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地下牢の入り口で気絶している兵たちに、私はテオドール様に物言いたげに見つめた。すると、テオドール様は「あぁ」と何かを思い出したように彼らを一瞥した。
「……地下牢の鍵はもう使わないな。一応返しておくか」
「……やはり、この兵たちを倒したのはテオドール様だったのですね」
伸びている兵の近くにキーリングをポイッと置いたテオドール様は、その後すぐに違う鍵を取り出すと近くの扉を開けて、迷うことなく進んでいく。
「ここは城の裏道ですか?」
今歩いているこの通路は、皇城内の廊下というよりは、地下トンネルと言った方が正しいだろう。
テオドール様が持つ魔石ライトによりトンネル内はオレンジに染まっている。だが、灯りがなければおそらくこの道を出口まで進むのは無理だろう。
「そうだ。あくまでこの道は皇族の避難ルートだ。とはいえ、大陸一の強国であるトラティア皇族がこの道を使ったことなど、歴史上一度もないだろう。整備はされていないし、歩きにくいと思うが大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
キッパリと言い切る私に、テオドール様は僅かに目を見開いた後、安心したように笑みを浮かべた。
「偽のルートも多数用意され、様々な罠まであるダンジョンのような作りだ。絶対に俺から離れないように」
「分かりました! クロとロゼも大丈夫?」
『ニャ!』
『キュッ』
後ろを着いて来るクロとロゼに声を掛ける。すると、二匹は元気いっぱいに返事をした。
「よし。この別館から地下を通って、まずは本館へと戻る。一度地上に出てから皇帝の執務室に入り、そこから城の門まで一直線だ」
テオドール様の声に、私はドクドクと脈打つ鼓動を感じながら夢中で足を進めた。そんな私に、テオドール様は何か言いたそうな視線を寄越した。
「どうかされましたか?」
「……いや。随分と俺を信頼してくれるから」
テオドール様の言葉に首を傾げる。
「あなたはカルリア公子に良いように使われて裏切られた。もちろん、悪いのはあなたではなく、皇帝やカルリア公子だ。……それでも、俺はさっきまで彼らの仲間だったと言える。それでも、俺を信用出来ると?」
「……テオドール様の仰る意味は、よく分かります」
「いや、信頼してくれるのは嬉しいが……少し心配にもなる」
テオドール様が心配するのも無理もない。リュート様のシナリオはあまりに巧妙で、タイミング良くテオドール様が助けに来てくれたことも本来であれば疑った方が良いのだろう。
「正直、私を助けにテオドール様が来てくれるとは思っていませんでした」
もちろん、記憶を失う前のテオドール様はいつだって側で見守り、危険に駆けつけてくれた。だが、今のテオドール様は同じテオドール様でありつつも、過去のテオドール様とは違う。――私を助ける理由は彼にない。
「だけど……もし今、テオドール様が私を騙そうとして近づいたのだとしても、私はあなたを恨むことは決してありません。それよりも、テオドール様を信じた自分を誇りに思います」
キッパリと言い切る私に、テオドール様は驚いたようにピタリと足を止めた。
「……その信頼を勝ち取ったのは、記憶を失う前のテオドールなのだな。……そう思うと、嬉しいようで残念にも思うよ」
眉を下げてそう呟いたテオドール様は切なげに微笑むと、再び足を動かし始めた。
「えっ……?」
「いいや。……大事な思い出を忘れてしまってすまない」
その言葉に、私は大きな間違いを犯していたことに気がついた。
――どうして、そんなにも記憶に拘ってしまっていたのだろう。
人は多かれ少なかれ忘れるものだ。どちらか一方だけが覚えていて、相手が大事な記憶を失っていると分かれば、蔑ろにされた気がして、その思い出さえも否定された気がする。
だけど、本当に辛いのは記憶をなくした本人なのではないか。
――一番不安なのはテオドール様本人なのに……私は……。
「……実は、私も忘れていたのです。ずっと側で私のことを見守っていた人との思い出を」
ポツリと呟いた声は小さいにも関わらず地下道によく響いた。
――トラティア帝国に連れて来られ、目覚めたあの日。私は長い間、大切な思い出を忘れていたことを知った。テオドール様との幼い日々の記憶を。
もしかすると、テオドール様が幼い頃のお兄さんの姿と重なって見えなければ、今も思い出していなかったかもしれない。
「だけど、その人は私に思い出して欲しいとも、何で忘れてしまったんだと責めることもしませんでした。ただ、ずっと近くにいてくれたのです。昔と変わらず……私の覚えていない約束をずっと守ってくれていたのです」
テオドール様は小さい時に出会っていたことなど一度も口にせず、1人で幼い私とした約束を大事にしてくれていた。
――それなのに、私はテオドール様が龍人の能力によって記憶を失ったと知った時、何としてでも記憶を取り戻すと。それに夢中になってしまった。
目の前のテオドール様が何度も言った「このままで良い」という言葉を無視して。
「……私が記憶を取り戻して欲しいと、あなたに何度も言ったのは間違っていたのでしょうね。テオドール様は、記憶があってもなくても大切な人だということに変わりはないのに」
きっと過去のテオドール様も同じ気持ちだったのかもしれない。思い出して欲しい。だけど、負担にはなって欲しくない。
大切な思い出は私が覚えている。いつだって近くから、遠くから見守り続けてくれたテオドール様の優しさも思い出も全部私が大切に持っていれば良い。
「……ここからまた、新しく作っていきませんか?」
「新しく?」
「はい。私、一番大切なことを忘れていたようです。……テオドール様が幸せに笑ってくれるのなら、それだけで良い。それが何より一番大切だということを」
逆の立場だったら、テオドール様は絶対にそう思ってくれたはず。
「謝るのは私の方です。……テオドール様、ごめんなさい」
立ち止まって頭を下げる私に、テオドール様は一瞬たじろいだ後、私の肩を掴んで顔を上げさせた。
「本当に、このままで良いのか?」
「もちろんです」
にっこりと微笑む私に、テオドール様は肩を竦めた。
「……ありがとう」
安堵の笑みは、柔らかく本来のテオドール様の優しい微笑みだった。
『ニャー、ニャッ!』
その時、後ろからまるでクロも同意するように、元気な鳴き声を響かせた。そんなテオドール様は「ははっ、最初から怒っていないよ」とクロに応えた。
そんな二人だけのやり取りを不思議に思っていると、ハッとテオドール様が驚いたように立ち止まった。
「あれ? 今、この精霊……喋ったよな?」
「え? あぁ、元気良く鳴いていましたね! おそらく、テオドール様はそのままで良いって同意してくれているのではないでしょうか」
テオドール様は足元にいたクロを抱き上げながら眉を寄せた。
「いや……『クロに免じてラシェルを許してくれ』と」
『ニャー!』
「ほら、『テオドールが分かってくれた』……って、え?」
「クロが……ですか? 私にはいつも通り、ニャーッと鳴いているように聞こえていますが……」
テオドール様はクロの顔をまじまじと見ると、私へと視線を向けた。私は首を傾げながら、テオドール様の言葉の意味を考えた。
「あっ……テオドール様、もしかして……」
――クロの言っていることが分かっている?
テオドール様も同様のことを考えたようだ。驚いたように目を丸くしながら、「どうやら、言葉が分かる……みたいだ」と呟いた。
「でも、なぜ急に?」
テオドール様は記憶を失うと同時に、精霊と会話するというテオドール様にしか出来ない特別な力を失った。それが、急に元に戻るなんて……。
嬉しいと思う気持ちと同時に、テオドール様も困惑が強いようだ。だが、テオドール様は何かに気付いたようにハッとポケットを探った。
「分からない。……だが、もしかするとこれのお陰かもしれないな」
「光の純魔石と闇の純魔石?」
テオドール様が取り出したのは、クロがテオドール様に渡した闇の純魔石。そして、おそらくテオドール様が作ったであろう光の純魔石だった。
「さっきまで別々に持っていた魔石を、地下牢を出る時に同じ場所に入れておいたんだ。……考えられるのはそれぐらいしかない」
「光と闇を合わせた結果、テオドール様の力が戻った……ということでしょうか?」
私の言葉に、テオドール様は神妙に頷いた。
「この魔石の効果はまだ確かではない。だけど、もしかすると諦めるのはまだ早いのかもしれないな」
「記憶のことですか? ですが、無理をせずとも……」
「まだ自分がどうしたいかは分からない。だけど、この先もしかしたら俺自身が自分の記憶を取り戻したいと考えるかもしれない。それに、奪われたままというのも癪だろう?」
ニヤリと笑みを浮かべたテオドール様は、大事そうに魔石を握りしめるとこちらへと視線を向けた。
「だから、可能性があるのなら……その時は協力してくれるか?」
「もちろんです!」
――一番はテオドール様の気持ちを大切にしたい。だけど、もしテオドール様が望むのであれば……その時は。
『ニャ!』
私の言葉に被せるように、クロが大きな声で返事をした。そんな私たちに、テオドール様は「……頼もしいな」と、嬉しそうに破顔した。
「では! その為にも、まずはこの城から逃げ出さないと……ですね」
私の言葉に、テオドール様は頷いた。オレンジのライトに照らされたその表情は、どこか清々しくすっきりしたように見える。
「あぁ、その通りだ。城から抜けた後は、変装して国外へ脱出しよう。……そして、俺の魔術で移動しながら数日の内にはデュトワ国へ行く」
「数日中に……」
――デュトワ国に……そして、ルイ様の元に。
遠い自国を思い浮かべる。爽やかな風に乗って花の香りが優しく包む。バラの咲き誇る庭園には、陽の光を浴びてキラキラと輝く金の髪。振り返り私を見つめる蒼色は、どこまでも続く深い海の色。
彼を想うだけで、私の心臓は大きく音を鳴らす。
「帰れるのですね……」
呟いた私の声に、テオドール様は眉を寄せた。
「心配? 大丈夫。ほら、金も宝石もいっぱいあるし」
そう言いながら、テオドール様は腰に着けていたベルトポーチを開き、中に入っている宝石や金貨を私に見せた。
「……その高級そうな宝石たちは、一体どこから」
「あぁ、皇帝陛下の金庫から頂いてきた」
ケロッとした物言いに、思わずギョッとする。
「それ、泥ぼ……」
「失礼だな。れっきとした俺の退職金さ」
ニヤリと笑うその表情に、私は思わずクスッと笑みを漏らした。





