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その後の殿下は各所への奔走で忙しく、なかなか連絡がつくことはなかった。
ようやく一ヶ月が過ぎた頃、全てがひと段落ついたそうだ。
今日はようやく王都で教会との話し合いが終わり、殿下とテオドール様が最終確認と結果報告をしに、マルセル領へと来てくれていた。
未だ後任が決まっていない教会の視察も含めて、殿下と教会へと赴いた。
今は教会の二階という比較的人目につきにくい場所で殿下と二人、隣同士に座っていた。この吹き抜けの二階からは教会に礼拝しに来た人など、一階の様子がよく見える。
神官様の件について、とりあえずは混乱を招かぬように配慮した。今の段階では、神官様は急遽家庭の都合で王都へと向かったことになっている。
その為、今現在はここを訪れる領民たちもいつもと変わらずここを訪れているようだ。また領内の他の聖教会にいる神官が代わりを務めることもあるようだ。
子供たちも寂しそうにしているが、出来る限り私やサラが訪問し、シスターの手助けをしている。
隣に座る殿下は、「ようやくこの教会も落ち着きそうだ」と目元を緩めて微笑んだ。
私は殿下へと顔を向けると、先程殿下から聞いた説明を整理していた。
「つまり今回の問題について教会は一切関与していない。ワトー家が単独で起こした問題である、ということですか」
「あぁ、そういうことだ。実際にアロイスの父が誰かに指示されたことかもしれないし、自身の信念の元に行ったことかもしれない。
だが教会側の証拠がない以上今はそう決着をつけるしかない」
「⋯⋯それが一番教会にとっての損害はないですからね」
でも何だかモヤモヤする。
もっと関与が疑われる人もいそうなものなのに。
証拠がないため、表立った行動をした者しか裁くことは出来ない。
「ただ今回の事を公にしたくない教会からは、闇の精霊を認めると正式に発表すると返事があった」
「そうですか」
「それと、闇の精霊の謎を調べることも積極的に協力すると約束させた。
まぁ教会がどれだけの情報を出すかは分からないが、貸しが出来たのは大きい」
精霊と密接な関係にある教会の人間が精霊殺しの禁術に関わっていた、と世間に知られると民衆からの批判は凄まじいことになるだろう。
もちろん聖教会は国教であるから、その批判は王家へと飛び火する可能性もある。
それは王家としても避けたいことであった。
その為、禁術の使用については秘匿され、今回の件は公には別の罪として裁かれることになった。
この事は教会側からの申し出である。よって、教会は王家に大きな借りを作ったことになる。
また教会が闇の精霊を認めた、となると表向きは皆闇の精霊に対して好意的な態度を取るだろう。
そして、その闇の精霊と契約した私のことも。
「教会が闇の精霊を光と並ぶ貴重な存在と声明することになった。
これで低位精霊とはいえ、契約したラシェルの立場は少しは安定するだろう」
「ありがとうございます。何から何まで」
「いや、今回はたまたまアロイスが先手を打ったことでラシェルにもクロにも何も起こらなかった」
「えぇ、神官様のお陰です」
「今後もそうだとは言えない。まだまだ闇は謎のままであるからな」
「はい」
殿下の神妙な顔つきに私もまた姿勢を正して頷く。
そう、これで油断してはいけないのだ。
まだまだ色んな人の思惑が渦巻いていることもある。それに闇の精霊についてはほとんどが分かっていないのだから。
「だが、約束する。
いつでも、どんな時も私はラシェルを守るよ」
殿下の碧の瞳は真っ直ぐに私を貫く。
その真剣な眼差しに思わず息を飲む。
こんなにも強い光を持った眼差しを受けたのは初めてだ。
そして殿下は私の手を取るとギュッと握りしめた。
その手からは僅かに緊張を感じさせた。
どうしたのだろう、と殿下の顔を見つめる。
殿下は、大きく深呼吸をした後静かな声で「聞いて欲しいことがある」と前置きをした。
その声に頷くことで返事をする。
すると殿下は目元を緩めて口元に優しい笑みをうかべた。
「ラシェル⋯⋯私は君のことが好きだよ」
好き⋯⋯?
殿下が。私を?
一瞬何を言われたのか頭が理解していないかのように、周りの音が一切聞こえなくなった。
⋯⋯殿下が私のことを好きだ、と言ってくれている。
もしかして、とは薄ら感じてはいた。
でも、まず初めに感じたのは純粋に驚き。
そして歓喜、戸惑い。
ジワジワと頬が赤くなるのを感じる。
口もポカン、と開けたまま瞬きさえもしていないだろう。
だが、徐々にジワジワと殿下の《好きだ》という言葉が私の体を駆け巡る。
春の風が吹いたように、何処かくすぐったい、ふわっと軽くて優しく、暖かいものが心に広がる気分だ。
花が芽吹くように、殿下の姿が、私の視界全ての色彩が鮮やかに変化するよう。
何か温かいものが頬を濡らすのを感じる。
だがその涙を拭う手段もなく、私は視界がぼやけるまま、ただ殿下を見つめた。
何かを伝えなければ。
殿下の想いに応える、何かを。
私の、今の気持ちを。
「何と言っていいか⋯⋯。
隣にいられたら⋯⋯と思います。
でも守られるだけでなく、あなたの隣で支えられるようになりたいです」
殿下の好きという言葉に、同じ気持ちを返せているのかは正直わからない。
ただ、殿下が望むのであれば、私はそれに応えられるよう共にありたい。
素直にそう感じた。
そして今後はもう逃げない。
自分の気持ちに蓋をして、見ないふりをするのを止めよう。
それが、真っ直ぐに見つめてくれる殿下に返せる唯一のものだから。
そして、いつか。
自分の口から殿下に同じ言葉を返せる日が来るといい、そう感じる。
「ラシェル、それは⋯⋯」
殿下は一瞬目を見開くと視線を左右に揺らせて何かを口籠らせた。
そして私は、まだ殿下に伝えなければいけないことがあることを思い出す。
次に会った時に殿下に伝えようと思っていたこと。
「決めたことがあるのです。もう逃げるのはやめようと。
ここで見つけたのです。これから私が何をしたいか」
「あ、あぁ」
この領地で学んだことは多い。
この海や山々の自然溢れる地では、皆活気に溢れ生き生きとした人々が多く暮らしている。
そして、その中で出会った孤児たち。
未来を担う子供に、私が何かを与えようとするには私もまた、まだまだ学ばなくてはならないことが沢山ある。
「王都へ戻って、学園へ行きます。そしてもっと沢山のことを学ぼうと思います」
「あぁ、応援するよ」
殿下は私の言葉に優しく微笑むと、力強く頷いてくれる。
それを見て私もどこか緊張していた心がほぐれ、自然と口元が緩む。
だが、殿下は未だ何かを伝えようと視線を彷徨わせた。「その、さっきの」と何度もはっきりとしない言葉を呟いている。
何かしら。
思わず首を傾げると、殿下は意を決したように口を開く。
「先程の⋯⋯答えは⋯⋯」
しかしその瞬間、脇の階段を登る二人分の足音が聞こえた。
そして、いつも通りの明るい声も。
「おい、ルイ!新しく赴任する神官連れてきたぞ」
現れたのはいつもの黒ローブ姿のテオドール様。
そして気まずそうに顔を伏せながら後ろから歩いてきたのは、何と。
「神官様!どうして⋯⋯」
私がテオドール様の後ろにいる神官様の姿に驚いていると、殿下は全く驚いた様子がない。
それどころか、立ち上がってテオドール様の元へと大股で行くと何かを抗議するように目を吊り上げている。
「全くお前はタイミングが悪い。⋯⋯いや、見計ったな!」
「人聞きの悪い。ほら、挨拶したら?」
テオドール様は殿下の様子など気にも留めずに、神官様の背中を軽く押す。
すると、神官様は眉を寄せて苦しげな表情をする。
「いえ私はここに来る資格は⋯⋯」
神官様の言葉に、殿下は大きくため息をつく。
そして諭すように神官様へと体の向きを変えた。
「アロイス、お前はラシェルを攫ってなどいない。保護していた。そうだな?」
「いえ、私はラシェル様を⋯⋯」
殿下と神官様のやり取りに⋯⋯あぁ、そういうことか。と一人納得する。
そして神官様の顔を見て、ニッコリと笑う。
「えぇ、私は攫われてなどいません」
殿下はあえて罪を被ろうとした神官様を良しとしなかったのだ。
きっと、この神官らしい神官様が今後の教会を支える重要な人材、と考えたのも一つの要因かもしれない。
ここで罪を暴き問い質すのは簡単。
でも、彼が家族と共に裁かれた所で誰も得する人間などいないのだ。
さすがは殿下だわ。
一人納得していると、テオドール様が私の側にそっと近づき、耳元で小さく呟いた。
「いやあいつは恩を売って、何かあった時にしっかり働かせるつもりだよ」
「まぁ!」
思わずテオドール様の言葉にわざとらしく驚くと、殿下は焦ったように近づき、私とテオドール様の間に入り込む。
「おいテオドール、ラシェルに変なことを吹き込むな」
今までポカン、とした表情で私たちのやり取りを見ていた神官様は、ハッとした表情になる。
そして、殿下に向かって片膝をつき手を胸元へ置く。
「殿下⋯⋯この度のこと何とお礼を伝えればいいのか⋯⋯」
「いやその思い全ては民のために。これからまたしっかりと働いてくれれば良い」
殿下の言葉に神官様は唇を噛み締めた。
だが、目を閉じて軽く目元を己の手で拭うと、いつものような優しい笑みをその顔へとのせた。
そして殿下に向かって穏やかな微笑みのまま、紫の瞳を光らせると「でも、本当に宜しいのですか?」
と確認するように首を傾げた。
「は?」
「教会が闇の精霊を認めたからと言って、婚約が確固たるものになった訳ではないのでしょう?」
「う⋯⋯」
人の良さそうな笑みのまま、神官様は視線を私の方へと向ける。
「ラシェル様、王太子殿下との婚約を解消することになったらすぐに教えてくださいね」
「え?」
「その時は私と共に子供たちの未来を明るくするよう尽力しましょう」
その言葉にテオドール様が吹き出した。次いで、私もクスクスと肩を震わせる。
神官様は未だ赤くなっている目元を隠さず、暖かい陽だまりのような微笑みを浮かべた。
殿下だけは「おい!人の婚約者を口説くな!」と神官様に詰め寄っていた。
何処か沈んだ様子のこの教会。
この場所がまた笑い声に包まれる。
良かった。
この教会にまた笑い声が響くようになって。
きっとこれからもこの場所は、温かく穏やかな時間を刻むことになるでしょう。
こうして、私の領地での生活は一旦幕を閉じることになる。
そして王都へと帰ることで、また新たな日常、出会いを迎えることになる。
だが私の選んだ選択により、前の生と随分と変わってしまっていたこと。それによって今後更なる事件が待ち受けているのだが、私はまだそれに気付くことはなかった。
♢
これは教会からマルセル領主館へと移動した後の出来事。
「ところでテオドール、ラシェルの運命の出会いって何なんだ。ラシェルに聞いてもそんなもの知らないって言っていたぞ」
「あー、あれね⋯⋯」
馬車の中で気まずそうに聞かれた《運命の出会い》とやらに、私は首を傾げた。
テオドール様が何かを殿下に伝えたそうだけど⋯⋯何かしら。
「おい、サミュエル!」
「あっ、はい。何でしょう」
お茶菓子を運んでいた所をテオドール様に呼び止められ、驚いたようにビクッと肩を震わせるサミュエル。
だがテオドール様は全く気にする素振りもなく、サミュエルの肩に腕を回し、何か小声で会話をしている。
「お前とあの豆の出会いを王太子殿下が聞きたいそうだ」
「何故!?」
「いいか、よく聞け。もしこれでルイがあの豆に興味を持ってみろ。国内の優秀な人材と国外のツテでお前の悩んでる問題を即解決してくれるぞ」
「なっ!」
「いいか。全てはお前がルイに興味をどう持たせるかにかかっている。ほら、行け!」
「は、はい!」
テオドール様から何かを聞いたサミュエルは、鼻息荒く殿下へと近づいてくる。いつもの殿下を目の前に恐縮した様子と打って変わって、自分から殿下へとジリジリと近づいていく。
瞳は妖しく煌めき、獲物を前にした肉食動物のようだ。
そんなただ事ではない様子を察した殿下は、顔を引きつらせている。
だがサミュエルはそんなことお構いなしのようだ。
「王太子殿下、ではまず大豆という豆についてご説明します⋯⋯」
「は?何故急に豆なんだ」
「この大豆という豆はただの豆では御座いません。様々な可能性を秘めた、魅惑の存在」
「おい、近い!近い⋯⋯わかった、聞くから少し離れろ!」
屋敷には殿下の大声とサミュエルの淡々とした声だけが響き渡る。
そして、テオドール様だけがいつの間にか姿を消していた。
ブックマーク、評価、感想ありがとうございます。
とりあえず領地篇がこれで終了です。
次回からは学園へと舞台を移していきます。
拙い小説を読んで頂きありがとうございます。
今後も楽しんで頂けるように頑張っていきますので、よろしくお願いします。





