいと思っていたんだが」
「勿論です! クロも喜びます」
クロという名に、すぐに家で待っているであろう、可愛らしい黒猫を思い浮かべる。
すると自然と口元が緩むのを感じる。
殿下はその様子を微笑ましげに眺めた後。
「ラシェルは?」
「え?」
「ラシェルも喜んでくれる?」
そう、私の瞳をじっと見つめて言う。
「⋯⋯はい」
つい熱に浮かされたかのように、ただポツリと返事を返す。
すると、殿下はまた嬉しそうにニッコリと笑い私の腰に回していた腕をサッと離した。
⋯⋯何だか寂しい。
殿下の温もりが無くなってしまったことに、ふとそんな気持ちを思い浮かべてしまったことに、ハッとする。
やだ、何を考えているの。
思わず首を左右に振る私に、殿下は不思議そうに「大丈夫?」と問い、私が頷くと「ははっ」と声を出して笑った。
「じゃあ、準備してくるから馬車乗り場で待ち合わせでいい?」
「はい。待っています」
私の答えに殿下は嬉しそうに目を細めると、私の頭を優しく撫でて、そのまま教室を後にした。
⋯⋯やっぱり慣れない。
殿下のあの熱の篭った瞳は、本当に破壊力抜群だわ。今も、私の頬は真っ赤になっていることだろう。
殿下には敵わないわ。
そう感じながら、先程よりも軽い足取りで馬車乗り場へと向かったのだった。
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殿下が最近浮かれています。
多分、湖に行ってからですね。





