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3−44


 私の身体がようやく自由を取り戻したのは地下牢の中に入った瞬間だった。


「ここでしばらく休んでいてください」


 ガチャンッ、と鍵を閉めたリュート様は柵越しに私に気遣うような優しい笑みを見せた。


「出してください!」


「あなたの安全のためなのです。分かってください。僕も陛下もあなたを傷つけたくはありません」


 幼な子に言い聞かせるように、リュート様は眉を下げた。


「……リュート様」


「はい、何でしょう?」


「……あなたがテオドール様の記憶を失わせた張本人だというのは、本当ですか」


「本当ですよ?」


 それが何か、とでも言いたげなリュート様にゾッとする。私がテオドール様の記憶を戻そうと必死で努力していたのを、すぐ側で嘲笑っていたのだから。


「協力すると言ったのは……あれは何だったのですか」


「不思議ですよね。人は信用していない人物に言われた内容は、本当のことであっても疑ってかかる。それなのに、その人物が所持していた本の内容は信じてしまうのですから」


 コテンと首を傾げたリュート様に、一切の罪悪感などないのだろう。


「言葉は信用しないのに、古書であれば信じられる。人が持ってきた情報は疑うのに、自分が見つけ出した情報は正しいと思う。……僕とあなただけでは成立しなかった関係が、共通の敵を作り出しただけで信じてしまうのですから」


「……っ!」


 悔しいのに、怒りで震えるのに、それなのに……リュート様の言ったことが図星で、自分が恥ずかしくなる。


「自分が選択した。決定権は自分にあった。自分で探し当てた情報だった。……疑う隙を与えない、完璧なシナリオだったでしょう?」


 ただただ純粋に微笑むリュート様に、得体の知れないものと対峙しているようで悪寒が走る。 


「ちなみに、陛下の妃になるであろうあなたには、特別に教えてあげましょう」


「誰が……」


 誰がなるものかと言おうとした言葉は、リュート様のグレーの瞳に遮られた。 


「さっき身体の自由が効かなかったでしょう? あれも僕の龍人の力の一種なんですよ」


 リュート様は右手の手袋を外すと、私に見せつけるように手の甲に浮かぶ痣を見せた。


「僕の能力は記憶を操作することだけではありません。僕の能力は精神介入。感情、思考、行動を僕の思いのままにすることが出来ます。記憶操作はそれの付属品みたいなものですね」


 リュート様の言葉に、私は目を見開いた。


 ――だって、そんなことが可能だったら……。


「そう。人を人形のように出来ますね。僕の両親も、一部の貴族も、あと城の使用人の中にも僕のお人形がいるんですよ」


 平然とそう言い放つリュート様は、本当に私と同じ心を持つ人間なのだろうか。


「でも、陛下が始祖様の力を取り戻せれば、僕の能力なんて大した役には立たないかも知れませんが」


「……そんな」


「今は強大な力を取り戻している最中でまだ制限が多いですが、あと少しで陛下は神の力を手に入れられる。……同じ時代に生きられるなんて何て幸運なんだ」


「……狂っているわ」


 呟いた声に、リュート様はジッと冷めた目でこちらを見つめた。


「あなたも本当は彼と同じように新しく生まれ変わらせてあげた方が良いと思うのですが、陛下がまだダメだって言うんですよね。あなたには、まだそのままで価値があるからって」


「あなたは、私が嫌いなの?」


「嫌い? ラシェル様が? ふふっ、まさか。僕が自分からお人形にしてあげる人は、僕が気に入っている人だけですよ」


 ――まさかリュート様が天使の皮を被った悪魔だったとは。


 彼には善も悪も存在しない。リュート様の中にあるのは、アレク・トラティア皇帝という彼の信じる神しかいないのだろう。


 リュート様は「さーってと」と呟くと、くるりと踵を翻した。 


「そろそろ陛下に言われた通り、テオドール・カミュを探しに行かないと」


「テオドール様に手を出したら許しません!」


 振り返ったリュート様は、柵にしがみ付く私を感情の篭らない目で見下ろした。


「ふふっ、滑稽ですね。あなたは僕に指一本でさえ傷つけることが出来ないというのに」


「出して! ここから出しなさい!」


「ここで存分まで泣き喚いてください。あなたに出来るのなんてそれぐらいでしょう?」


 馬鹿にするように鼻で笑ったリュート様は、私に見せつけるように牢屋の鍵をプラプラと左右に揺らした。


「次、この地下牢を出る時は世界が変わっていますよ」


 爛々とした瞳には何が映っているのか。


「楽しみにしていてくださいね」


 そう言い残し、リュート様は地下牢から去って行った。





 地下牢に入れられるのは二度目。だけど、今度は別の部屋のようだ。


 ――この地下牢はどれほど大きいのだろう。


 前回この場所に入れられた時は、泣き叫ぶしか出来なかった。無力な自分に絶望し、変えられることの出来ない現状を嘆いた。だけど、今度は違う。


 ここにいれば、また皇帝やリュート様に利用され、結果として国を民を愛する人を傷つける結果になるだろう。後悔も反省も後から思う存分する。


 だから、今は力の限り抵抗してみせる。


 私は空に魔法陣を描く。そしてその中央に手を翳した。すると、私の手の中には純魔石が現れた。


 ――この魔石を皇帝は強く欲し、利用した。私がこの魔石を生み出さなければ、皇帝は龍化することはなかった。


 だけど、それほどまでに強い力を宿しているであろう精霊の力を込めた魔石だ。おそらく私の力になってくれるだろう。


「お願い。私がここから出る手助けをして」


 そう祈りを込めて魔石を握り締めた。すると、手の中にある魔石はそれに応えるように暖かくなると同時に、眩い光を発した。


 その時、バサッと大きな羽音が私の耳に届いた。


『キュー!』


「ロゼ!」


 柵の隙間を縫ってピュンッと私の胸に飛び込んで来たロゼを受け止める。ロゼは嬉しそうに目を細めながら私の首元に顔を擦り寄せた。


『キュー、キュッ』


「えっ、どうしたの? こっちに来いってこと?」

 すぐにロゼはハッとしたように私の袖元を口に咥えて柵の方へと引っ張った。不思議に思いながらもロゼの引っ張る方へと向かった。


 柵に手を添えながら外の様子を伺う。すると、廊下の向こうから黒い小さなものがこちらに掛けてくるのが見えた。


「もしかして! クロ!」


『ニャー』


 私の声に反応したように、クロは愛らしい鳴き声で返事をした。


 柵の前まで来るとクロは身体を捻って中へと入ろうと試みた。だが、細い柵の隙間に上手く身体が入らなかったようで『ナァ』と悲しそうに鳴いた。


 柵の隙間から手を伸ばす。すると、その手にクロが頭を寄せた。

「いい子ね」


 クロの頭を撫でていると自然と顔が綻ぶのを感じる。


 心を強く持とうと思っていたけど、やはりどこかで心細かったのだろう。胸がじんわりと温かくなる。


「だけど、どうやってここまで来ることが出来たの?」


 確かに契約精霊であるクロは私の場所が分かるらしい。だが、隙間を自由に飛び回れるロゼとは違い、クロがここまで自力で来られるとは。


「ありがとう、クロ。それにロゼも」


 二匹の頭を交互に撫でる。すると、ロゼは嬉しそうに私の周囲を飛び回り、クロは私の手に尻尾を絡ませた。


 その時、クロが片手にずっと持っていた純魔石をパクッと咥えてしまった。


「あっ、クロ!」


 慌てて制する私の手を避けて、クロはチラリと私の方へと振り向くとそのままどこかに走って行ってしまった。


「クロ! どこ行くの……クロ!」


 柵を掴みながらクロの名を何度も叫んだ。だが、地下牢の中で私の声だけが響き渡るだけで、クロは走り去ったまま戻って来ない。


「……どこに行ったのかしら」


 クロとロゼの姿に安心したのも束の間。

 クロが何の考えもなしに魔石を勝手に持ち去り、消えてしまうとは考えられない。だからといい、クロがどこに行ってしまったのか想像がつかない。

 


 ご機嫌に地下牢の周囲を飛び回るロゼを視線で追いながら、私は消えてしまったクロが心配で牢屋の中をウロウロと彷徨った。


 とにかく、まずこの牢屋を出てクロを探さないと。そして、今皇城がどんな状況になっているかは分からないが、ここから脱出する。


「鍵は……リュート様が持っているのよね。……でも、おそらく予備の鍵はあるはず。さっきから何回か見回りに来ていた衛兵が持っている可能性はあるわ」


 そう考えながら呟く。すると、側で聞いていたロゼが何かを訴えるように、『キュッ! キュー!』とくるくる鍵の周りを飛び始めた。


「え? 鍵を探してくれるの?」


『キュッ!』


「ありがとう、ロゼ。あっ! でも、無理は絶対にしてはダメよ」


『キュー』


 私の言葉に、ロゼは嬉しそうに目を細めた後、翼を懸命に動かしながらあっという間に飛んで行ってしまった。


 さっきまでいたロゼとクロがいなくなった牢屋の中は、一気に静かになり部屋が広く感じる。

 それでも、ロゼを信じながら自分で出来ることをやらなければ。


 私は、一人で鍵をどうにか壊せないかと様々な魔術を試していた。


「次は……水と風魔法を応用してみる? それとも……」


 ひとり呟きながら鍵と格闘していると、遠くからロゼが飛んで来る様子が見えた。



「ロゼ! おかえりなさい」


『キュッ』


 小さな羽をパタパタと動かしているロゼだが、先ほどここから出て行った時と何も変わらずに戻って来た。


「鍵は……なかったのね。大丈夫、他に何か策を見つければ良いだけよ」


 落胆を見せずに、ロゼに笑顔でそう伝える。

 だが、ロゼは全く落ち込む様子もなく、どこか嬉しそうに『キュー』と鳴いた。


 その時、バタバタとこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえて来た。


 ――えっ、何!


 間違いなくこちらに真っ直ぐ向かってくるであろう足音に、すぐ側を飛んでいたロゼを抱えて咄嗟に牢屋内のテーブルの影へと隠れる。


 息を潜めて身を縮こませる。耳を澄ませると、ガチャガチャと金属の音が聞こえてくる。


『キュ!』


 その時、大人しく腕に抱えられていたロゼが勢い良く私の腕から飛び出してしまう。


「あっ、ロゼ!」


 小声でそう叫んだ。


「えっ……」


 身を乗り出した先には柵外へと今にも出て行こうとするロゼと、その向こうに見えるクロの姿。


 更にその先に、見知った人物を見つけた私は、驚きに目を見開いた。


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