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3−42 アレク視点

 アレク・トラティア。

 その名を受けて生まれた俺は、自分がこの国の皇族だということに六歳になるまで知ることがなかった。


 戯言のように「あなたがこの国の皇帝になる」と、まるで呪いの言葉のように俺の耳に囁き続けた女は、俺の物心がついた時には既に正気を失っていた。 


「アレク、アレク……どうか……助けて……」


 そう懇願した女の声を無視し、俺は自分の思うままに剣を振り上げた。


 眼前には、俺をこの世に誕生させた忌まわしい女が血を流し倒れていた。あえて確認せずとも既に心臓は止まっているだろう。 


 ――全ての元凶はこの女だ。


 欲深い身の程知らずのこの女が、俺という悪魔をこの世に生み出してしまった。


 小さな屋敷で、たった一人の使用人が俺が母親を殺している現場に居合わせた。使用人は慌てて屋敷を飛び出し、その後ぞろぞろと現れた騎士たちにより俺は大きな城へと連れて来られた。


 その日から、俺の世界は一変した。


 自らのことを父親だと名乗った者は、この国の皇帝だという。そして、俺は強国トラティア帝国の第三皇子であるということを知った。


 母の言っていたことはただの戯言ではなかったのか。そうぼんやりと頭で考えていると、まるで値踏みするような視線で皇帝が俺を見た。


「なぜ、母親を殺した」


「なぜ? ……なぜでしょう」


 本当に分からなかった。なぜ俺は母を殺したのか。


「多分……うるさかったから、かも。そう、今日はいつもよりうるさかったから」


「それだけで、たった一人の母を殺したのか。で、あれば父である儂をも殺すことも出来るか」


 この人は何を言っているのだろう。今日初めて会った父親なんて、他人も同然なのに。


「お望みでしたら、いつでも」


 その答えは皇帝にとって合格だったらしい。


 俺の住まいは小さなボロい屋敷から、皇城の本館にほど近い豪華で立派な離宮へと移された。父は俺に一流と呼ばれる者たちを教師に就け、将来は皇太子である兄を支えて欲しいと俺に言った。


 だが、同時に母を殺し、人を殺すということを覚えた俺が、次々と教師を殺していくことに手を焼いたらしい。


「また教師をダメにしたか。……ところで、其方は生まれてから一度も剣を扱ったことがないと聞く。だが、其方の太刀筋は熟練のそれだ。……どこで習った」


 ある日、父にそう尋ねられた。


「どこ……。夢の中、でしょうね」


 夢の中で、俺はドラゴンとして自由に空を飛ぶ。更には人間として剣を振り回し、魔術を使いこなす。その夢の話をすると、父は習ってもいない魔術を披露しろと言った。


「では、あの塔を壊して見せましょう」


 俺がそう言うと、父は可笑そうに笑った。子供の戯言だ。

 あのような頑丈な建物を齢六歳の子供が無理に決まっている。そう思ったのだろう。


 古代魔法を使いあっさりと塔を粉々にした俺に、父は驚きと共に怪異を見る目を向けた。


 その日の噂はあっという間に広がった。それからというもの、俺の周りは一層うるさくなった。俺を天才だと担ぐ者や皇位を脅かされそうで恐れる者。俺はそんな奴らに興味などないのに、騒がしい者たちのせいで苛立ちは日に日に募る。


 人間でも物でも、壊せるものは何でも壊した。俺のその破壊行動に、心酔する者は「流石は龍人の血筋。破壊欲の高さは龍人の能力の高さでもある」と益々うるさくなった。


「流石は第三皇子殿下だ。始祖の生まれ変わりだと言われるのも頷ける」

「あの方の生まれは残念だが、トラティア帝国の復活において、第三皇子が不可欠だろう」

「皇太子の選定をし直した方が良いのでは」

「選定をし直したりすれば、第一皇子殿下の母君である皇妃が黙っていないだろう」


 ――うるさい、うるさい、うるさい。


 力もない者共が必死に媚を売る姿も、俺を害そうとすることも滑稽であり、煩わしい。なぜ、この世はこんなにもうるさいんだ。なぜ、こんなにも苛立つのだ。なぜ、俺はこんなにも煩わしい世界で生きなければならないんだ。


 成長するにつれ、煩わしさは強烈な怒りへと変化していった。


 その頃、俺を神のように崇める従弟リュート・カルリアに出会った。


 あいつは出会った時から、俺の全てを肯定し俺が煩わしいと感じるものを遠ざけ、ストレス発散の方法を教えた。


「殿下はお好きなように振る舞えば良いのです。片付けは全て僕が行いますから。そうだ、人を殺すことが怒りを鎮めることになるのなら、他国を滅ぼせば良い。そうすれば、もっと気分が晴れるでしょう」


 一理ある、と思った。

 幼い少年が戦争を進めるのだから、やはり龍人という種族は頭が狂った集団なのだろう。そう頭の片隅で考えながらも、俺は本能のままに戦争を繰り返し、気に入らない者は誰であろうと剣の錆にしていった。


 それでも、一時の快楽は一瞬で苛立ちへと変わる。


 ――何かが違う。この煩わしさを鎮めるもっと巨大な力が必要だ。


「殿下は、始祖龍の生まれ変わりなのですよね。であれば、力を失った龍人が成し遂げられない龍化も可能なのではないでしょうか。そうすれば、もっと強大な力を手にし、この大陸全てを殿下のものに出来るのではないでしょうか」


「……龍化、か。なるほど」


 キラキラした目でリュートはそう言った。その時、ふと閃いたんだ。


 俺には過去の栄華を取り戻すことも大陸制覇も興味はない。だが、龍化が叶い始祖と同等の力を取り戻すことが出来れば、煩わしさからも解放されるのではないかと考えた。


 ――そうか。全ての諸悪の根源は始祖龍だったのか。


 怒りと破壊に支配されたこの身も、煩わしい世界も全てを作ったのは始祖龍だ。俺が始祖の生まれ変わりとしてこの世に誕生したのも、きっと同様の役割が与えられたからなのだろう。


 ――つまり、この国の終焉という役割を。


 そうすれば煩わしい世界も終わり静かな世界がやって来る。たった一人、俺だけの静かな世界が。


「そうか。……そういうことか」


「殿下? 何か面白いことでもありましたか?」


 急に笑い出した俺に、リュートは驚いたように目を見張った。


「あぁ、お前の言う通りだ。俺が龍化し、過去の皇帝たちと同じ……いや、始祖を上回る力を手にすれば……この世界は俺のものになるということだな」


「そ、その通りです! 全てはアレク殿下のものです。弱体化した龍人国など怖くないと言った、愚かな者たちに目にものを見せてやれます!」


 リュートは俺に夢を見ている。トラティア帝国の復活と大陸統一という、過去の皇帝たちが叶えられなかった夢を。


 だが、もちろん俺はそんなものを叶えるつもりはない。俺は、俺のために、俺だけの世界を作る。この世の全てを破壊し、全てを無にする。


「始祖を超えて、俺がこの世を変えよう」


 そして、全てを終わらせる。それこそが、俺の全てになった。



 俺はリュートと共に、クーデターを成功させ皇帝の座へと着いた。


 父である皇帝、俺を何度も暗殺しようとした皇妃。そして、皇太子である第一皇子。邪魔な者を一掃し、俺の世界を構築する為に必要な駒を揃えていった。


 能力を開花させた皇族は殺すことはせずに利用する。情報通で有益な駒となり得る者は他国の者だろうと平民だろうと優遇した。


 そんなある日、俺が始祖を超える為の重要なピースを手に入れた。


 それは、存在さえ忘れ去られていた第七皇女であるマーガレットだった。


「西の辺境に、へ、陛下のお探しの……ドラゴンの心臓が眠っているはずです」


 最初は、死にたくないが為のうそ偽りを勢いのままに言ったのだろうと思った。だが、俺の考えはすぐに否定されることになった。


「陛下! ありました! ドラゴンの心臓です!」


 騎士の一人が、大声を上げた。かつての皇帝たちが必死になり探していたドラゴンの心臓。それを俺が今まさに手に入れようとしていた。


「これが……ドラゴンの心臓」


 持ち帰ったドラゴンの心臓は、古代書に記載してある通りに煎じて飲んだ。


 すると、かつてない程に身体中に力が漲るのを感じた。今すぐこの力を奮ってみたい。おそらく威力は今までの倍……いや、五倍にはなっているのではないだろうか。


 ――今すぐ戦の準備に入るようにリュートに伝えなければ。この力を試してみたい。


 だが、そんな俺の行動を引き止めるような摩訶不思議な出来事が起こった。


『また戦争にでも出掛けるつもりか』


「……誰だ」


 頭の中で誰か知らない者の声が響く。周囲を警戒しながら腰元の剣へと手を伸ばす。


『そんなことをしても無駄だ。我は其方の中にいるのだからな』


 まるで俺の行動を嘲笑うようなその声に眉を顰める。


『我はアレクサンドロス・トラティア。この国を作りし者』


「……アレクサンドロス? ……馬鹿馬鹿しい」


 その名はこの国の始祖である龍の名だ。俺の名もまた、己の身分も考えずに夢見た母がその名を借りて付けた名に他ならない。


『嘘だと思うのならば、今から告げる呪文を声に出してみろ』


 ――呪文だと? 一体、この声は俺をどうしようとしているのか。


『ジュロンド・マ・ダリエド』


「……ジュロンド・マ・ダリエド? 一体、何の呪文……。は、これは……?」


 くだらない、と思いつつも声の主の思い通りに復唱する。すると、頭の中で遠い記憶の出来事が鮮明に浮かび上がった。それはまさに、俺が幼少期から夢見た始祖龍の頃の記憶。


「これは……」


『我の記憶が眠る体よ。それこそが、其方が始祖として歩んだ証に他ならない』


「本当にお前が始祖なのか?」


『あぁ、そうだとも。其方は誠、我の生まれ変わりだ』


 始祖は俺がドラゴンの心臓を摂取したことで、俺の中で眠っていた始祖が呼び起こされたと俺に説明した。


 俺が超えようとし、最も恨む存在が自分の中にいる。とても奇妙なことが起こっているというのに、俺はその出来事を面白いと感じていた。――俺の中に始祖が眠っていたのだったら、従順なふりをすれば良い。


 幸いにも俺の行動言動は始祖に監視されているようだが、考えまでは共有されないらしい。であれば、始祖を利用すれば良い。そうして始祖さえも欺き、俺は俺だけの望みを叶える。




 始祖は俺に、かつてのトラティア帝国の栄光を求めた。リュートが夢見る未来と同じものだ。


 俺はそれに従うふりをして、始祖の助言の通りに一時的に他国に攻め入ることを止め、リュートとマーガレットのデュトワ国への留学を許可した。


 そして、数ヶ月もの長い間、ジッと待ち続けた。リュートがデュトワ国から一人の女を連れ帰るのを。


 その女とは、ラシェル・マルセル――マーガレットが俺の運命の相手だと断言した女だ。


『我と其方が一体化し、龍の本来の力を得る為には、闇の精霊の力が不可欠だ。ラシェル・マルセルは現世の闇の聖女。彼女に純魔石を作らせろ』


「その純魔石を作らせてどうする」


『その力こそ最後のピースだ。闇の精霊の力は龍の怒りを鎮め、古代の力を復活させる。聖女と呼ばれる乙女が作りし清廉な魔石は、其方を無垢な状態へと戻す。そして、分離した我と一体化し、ようやく本来の力を取り戻せるのだ』


「いちいち説明が長い。回りくどい言い方はするな。……つまりは、闇の聖女が作り出した純魔石により、俺は龍化することが可能になる、と言うことだな」


『その通りだ』


 ――龍化の鍵が、まさか大陸の端にある小国の乙女だとはな。


「運命というのもバカに出来ないものだな」


 マーガレットから俺に運命の相手がいると聞かされた時は、あまりのくだらなさに笑いが込み上げたものだ。だが、その女こそが俺の目的を叶えるのだから、運命と呼ぶに相応しいのかもしれない。


 まさかその女が、絶滅したはずの戦闘竜を連れてくるなどとは思いもしなかったが。


 デュトワ国に留学していたリュートが、ラシェルと戦闘竜を連れ帰り、俺の運命を初めて目にした時は拍子抜けした。

 ――まさか、こんなどこにでもいるような女が、俺が待ち望んでいた相手だとは。


 とはいえ、彼女は駒の中でもとびきり大事な役割を担う者。丁重に扱わなければなるまい。


 問題はどうやって純魔石を作らせるかだ。そう考えあぐねいていた俺に、リュートが言った。


「僕の力で、ラシェル・マルセルの記憶を操作しましょうか。そうすれば、彼女は貴方の傀儡人形になる」


「いや、まだそれには及ばない。記憶操作により純魔石が作れなくなれば、元も子もない」


 それに、始祖は『純魔石の中でも特に想いが詰まった魔石が望ましい。想いの強さこそ、魔石の強さになる』と言っていた。となれば、リュートの能力である記憶操作を使えば、強い想いの籠った魔石を作ることは難しくなる。


 ――さて、あの聖女をどうするか。


「僕に心当たりがあります」


 しばらく考え込んでいたリュートが、目を輝かした。


「デュトワ国最強の魔術師、テオドール・カミュを使うのはどうでしょう」


「テオドール・カミュ? 聞いたこともない名前だな」


「彼女を追ってトラティア帝国に入国した不届者です。皇城に忍び込み、地下牢へと侵入しようとしていた所を僕と近衛兵が追い詰めました」


「あぁ、あのネズミか」


「致命傷を与えたので、おそらく何もしなければそのまま死ぬ命です。使い道があるかもしれないと、一応屋敷で処置しておりました」


 精霊国の魔術師か。弱国の魔術師にしては、城に忍び込むことが出来たとは思いの外、骨がありそうだ。


「使えそうなのか?」


「おそらく。留学中にラシェル・マルセルを随分と観察しましたが、彼女は甘い人間です。他者の為に危険を顧みないところがあります。ましてやテオドールは彼女の信頼する友人のようですから。その相手を裏切り自分だけ逃げようなどとは思いもしないでしょう」


 リュートの言葉に納得する。確かに一目見たあの女は、聖女と呼ばれるだけあってか、俺の知るどんな者たちとも違ったように思う。静かで穏やかな気を纏いつつも、意志の強そうな瞳。――俺と違って、人の痛みとやらに敏感なのだろうな。


「僕に案があります。この件、任せていただいても宜しいでしょうか」


 自信がありそうなリュートに、俺はフッと口角を上げた。


「あぁ。だが、失敗は許さない」


「もちろんです。僕の命を賭けて、必ずや闇の聖女の純魔石を陛下にお届けいたします」


「任せた」


 もしかすると、始祖の生まれ変わりがリュートであったのなら、この身に宿る始祖の願いも叶ったのだろう。トラティア国の安寧と栄華という何とも美しい想いも成就させられたのだろう。


 だが、リュートや始祖もまた、俺という異質な悪魔によりじわじわと首を絞められていく。それがまた滑稽であり、哀れである。


 皆、俺と共に不幸になっていくのだろう。


 俺という悪魔がこの世に誕生してしまったばかりに。




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逆行した悪役令嬢は、なぜか魔力を失ったので深窓の令嬢になります6
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