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あれ、いつの間にか寝てたんだ。
ふと重い目蓋を持ち上げると、日は傾き始めておりベッド脇の窓からはオレンジ混じりの赤い光が差し込んでいた。
いつの間にか身体も清められ、新しい部屋着に変わっているようだ。
──喉が渇いたな。
両手に力を込めて上体を起こし、ベッドのサイドテーブル上に置かれたコップを持とうとする。
コップに手を伸ばし、持ち上げようとした時
あっ、落ちる
ガシャン!
力の弱っている私には今までのイメージでコップを持とうとして込める力加減を間違えたようだ。
コップはテーブルから落ち、無残にも割れた。床は水浸しとなっている。
やっちゃったな。
枕元のベルを鳴らそうと腕を伸ばすと
「お嬢様!どうされました!?」
私の部屋の近くに待機していたのか、サラがすぐ様入室した。
「あっ、水を飲もうと思って」
「怪我はありませんか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
「では、こちらのコップに水を注ぎ直しますね。
まだ病み上がりなのですから、力が出なくても仕方ありません」
サラは予備のコップに水を注ぐと私の背中に腕をし、もう片方の手で水の入ったコップを私の唇に当てて水を流してくれる。
あぁ、生き返った感じがする。
まぁ、本当に生き返ったんだけど。
水を飲ませてくれると、サラはゆっくりと丁寧にベッドに私の身体を戻してくれる。
そして一回部屋を退室し、掃除道具を手にすぐに戻ってきた。割れたコップも溢れた水も何もなかったかのように綺麗に片付けられた。
「サラ、迷惑をかけるわね。申し訳ないわ」
「何をおっしゃるのです!お嬢様はいつも頑張り過ぎなのですから、少しはゆっくりしないと」
「……サラ、いつもありがとう」
サラは驚いたように目を見開いた。でもその後すぐに嬉しそうに顔を綻ばせ、ニッコリと笑った。
その表情を見た時、あぁ以前の私はこんなに良く仕えてくれているサラに感謝の言葉も伝えてなかったのかと愕然とした。
侯爵令嬢として生まれ、いつでも人より優れて特別だと感じていたラシェルにとって使用人とは景色と同じようなものであった。
いつも遠巻きに距離がある使用人たちとは違い、サラだけは甲斐甲斐しくラシェルの側にいるので、いつの間にか特別な存在ではあった。
でも、感謝の言葉ひとつも言わないような者にサラは仕えてくれていたのね。
使用人だって、平民だって、みんな家族がいる。
誰かにとってはかけがえの無い者であるし、自分と同じく生きていて感情がある。
そんな当たり前のことに気づくことが出来なかった。
思えば仲良くしていた令嬢たちは、私が殿下に婚約破棄されるとすぐに聖女に寝返っていた。
蔑んだ目線を寄越しながら、コソコソとこちらを見て笑っている令嬢たち。
本当の友人と呼べる相手なんていなかったのかもしれない。
でも、サラだけは違う。
よく八つ当たりもする私に、サラは最期まで寄り添ってくれていた。
大切に想ってくれている人を大切に出来なかった自分。
身分だとか、魔力だとか。
今となってはくだらないことに拘っていたな、と感じる。
ラシェルは以前の自分に対しての後悔、そして今やり直せることへの幸せを感じ涙で揺れそうな視界のなか、サラの笑顔を見つめる。
ところが
「あっ、お嬢様!お伝えしなければいけないことがありました」
「ん、何?」
「先程、寝ている間に城から旦那様が帰宅されまして、お嬢様の寝顔をご覧になっておいででした。
それと、旦那様からのご伝言で……
その、今から王太子殿下がお見舞いにいらっしゃるそうです」
「良かったですね」と微笑むサラを見つめながら、顔が強張り、背中に冷や汗が流れるのを感じる。
あっ、完全に忘れてた。
まだ私、王太子殿下の婚約者だったんだ。