34 王太子視点
ロジェの言葉を聞いた瞬間、頭から氷水を浴びせられた感覚がした。自分の体が一気に冷えるのを感じる。
ラシェルが連れ去られた、だと。
「どういうことだ」
「はっ。本日、教会に訪問しておりました。
ですが、ラシェル様と⋯⋯」
「何だ」
「その、神官様が書き置きをして居なくなっておりました」
神官、だと。
今はその名称を聞くことさえ眉を寄せる程嫌だと言うのに。
何故、その神官とラシェルがともにいなくなるのだ。
「書き置きだと⋯⋯」
「これにございます」
ロジェは頭を下げたまま、一枚の紙を私の目の前に差し出す。
《愛の為に全てを捨てることをお許しください》
「駆け落ち⋯⋯ですかね」
後ろから私の手元を覗いたシリルがボソリと小さく呟く。
駆け落ち?
いや、そんなはずはない。
私は思わず、ラシェルからの手紙が入っている胸ポケットを服の上から触る。
そこには確かに神官との関係を否定する言葉が書かれていた。
それが嘘であると言うのか。
いや、そのようには思えない。
もちろん、自分の希望的観測である可能性はゼロではないだろう。
だが、ドナシアン領からの帰りにマルセル領に寄ると言った時、あんなに優しい顔で了承してくれていたではないか。
それに、手紙に《次にお会いした時、殿下にお話したいことがあります》と書かれていた。
そのラシェルが駆け落ちだと?
「それは考えられない」
「まぁ、でしょうね」
「となると⋯⋯あの神官か」
私の呟くような言葉に、傍で控えていたシリルも頷いた。
そもそも、この書き置きの手紙はラシェルの字ではない。
ということは、きっとこれは神官の書いた文字だ。
全く、何が愛だ。
軽々しくそんな言葉を書き連ねやがって、反吐が出る。
クソッ
あの日遠目にチラッとしか見てはいないが、その姿は鮮明に思い出すことが出来る。
あの神官が、ラシェルを。そう考えると頭に血が上る。
何度も冷静になれ、と考える。だが、どうしても苛立ちが隠せない。
「お前は何をしていた、ロジェ」
「申し訳⋯⋯ありません」
「謝れと言っているのではない。何をしていた、と聞いているんだ」
「ラシェル様のいた部屋の前で控えておりました。
そこに、孤児院の子供がきて⋯⋯その、クッキーを作ったと。
それを食べたことは覚えてます⋯⋯ですが⋯⋯その後は記憶が。気がついた時には数時間経っており、教会のソファーに寝かされていました」
「薬を盛られたか」
あの神官は、大方ロジェが孤児院育ちだと知っていたのだろう。そして、幼い子供を大切にしていることも。
その優しさを利用したか。子供から食べてくれと言われて、ロジェは目の前で食べてみせたのだろう。そして、眠っているうちにラシェルは連れ去られたと。
「どんな処分でも受け入れる所存です」
己の行動を悔いたように低頭を続けるロジェを叱責するのは簡単だ。そうしてしまいたい。
だが、そうした所でラシェルが帰ってくる訳ではない。
「お前の処分は後だ。今はラシェルを見つけることだけを考えろ」
「はっ」
自分が考えるよりも己の口から発せられた声は低く冷たいものであった。だが、今まで下を向いていたロジェは顔を上げ、暗く沈んだ瞳に光が現れる。
「すぐに教会へと向かう」
私のその声に、シリルとロジェが動き始めた。
神官、覚えていろ。
私からラシェルを奪うことなど許さない。
必ずお前に地獄を見せてやろう。
シリルがサッと差し出した外套を羽織り、立ち止まることなく私は前だけを見据え進んだ。
マルセル領の教会に着く頃には、辺りは真っ暗な闇に包まれていた。
シスターが言うには、突然神官とラシェルが居なくなったことで教会内は混乱に包まれたそうだ。
だが、シスターとラシェルの侍女が子供たちを宥め、私たちが訪問した時はちょうど泣き喚く子供たちを寝かしつけ、一息ついていた頃だそうだ。
シスターたちも侍女も二人がどこに行ったのかは知らないと口々に言った。皆、二人がどこかに移動する姿も見てはいないそうだ。
だが、ロジェに関しては神官が「疲れて眠ってしまったようなので休ませてあげてください」とシスターに伝えていたそうだ。
護衛中に眠るなどあることなのだろうか、とシスターも疑問には感じたそうだが、何と言っても信頼の厚い神官の言うことだ。そういうこともあると納得してしまったのだろう。
昼過ぎになっても現れない神官とラシェルを不審に思ったシスターが二人を探し始めた所、この書き置きを見つけた。
皆の話を要約すると、そういう事だそうだ。
「それで、何かみつかりましたか」
神官の部屋に通された私たちは、何か手掛かりが見つからないかと部屋中を調べていた。
執務机の上には教会関連の雑務についての書類ばかりだ。あとは、ここの孤児関連。孤児たちの就職先や親族とのやり取りなどだ。
大したものはみつからない。
思わず拳を握りしめて、机の上をドンッと叩く。
刻一刻と時は過ぎるのに、こんなにモタモタしている暇はないんだ。
気持ちとは裏腹に焦りだけが募ってくる。
カタン、という音に思わず後ろを振り向く。
「殿下、これを見てください」
「何だ」
「この引き出し、二重になっています。下にも棚があるようですね」
「開けてみろ」
奥の棚を調べていたシリルが何かを見つけたようだ。シリルの方へと向かうと、棚の引き出しの一つを指差した。
シリルが棚の上部を外すと、中から大量の手紙が出てくる。
「これは⋯⋯」
「差出人はイレール・ワトー⋯⋯レイモン・ワトー⋯⋯親族か」
「イレールは父でレイモンが上の兄です」
「よく知ってるな」
「えぇ、私はとても出来る部下ですからね」
まず一通一通の差出人を確認していると、シリルが神官との関係性をずばりと当てた。
いつの間にそんなことを調べていたんだ。
⋯⋯全く、これだからこいつは手放せない。
いつも見事に私の手が届かないところを補佐してくる。
それがシリルという男だ。
だが、今は感心している暇もない。
「それで、全て中身を確認しますか」
「あぁ、頼めるか」
「はい」
シリルに手紙を確認してもらう間に、私は他の手がかりを探す。
特に今何より優先したい情報、ラシェルがどこにいるのか。
シスターたちも神官がいつ出て行ったのか気づいていないと言っていた。
それが虚偽でなければ、神官がここから移動する手段として、目立った行動は取っていないだろう。
ということは、そう遠くまでは行っていないかもしれない。
だが、場所の特定が出来ない。
何しろマルセル領は王都と違って自分の知らないことがあまりに多い。
身を隠す場所も手段も⋯⋯全く情報がない。
こうしている間にもラシェルは怖い思いをしているかもしれないというのに。
早く無事を確かめたい。
早く、早く⋯⋯。
どうにかして早く見つけ出さねば。
⋯⋯何か手掛かりを。
未だ確認していない本棚や引き出しを手当たり次第手につける。
本はその辺りに散らばり、書類は散乱している。
でも、そんなこと構うもんか。
すぐにでも助け出さなければ。
「うわー、何これ。えっ、ルイって物盗りに仕事変えたわけ?」
背後からのんびりとした声が聞こえ、ビクッと肩が上がる。
「テオドール⋯⋯なぜ、ここに」
何故かクロを抱き抱えたテオドールが立っていた。
「まぁ、いい。今はそれどころじゃない」
また転移の術でも使ったのだろう。
だが、今そのことに構っている暇などない。
「この散らかりよう酷いな」なんて呑気に部屋を見渡すテオドールが今は酷く苛立つ。
「いや、お前は俺の話を聞いた方がいいよ」
「急いでるんだ!」
いつもと同じくニヤリと不敵に笑うテオドールがとても煩わしく感じる。
その苛立ちをぶつけるかのように声を荒げる。だが、私のそんな様子を気にする素振りもなく、テオドールはヒューとからかうように口笛を吹く。
「いい加減にしろ!」
「はいはい、ちょっと落ち着こうか。
まずは冷静に情報を擦り合わせよう」
テオドールの言葉に、違和感を感じる。
情報を擦り合わせる、と言ったか。
ふっと急激に頭が冷える。
「何か知っているのか」
「あぁ。俺が調べていた辺境の事件」
「怪しい術の跡、か」
そう言えば、この間あった時に魔術師団に呼び出されたと言っていたな。
他の事に頭がいっぱいですっかりと忘れていた。
だが、そのことがどう関係があるのだろうか。
「あれ、解析を進めたらさ、なんと禁術でした」
「禁術」
禁術⋯⋯その名の通り、危険度が高く使うことを禁じている術である。
使ったものは危険人物として問答無用で牢屋行きである。
人の行動を操ったり、記憶を操作したりというものがあげられる。
だが、禁術を操れる者は普通の者では無理だ。余程の魔力が高い者でなければ。
そう、このテオドールぐらいになれば軽く操りそうだが。
思わず身震いしそうになり、首を左右に振る。駄目だ、考えるのはやめておこう。
そもそも、王族は禁術が掛からないよう幼い時に大神官から特殊な術をかけられているが。
だが、禁術⋯⋯か。
そんな術に手を掛けるのであるから、きっと魔力の相当強い者だろう。
その術も、きっと術の上に更に術を掛けている筈だ。そうして違う術を使用したように見せかける。
普通であれば、見破ることは出来ないだろう。
だが、術を掛けた者が知らない事実。
とんでもない常識外な天才が存在しているという事実。
魔術師団でもテオドールか団長辺りでなければ見破るのは難しかっただろうな。
「で、何だと思う?」
「いいから早く言え」
「はいはい、あれね。通称⋯⋯精霊殺し」
「は?」
「狙われてるのは、多分この子」
テオドールが抱いていたクロを少し上へ掲げる。
クロは、テオドールの言葉に答えるかのように『ニャー』と鳴く。
「そして、ラシェル嬢の所に連れてってくれるのも、この子」
『ニャー』
ラシェルの所に連れていってくれる、だと。
この黒猫⋯⋯クロが。
どうやって。
疑問しか浮かばない中で、私はただじっとクロを見つめるしかなかった。
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