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「お嬢様! とてもお似合いです」
鏡の中にはトルソワ魔法学園の制服を着た私の姿。
サラは感動したように目を潤ませて「夢にまで見たお姿⋯⋯」と呟いた。
白いシャツ、紺色の膝下まであるワンピースに同色の丈の短いジャケット、靴はロングの編み上げブーツ。
そして胸元には二学年を表す赤色のリボン。
そう、私は二年生からの編入扱いとなった。
本来なら一年生を丸々通っていないのだから、一年からやり直すということも出来た。
だが一年生の内容は家庭教師から教わっていたこと、そして誰にも言えないが一度は一年生の授業を受けていることもあり、編入試験を楽々合格出来たことでの特別措置であった。
それにしても。
この制服、とても懐かしいわ。
前に袖を通していた時は今こうしてまた通うようになるとは思ってもいなかったけど。
今この瞬間にも思い出すことが出来る。
校舎、食堂、屋上庭園、図書館⋯⋯。
あの頃はどこに行くにも友人と連れ添って歩いていた。
彼女たちから掛けられる言葉は私にとって聞こえが良く、言われた言葉を全て何も疑うことなく信じていた。
結果、私は殿下に婚約破棄され、修道院に向かう途中で殺された。
もちろん私に問題があったことは確かだ。
でも今なら分かる。
破滅を願う友情が本物の友情と呼べるだろうか。
いや、そんなもの友人でも何でもない。
『ラシェル様、また殿下とあの子が一緒にいましたのよ』
『殿下のお隣はラシェル様の場所だというのに⋯⋯あのように、はしたないわ。
⋯⋯でもあの噂は本当なのかしら。』
『ラシェル様、あの聖女というだけで力のない者に分からせてあげた方が宜しいのでは?』
『えぇ、そうよ! ラシェル様、今すぐにでも言いに行くべきです』
今考えると、殿下と聖女の関係が実際にどうであったのか。考えても分からない。
本当に互いに恋愛感情があってのことであったのか。
それとも⋯⋯。
もしかしたら本当にこの国のことを話し合っていただけなのかもしれない。
最近の殿下の様子を見ていて思う。
確かにあの当時、殿下と聖女、そしてシリル達が一緒にいる姿は何度か見た。
でも聖女を見る殿下は、あの一瞬で頬が赤くなるような甘く優しい笑みを浮かべていただろうか。
もっと事務的な目線ではなかっただろうか。
⋯⋯駄目だ、思い出せない。
もしかしたらそうであったら良い、という私の希望がそう思わせるのかもしれない。
最近の殿下の様子は、初めて見る表情ばかりだ。
だからこそ、同じく微笑んでいてもどこか前とは違うように感じる。
だが以前の殿下と聖女の関係を知る術は今の私にはない。
でも確かなことはある。
友人だと思っていた彼女たちのこと。
確実に、彼女たちは私を疎んでいた。
そして殿下の婚約者という立場から追い落としたいと考えていた、ということだ。
どこかで私の失敗を狙っていたのだろう。
彼女たちの思惑にまんまとハマった私をきっと彼女たちは笑っていたのだろう。
だからこそ今回は彼女たちと特別親しくするつもりはない。
友人だと信じていた彼女たちの思惑も知っているし、
以前見た裏の顔が今でも脳裏に焼きついているのだから。
そして、もし可能であれば。
本当の意味で友人、と呼べる相手。
例えば殿下とテオドール様のような。
あの様に軽口を叩き合いながらも、お互いに信頼し合っている関係。
私にもそんな友人が出来たら⋯⋯。
ふと俯いていた顔を上げると、鏡の中の自分は不安そうに眉を下げていた。
⋯⋯駄目駄目。
私は変わるのだから。
こんな不安に押し潰される様では。
無理やりにも口角を上げて笑う。
すると、鏡の自分もニッコリと笑った。
よし、これでいい。
さぁ、行こう。学園へ。
ガダゴトと揺れる馬車から見える景色はとても見慣れたものだ。
前回三年間通った学園なのだから。
それでも、私は初めて通うかの様な緊張感に包まれていた。
学園に近づくにつれて徐々に前の記憶が蘇ってくる。
震える手を握りしめ、何度も何度も深呼吸をする。
大丈夫、大丈夫よ。
きっと前のようにはならないはず。
何度も何度も自分に言い聞かせる。
だが肩には力が入り、顔は強張る。きっと今鏡を見たら怖い顔をしているのだろう。
馬車のスピードが徐々に落ち、そして止まった。
同時に私の緊張感はピークに達する。
ついに、着いてしまった。
もう一度、大きく深呼吸をする。
馬車のドアがゆっくりと開かれる。
手を借りて降りようとした時、ふと視線を横に動かすと視界に入った姿に信じられない気持ちで目を見開く。
「殿下!」
「やぁ、ラシェル。おはよう」
私に手を差し出したのはなんと殿下であった。
殿下は甘く微笑みながら、「ほら降りておいで」と優しく私に声を掛ける。
その声に応じるように、私はほっと息を吐き自然と笑みを取り戻した。
体の強張りは嘘のように溶けて、踏み出す足にも軽やかさが戻る。
「あの、わざわざありがとうございます」
「いや、大事な婚約者の初めての登校だからね」
「でもお待たせしてしまったのでは⋯⋯」
「気にしなくていい。私が勝手に待っていただけなのだから」
殿下を待たせてしまった申し訳なさに、私は視線を下げる。だがそんな私に殿下は優しげな目元を更に細めた。
「⋯⋯でも待つ時間にこんなにも胸が躍るのは初めての経験だよ」
「え?」
「今日からラシェルと共に学園に通えるんだ。毎日会えるんだよ?こんなに嬉しいことはない」
⋯⋯そうか。
学園には毎日通うのだから、学年が違うとはいえ会う機会もかなり増えるのかもしれない。
前回は同じ学園に通っていても会う機会はほとんど無かった。
だからそんなこと考えもしなかった。
だが、今の殿下の口ぶりからは殿下は私と頻繁に会おうと考えてくれているのかもしれない。
殿下がいるんだ。
そう、同じ学園に殿下がいる。
さっきまでの不安だらけの心が少し軽くなる。
殿下を側に感じることが出来る。それだけで力を貰えるような気がした。
「あの、私も⋯⋯私も嬉しいです」
隣にいる殿下にギリギリ聞こえる程度の小さい呟きだった。
それでも殿下には聞こえていたようだ。大きく目を見開いた後、はにかむような笑みを向けられた。
そして、そんな私たちの様子を周りの学生たちも立ち止まって見ていた。
だが自分のことにいっぱいいっぱいな私はその注目に気づくことなく、殿下と共に校舎へと真っ直ぐに歩いていく。
人混みの中には、前回の生において聖女と呼ばれていた女生徒も混じっている。そして彼女もまた、こちらをじっと見つめていた。
「あー、やっぱり! 悪役令嬢がバグじゃない。おかしいと思ってたのよね」
そして、彼女から発せられた声は私の耳に届くことはなかった。
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