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「お父様、では行ってまいります」
「あぁ、体に気をつけるんだよ。母様のこともよろしくな。彼女はちょっとそそっかしいから」
「ふふっ、はい」
出発を待つ馬車の前で、お父様に出発前の挨拶をしていた。
お父様の後ろにはポールが立っており、私たちのやりとりに優しく目を細めていた。
お父様は私を力一杯に抱きしめると、長身を少しかがめて目線を合わせる。「あぁ、やっぱり⋯⋯うーん」など考え込むように何かを唸りながら呟いている。
思わず首を傾げていると、そこへ荷物の確認をしていたお母様が戻ってきた。
「ラシェル、準備は大丈夫そうだわ。そろそろ行くわよ」
「はい」
「二人に暫く会えなくなるなんて、寂しいよ。やっぱり、私も一緒に⋯⋯」
「あなたは仕事がありますでしょ」
私を抱きしめたまま離さないお父様に、お母様が近づき私をお父様からベリッと剥がす。
そして、あっさりと「では、行ってくるわ」と微笑みながら言うと、さっさと御者に手を借り馬車へと乗り込んでしまった。
お父様は、それにショックを受けたように呆然とした様子で肩を落とした。
「あー⋯⋯では、着いたら手紙を書きますね」
「あぁ、待ってるよ」
どこか力が抜けたような様子のまま、お父様が馬車に乗る為に手を貸してくれる。そして、馬車の中へと入るとお母様の隣へと座った。
すると、既に馬車に乗り込んでいたクロが、私の膝の上にピョンと飛び乗り丸まって座った。
「⋯⋯行ってまいります」
扉が閉まった馬車の中、誰に言うでもなく呟くように言う。
そして、馬車がゆっくりと動き始めた。
馬車の窓からは、慣れ親しんだ侯爵邸が徐々に遠ざかっていく。
これから出発するのね。
正直いうと、やっぱり不安はある。
領地といえど、私は十歳の頃に行ったのが最後だ。しかも、短い滞在期間の中で外に出ることもなく早く王都に帰りたいと文句ばかり言っていた記憶がある。
だから、海も馬車の中からチラッとしか見たことがない。もちろん街へも行ったことはない。
だが、そんな気持ちとは反対にワクワクもする。
自分がこれから見るもの、知るもの、学ぶもの。どんな経験をするかは分からないが、新たな所へ一歩踏み出すことへの期待に胸がときめく。
それに、もちろんサラが同行してくれる。そして、すっかり私の料理担当として定着しているサミュエルも。
また、護衛に一人、殿下から騎士団の者を貸していただくこととなった。
第三騎士団の中で平民出身だが腕が立つ、所謂出世株だそうだ。そんな人が騎士団から離れ、私の護衛をしてくれるとは、その期間手柄も立てることが出来ずとても申し訳ない。
だが、本人は「仕事は何でも全力で臨みますんで」と何ともなさそうに言っていた。
ちなみに、その護衛というのがこの間の殿下と行ったお忍びで、一緒に馬車に乗っていた紺髪の騎士だ。名前はロジェと言い、とても礼儀正しいが無駄口は一切叩かない無口なタイプのようだ。
今も馬車のすぐ隣で馬に乗り並走している。窓から覗くと、余所見もせず前をまっすぐと見据えている。
そんな、窓の外を眺める私に
「ラシェル嬢、楽しい旅になるといいな」と、軽やかな声が向けられる。
そう、もう一人同行者がいる。
私の向かいから聞こえる声、これはテオドール様だ。
実は、彼も一緒に領地へと行くことになった。出発までどうするか揉めながらの調整だったらしく、実際に一緒に行くことになったと聞いたのは昨日だ。
どうやら闇の精霊を調べるためには、クロの側にいた方が良いだろうという考えからである。
移動が同じ馬車なのは、「俺けっこう強いよ?一緒の方が安全だよ」との言葉に両親が是非、と言ったからである。
暫く魔術師団から離れることになる為仕事の方はいいのか、とも思うが。
そこは闇の精霊を調べるため、ということで内密に許可を貰ったらしい。表面上は王太子からの秘密業務ということになっているらしい。
相変わらずクロはテオドール様に『ニャーニャー』と可愛らしく鳴いて、何かを訴えている。
対するテオドール様も「ははっ、わかったわかった。後でいっぱい遊ぼうな」とクロの頭を撫でている。
うーん。
意思疎通取れている?なんで?
やっぱり、テオドール様は侮れない。
♢
王都から出発すること五日、ようやくマルセル侯爵領に入った。
通常であれば馬車で三日で着くが、今回は私の体調を考えて休憩を多くとっている為に旅の日程が伸びた。
「さぁ、ラシェルついに海が見えたわ。もうすぐ領主館に着くわよ」
「えぇ、お母様。楽しみだわ。
それに、海がキラキラと輝いて綺麗だわ」
「そうね、屋敷は海を見下ろせる位置にあるのよ。今度ゆっくり海辺に遊びに行くといいわ」
「はい!」
お母様の言葉に頬が緩むのを感じる。
こんなにもハッとするほど海は綺麗なのね。
海の波が太陽の陽に照らされて、キラキラと煌めく。
海鳥が風に乗って空高く飛ぶ姿も見える。
あぁ、早く行ってみたいわ。
クロも『ニャー』と鳴き、興味深そうにキョロキョロと窓の外を見ている。
クロの背を毛並みに添って撫でると、いつもと違いじっと大人しくしている。
クロもここが気に入ったのかしらね。
「おっ、海か。海鮮食べ放題だ」
テオドール様は相変わらずだ。
相変わらず飄々とした様子で疲れも見せずに、「貝は外せないな。そういや、あの料理人変わった料理作れるって言ってたな」などと呟いている。
人のしんみりとした気持ちなんてお構いなしのようだ。
この旅の間も、宿泊先に着くとふらっと居なくなり、いつの間にか戻る。ということが何度もあった。
だが、考えすぎる私にはこのテオドール様の雰囲気が随分助けになっている気がする。
兎にも角にも、今日から新たな日々が始まる。
とりあえず、屋敷に着いて数日落ち着いたら街に出かけてみよう!
気持ちを新たに、窓からの景色を眺める。





