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「急に出掛けて帰りが遅くなると、ご家族が心配なさらないかしら」
「いえ、私寮なのでお気遣いなく!」
「⋯⋯そうでしたの。でもメインは本屋だから」
「あ! ちょうど買いたい本があったんです! 良かった」
それとなく言葉を濁してみてもニコニコと全く引く様子のないアンナさんに、ついにはアボットさんが
眉を顰めて。
「キャロルさん、申し訳ないのだけど今日は元々私がマルセルさんと予定していたことなの。⋯⋯遠慮してくださらないかしら」
そうハッキリと伝えると、アンナさんは笑顔からガラッと、今にも泣き出しそうな悲しげな顔に変わる。
「あっ、ごめんなさい⋯⋯。私⋯⋯王都に来てから初めて女の子のお友達が出来たから。
つい嬉しくなっちゃって」
「あ⋯⋯」
「迷惑でしたよね。本当にごめんなさい」
元々小柄な体を更に丸めて、シュンっと落ち込む姿に思わず私とアボットさんは目を合わせる。
⋯⋯何だか、とても悪いことをしている気がする。
その姿を見てアボットさんも「マルセルさんがいいなら⋯⋯良いけど」と引きつった笑みで了承の言葉を口にした。
そして私たち三人は我が家の馬車で移動して、本屋に行き目当ての本を探した。
アボットさんとお勧めを教え合いながら選んだ三冊は、とても満足のいく買い物であったと思う。
そして目当てのものがあると言っていたアンナさんは、「あー、やっぱり発売日間違えてたかも」と結局何も買う事はなかった。
本屋はあまり好みに合わなかったのか、眺めることもなく、私たちの買い物の様子をただ後で見ていただけのようだった。
だが、カフェに到着すると。
「ここ! ここに来たかったんです!」
瞳を輝かせて本当に嬉しそうにパフェを見つめている。
「甘いものがお好きなのね」
「そうなんです! 甘いものは何でも好きなんです」
確かにここの店はパフェだけでなく、ケーキやプリンなど美味しそうなものがメニューに並んでおり、つい悩んでしまう。
だがアンナさんが言うには、ここはパフェがオススメだ、と力説していた。その言葉に私もアボットさんも季節のパフェと紅茶のセットにした。
そして運ばれた、季節のフルーツが彩り鮮やかに、沢山盛り付けられたパフェは私も心躍る気分だ。
「美味しいー!」
アンナさんはパフェを一口食べると、目を細めて子供のようにはしゃいでいた。
何だか微笑ましく感じる。
こんなにもここに来たかったのね。
アボットさんは、そんなアンナさんに「ほら、口のまわりにクリーム付いてるわよ」と呆れながらも仕方がなさそうにナプキンを手渡した。
アンナさんもそれを恥ずかしそうに「ありがとうございます」と受け取ると、口を拭う。
「そういえば、ラシェルさんは殿下と仲が良いんですね」
「え?」
「だって、前に会った時に甘々な雰囲気出してたし」
「⋯⋯そうかしら」
「そうですよ!だっていつも微笑んでるけど、それは仮面みたいなものだし。ラシェルさんに向ける顔はもっと優しくて⋯⋯」
確かに私自身、最近の殿下の雰囲気には戸惑う。
元々多くの者を魅了する穏やかな微笑みは素敵ではあったが、更に最近は熱を持った真っ直ぐな視線を感じることが多い。
一度でもその視線に絡めとられると身動きが取れない、まるで熱に浮かされたような気分にさせられる。
そんな殿下から、甘く自分の名を呼ばれることは未だ慣れないものだ。
思わず殿下のことを思い出してしまうと頬が紅潮してしまうのを感じる。
「本当なら私に向けられる顔なのに」
アンナさんによってボソリと呟かれた言葉は、別のことを考えていた私の耳には伝わることがなかった。
「え?」
「いいえ、何でもありません」
アンナさんに聞き返すと、アンナさんは首を左右に振りもう一口パフェを食べる。
そして思い出したように顔を上げる。
「あっ! そういえば今度のデビュタント、ラシェルさんもなんですよね」
「えぇ、私は昨年は出られなかったので」
そう、毎年行われるデビュタントの王宮舞踏会。
十五歳以上の貴族子女はこの舞踏会で社交界デビューをする。
陛下に謁見し、初めて社交界で認められることが出来る。そして舞踏会では、デビュタントは頭に花飾りをし白いドレスを着てダンスを踊るのだ。
一生に一度のことであり、幼い頃は随分このデビュタントに憧れを持ったものだ。
「私もなんです。本来なら去年だったんですけど、両親から一年見送るように言われちゃって」
「まぁ、そうでしたのね」
アンナさんは私をじっと見て、「あの」と前置きをした上で。
「デビュタントって、殿下と踊れますか」
「そう⋯⋯ね。毎年、王族の方が数人とは踊るけれど全員という訳ではないわ」
婚約者がいる人は私たちの年になると大分多いが、婚約者がいない者にとっては今後いい縁を結ぶ為にもこの舞踏会が大事だ。
そして社交界デビューを祝う意味でも、王族の者がデビュタントの中から数人と踊る。誰と決まっている訳ではないが、アピールする場として未だ婚約者のいない者の縁者から頼まれて踊ることが多い。
「良かった! そこはちゃんとストーリー通りなんだ」
「ストーリー?」
「い、いえ。あっ、アボットさんは?」
「私はもう去年済んでいるわ。でも夜会とか苦手なのよね。今年も何回か夜会に出席しなければいけないと思うと憂鬱よ」
アボットさんはふう、と一つ溜息を吐く。そしていつの間にかパフェは綺麗に食べ終えており、食後の紅茶を楽しんでいた。
「アボットさんは婚約者がいるのよね」
「えぇ、だからデビュタントの時もエスコートは彼にしてもらったわ」
アボットさんの婚約者は魔術師団に昨年から入っていると先日教えてもらった。
「え! じゃあ、殿下はラシェルさんのエスコートをするんですか?」
「いえ、デビュタントの時は殿下はお忙しいから。
父にしてもらう予定よ」
私の言葉に、不安そうな表情で私を窺っていたアンナさんの顔がパッと輝く。
「なんだ、良かったー。
そうよね、そうじゃないと踊れないものね」
その言葉にすかさずアボットさんが、アンナさんに尋ねた。
「キャロルさんは殿下と踊りたいの?」
「え? 勿論です。大事なイベントなので」
イベント?
大事なデビュタントという⋯⋯イベント、ということかしら。
まぁ、女子にとっては大切なものよね。
それに殿下に憧れる人は沢山いる。
デビュタントで殿下と踊りたいと思うのは普通のこと⋯⋯よね。
彼女じゃなくても皆、何処かで期待を持っていることだろう。
前回のデビュタントの時だって、殿下は私だけでなくてカトリーナ様とも他の方とも踊っていた。
あの時は皆に嫉妬しながらも傲慢にも、私の婚約者を貸してあげるんだ、なんて烏滸がましくも優越感を持っていた。
今回はそんなことは考えない。
王太子である彼にとって、社交は兎角大切なものだ。
それを邪魔することも、それに嫉妬する気持ちだって持つのは間違っていると分かっている。
そして、私自身も様々な人と交流を持つ必要がある。
だからアンナさんが殿下と踊りたいと言うことも理解はしているし、必要であれば殿下は踊るだろう。
⋯⋯でも何だろう。
今アンナさんがこんなにも殿下と踊ることを期待していることに対して。
⋯⋯何でこんなに胸がモヤモヤするんだろう。
その後アンナさんは更に殿下の好みや性格など様々な質問をしてきた。
だが全てを曖昧に微笑み濁していると、アンナさんは今度は私のこの一年について沢山の質問をしてきた。
答えられる範囲だけで話すと、アンナさんは満足そうに「私寄りたいところあるので、先に失礼しますね」とあっさりと帰っていった。
まるで嵐が去った後のようで、私とアボットさんはただ呆然と彼女が去っていくのを見送るだけだった。
「なんか、変わった子。
それにあんなに王太子殿下やマルセルさんのことを聞き出そうとして」
「やっぱり⋯⋯そう感じた?」
「そりゃそうよ。私が言うのも何だけれど、付き合いを考え直した方がいいかもしれないわよ」
あからさまに眉間に皺を寄せて不快感を露わにするアボットさんに、やはり前と同じ違和感を感じる。
聖女とアンナさんは同じ人物な筈なのに、何故か一致しない。
前回、アボットさんは聖女と親しくしていたように思う。
だが今のアボットさんはアンナさんに良い感情を持っていない。
この意味が指すものは何なのだろう。
もしかしたら⋯⋯。
私の中で小さな疑惑が生まれた瞬間だった。
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