56 王太子視点
「ラシェル、疲れていないか?」
「えぇ、大丈夫です。それよりも、会場を出てしまって良いのでしょうか」
「あぁ、シリルには伝えている。それに私の役目はもう終わったことだし、私だって婚約者と過ごすひと時があってもいいだろう?」
「⋯⋯殿下」
「それとも、ラシェルは誰か踊りたい者でもいたのか⋯⋯それは妬ける」
「そのようなことはありません。⋯⋯私も、殿下と一緒にいたいです」
あえて悲しげな表情を作って切なげに言ってみたが、まさかラシェルがそんな言葉を言ってくれるとは。
本当にラシェルは私の事を喜ばせることがうまいな。
今だって、ラシェルが私と一緒にいたい、その言葉だけで心が沸き立つようだ。
さっきまでの鬱々とした気持ちなんて一瞬で吹き飛ぶ。
それに何といっても今は先程の控室へと戻ってきたところだ。
部屋の前に護衛は立っているとはいえ、二人きり。
いくら王太子という立場であるとはいえ、今日はラシェルがこんなにも着飾った場だ。
皆が見惚れるラシェルを残し、目を光らせながらも王太子としての働きだってしっかりとこなした。私だって婚約者を存分に愛でてもいいではないか、という考えが頭をよぎる。
そしてもう一つ、ラシェルには確認しなければいけないことがある。
「先程の事だが⋯⋯」
「はい?」
「その、なぜテオドールに⋯⋯」
あのような可愛らしい顔を見せた。
そう言いたいが、つい言葉に詰まってしまう。
これではまるで、テオドールに嫉妬しているようではないか。
⋯⋯いや、そうか。
嫉妬をしているのか。
先程の自分の苛立ち、そしてあのような顔を他の男になど見せたくない。それがテオドールであれ、誰であれ。
それはまさに嫉妬⋯⋯だな。
そう思うと、自分にしては珍しくつい弱気になってしまう。
「すまない。やはり何でも⋯⋯」
「あの、このドレス!」
ドレス?
ラシェルが顔をまた赤く染めて若干潤んだ目でじっと私を見た。
可愛い。
じゃない、ドレスがなんだ? もしかして気に入らない?
一つの結論に思わず背中に冷や汗をかく。
確かに自分が似合うと感じて勝手に作ってしまったものだ。もしかしたらラシェルは流行りのものの方が良かったのかもしれない。
「このドレス、殿下がデザインしてくれたと。その、テオドール様が教えてくださって」
ラシェルは恥ずかしそうに自分の腕をもう片方の腕でギュッと握り、視線を彷徨わせて言いにくそうにボソっと呟くように小さい声で言う。
だが、そう広くない部屋に二人きりなわけで、バッチリと聞こえた。
だがその内容は想像にないことだった。
まさか。
まさか、ラシェルに知られるとは。
自分の顔がみるみる蒼褪めるのを感じる。
まずい。こんな、人のドレスをデザインするような気持ち悪いやつだと思われたら⋯⋯。
どう感じたのだろう。
嫌になっただろうか。
ついラシェルの顔を探るように覗き込む。
だが、ラシェルは嫌がるというよりも、むしろ口元を緩めて嬉しさをこらえているかのように見える。
これは自分が見たいものの願望だろうか。良いように勝手に受け取っているのだろうか。
「殿下、ありがとうございます。
車椅子の時もそうでしたが、殿下は私の想像以上の贈り物をくださいます。
殿下の考えてくださったドレスを身に纏うことが出来るなんて⋯⋯本当に嬉しいです」
ラシェルは意を決したように私の目をまっすぐ見るよう視線を上げると、庭のバラが一気に咲き誇るかのような幸せそうな笑みを見せる。
その瞬間、花々の瑞々しい香りさえ鼻を掠めるかのようだ。
その顔はまさに私がラシェルに恋をしたことを自覚したその笑顔と同じで、時間が止まったかのように私は動くことが出来なくなった。
意図していないことで、こんな顔を見られるとは。
自分が贈りたいと思っていた物で、ラシェルがこんなにも喜んでくれるなんて。
想像さえしていなかった。
車椅子の時は喜んでほしい、笑顔が見たい。そう願った。
だが今回のことは完全に自分の自己満足だ。
それなのに、こんな笑顔を私に見せてくれるなんて。
ジワジワと温もりが全身に駆け巡る。
困ったな。
自分は昔からどこか感情が欠落してしているとさえ感じていたのに。
知らなかった。
自分がこの手で好きな人を喜ばせることが出来る。
そのことが。
⋯⋯こんなにも、嬉しいと思うだなんて。
「はは、君はどれだけ私を夢中にさせるんだ」
「え?」
今度は私の方が顔が真っ赤になっていることだろう。
顔があげられない。こんな情けない姿ラシェルに見せられない。
そう思うのに、不思議なことにもっと自分のことを知ってほしい。
もっとラシェルが私でいっぱいになればいいのに、とさえ思う。
「また夏になったら一緒に出掛けようか」
「はい! 嬉しいです」
「そうだ、今度はまた違う店を紹介するよ。鍛冶屋の親父さんの所にも連れて行きたいし、足を延ばして湖畔まで行ってもいいな」
恥ずかしさから急に話題を変えた私に対して、ラシェルは一瞬不思議そうにポカンと口を開ける。だがすぐに嬉しそうに目を細めて笑ってくれた。
その笑顔を見ながら、私はこんな日々が永遠に続くと良い。
それだけを願っていた。
♢
「随分浮かれているようで」
「ラシェルが可愛すぎるのが悪い」
「そうですか。まぁ、多少浮かれることは理解しましょう」
招待客はとっくに帰っているというのに、私は残った仕事を片付けに執務室に寄っていた。夢心地の余韻だけが先程の現実を思い出させる。
シリルも疲れているはずであるのに、こうやって付き合ってくれるとは。
本当に毎日よく尽くし過ぎているというぐらいだな。
対して、将来の側に置くと考えていたエルネストのことだ。
元々体も強く魔力も人よりある。そして面倒見がいい人柄は誰からも好かれやすい。
将来は騎士団に入り、実力を付けたところで近衛として置こうと考えていた。
だがここ暫くの事を考えると、少し考える余地があるな。
「シリル、明日エルネストを呼べ」
「はい。⋯⋯彼の悪い面が出てしまいましたね」
「あぁ、情に厚い。それはあいつの良い所だろう。
だが何でもかんでも面倒みていたら自分自身の身を滅ぼしかねない」
「アンナ・キャロル嬢ですか」
アンナ・キャロル
私の周りをうろちょろしている分にはまだ良い。
だが、ラシェルの周囲を嗅ぎまわっていることは許容出来ない。
それにあの者は、私に付きまとう行動を見せながらも熱のようなものを感じない。
私の事にしても何故自分の意図しない行動を取るのかが理解できない、そう本気で思っているような表情をする。
何か得体の知れないものを相手にしているようで、それが何より薄気味悪い。
何か目的を持って近づいているようであるが、その目的が何であるか。
それが計り知れない。
これが杞憂であればいいのだが。
だが今日のような執着されたかのような行動は目に余るし、用心に越したことはない。
「また怖いことでも考えているのでは」
「は?」
「殿下のその顔、陛下に似てきましたね」
「⋯⋯わざとだろう。私の嫌がる言葉を」
コトリ、と目の前に紅茶の入ったカップを置かれて、ふと視線を上げる。
するとシリルが《何を考えているんだ》とでも言いたげなジトッとした視線を向けてくる。
そのトゲのある言葉に思わず苦笑いが出る。
それにしても父上に似てきた、とはな。
自覚はしていないでもないが、あの冷徹親父に似ているとは良い気はしない。
「でしょうね。殿下のその微笑みも物事を有利にする為もあるでしょうが、父君に似ないようにもしているのでしょう」
「本当に嫌なことをズバズバと。
⋯⋯尊敬はしている」
「でもなりたい姿ではない、と」
思わずシリルを見ると、シリルは普段はあまり変わらない表情を緩ませる。
それについ「ははっ、間違いない」と口から笑いが漏れる。
こんな軽口も外では聞かせられない。
だがあえて抱え込みがちになる私の心を軽くしてくれているのだろう。
「シリル、いつも感謝している」
「でしょうね。労いとして、いつでも連休を頂く準備は出来ています」
「⋯⋯それは、また追々」
「でしょうね」
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