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3−40


 早朝、私は監視のための騎士が後を続く中、出来る限り早足で皇城の廊下を進んでいた。


 ――すぐにでもテオドール様にお会いしないと! 今すぐこの魔石を渡し、彼の掛けられた術を解かなくては。


 白いレースのハンカチに魔石を包み、大事に両手で抱える。


 焦る気持ちのままに足早に進む。廊下を曲がった先に庭園へ繋がる扉がある。そこへ向けて、廊下を右へと曲がる。


 ――ドスッ。


 何か硬いものにぶつかった衝撃で、私はその場に尻餅をつく。


 慌てて手の中の魔石を確認すると、魔石は変わらずちゃんと手の中にあり、ホッと息を吐く。


「ご令嬢は、前も見て歩けないのか?」


 頭上から失笑混じりの声が聞こえる。見上げると、そこには腕を組みながら鼻で笑いながら、私を見下ろす皇帝がいた。


「手を貸しましょうか?」


「……結構です」


 馬鹿にした皇帝の物言いに苛立ちを感じながらも、スタッと立ち上がると形だけ膝を折り礼をする。


「ちょうどお前の部屋に行こうとしていたのだが、そちらから来るとは。随分と熱烈だな」


「急ぎますので、失礼します」


 こんなところで時間を取っている暇はない。


 私は頭を下げて皇帝の前を通り過ぎようとする。だが、皇帝は私の腕を取り「待て」と制した。


「離してください」


「俺はお前に用がある。勝手は許さない」


 皇帝の発する空気がピリッとしたものへと一変する。


 最近見せる気安い雰囲気から一転、皇帝はバリトンの響く声で私にそう命令した。目を細め突き刺すような鋭い視線は、心臓をギュッと握り締められるようだ。


「……皇帝陛下は、随分とお暇なようですね」


「あいにくお前がこの国に来てから、他国に行こうとは思えなくてな」


 背中に汗が滲みながらも皮肉混じりに嫌味を言う。だが、そんな私に皇帝はニヤリと口角を上げた。


「そろそろどこかに攻め入っても良い気もするが、それよりも、今はお前の無駄な努力を見る方が面白いようだ」


 ――今日の皇帝は、いつもとどこか違う。


 纏う空気感は刺々しく圧も強い。だけど、どこか機嫌が良さそうで空腹を満たした直後の獣のようだ。


「それで、純魔石が完成したのだろう?」


 掴んでいた私の腕をグッと自分の方へと引き寄せた皇帝は、愉快気に笑みを深めた。


 ――深夜に完成してから、私は誰にもこの魔石の話をしていない。それなのに、皇帝はなぜそれを……。


 驚きに目を見開く私の手から、皇帝がサッとハンカチに包んだ魔石を奪い取った。


「あっ!」


「ほう、これか……」


 ハンカチを投げ捨て、純魔石を手にした皇帝はそれを天へと掲げた。


「確かに、これは美しいものだな。精霊の魔力とはここまで魅力的なものなのか。……これは過去の龍たちが狂ってしまったのも頷けるな」


 まるで魅了されたように純魔石から視線を動かさない皇帝は、持つ手を上下左右に動かして様々な角度からじっくりと見つめた。


「……返してください」


 純魔石へと手を伸ばす。だが、長身の皇帝の手元には遠く届かない。


「ナナに届けたいのか」


 キッと睨むように皇帝へと視線を向けると、彼は魔石を握りしめながら踵を返し廊下をズンズンと進んで行ってしまう。


「皇帝陛下、どこへ行く気ですか!」



 慌てて皇帝の後を追うと、皇帝はピタリと足を止めてこちらに振り返った。



「返して欲しくば、俺に付き合え」



 


「馬車の移動など久しぶりだ」


 皇帝が向かった先には、一目でその豪華さに目が奪われる煌びやかな馬車が用意されていた。白い外装に金の模様。側面には黄色と紫の花模様が描かれている。


当たり前のように乗り込んだ皇帝は、視線だけで私に続いて乗るように指示した。


 魔石は今、皇帝が持っている。おそらく服のポケットに隠されているのだろうが、どこに持っているのか。


 グッと唇を噛み締めながら、私は御者の手を借りながら皇帝の待つ馬車の中へと入った。


「随分と狭く感じるな」


 ベルベットの座席に膝を組みながら腰掛けた皇帝は、その姿だけ見れば一流の画家が丹念を込めて描いた絵画のようだ。

 服の上からでも分かる鍛え上げられた体格に彫刻のようにくっきりとした顔立ち。


 皇帝の圧倒的な武力が無くとも、存在だけで魅了される者が多数だろう。


「十分広い馬車かと」


「これで広いとは。馬車は子供の時以来だが、随分と窮屈なものだ」


「……トラティア皇帝陛下が馬車で移動する機会がない、と?」


 馬車に乗る機会がない皇帝など聞いたことがない。思わず聞き返す私に、皇帝は眉を寄せながらため息を吐いた。


「俺は第三皇子としてこの国に生まれたが、母は皇城に勤める平民のメイドだった。……美貌だけが自慢の欲深い女だ」


「えっ?」


「俺を孕った母は側妃になれると喜んだだろう。だが、父は下賤な平民を側妃にすることを嫌がった。結果、生まれた俺は皇子とは名ばかりの……ただの薄汚れたガキでしかなかった」


 まるで初めて渡された本を音読するみたいに、皇帝は淡々と言葉を続けた。


「幼少期は小さな離宮でひっそりと育ち、城の本館へ行くことも城の外へ行くことも許されない。俺に求められたのは、小さな箱庭で息を潜めながら生きて死ぬことだったのだろう。誰も俺が皇帝になることなど想像もしていなかっただろうし、望んでもいなかった」


 腕を組みながら窓の外へと視線を向けた皇帝の瞳には何が映っているのか。


 私もつられてガタゴトと緩やかに揺れる馬車から、外の景色を眺める。平原の遠く向こうには白銀を被った壮大な山々が聳え立つ。


「だが、母が死んでから俺の世界は変わった。前皇帝である父が俺という才能に気がついたからだ」


 前皇帝という言葉を発した時、皇帝の瞳に僅かに怒りの色が混じった気がした。


「それからは、国一番の魔術師や騎士が俺の教師になった。とはいえ、そのような者たちもあっさりと俺に負けたのだが」


 ふとこちらに視線を向けた皇帝は、私の顔をまじまじと見た。


「お前は人を殺したことがあるか?」


「……いえ、ありません」


 そう答えると、皇帝はフッと息を吐くと「だろうな」と口元を緩めた。


「俺が初めて人を殺したのは、確か……六歳だった。あの時の快感は忘れることがないだろう。幼い頃からずっと渦巻いていた苛立ちが何なのか、知ることが出来た日だったのだから」


 ――なぜ、皇帝はこのような話を私に?


 そう今すぐ問いたかった。だが、淡々と話続ける皇帝に、私は口を挟むことが出来ずただ耳を傾ける他なかった。


「龍人の誰もが少なからず持つ破壊欲。俺はそれが突出していた。常に怒りを感じ苛立ちを無理やり押さえ込む毎日だ。だが、肉を裂いた時、血を浴びた時、命を消した時。その一瞬だけは、その怒りを忘れ頭がクリアになる」


 まるで他人事のように話す皇帝は、自嘲の笑みを浮かべた。


「お前はこの世界丸ごと壊したい、などとは考えたこともないのだろうな」


「……壊して、何になるのですか」


「狂ったこの世界を、俺の手で粉々に出来る」


 そう言いながら、皇帝は胸の前で拳を握った。


「そのようなことを常々お考えに?」


「あぁ、そうだな」


「なぜ……」


「なぜって、そんなの俺が始祖龍の生まれ変わりに他ならないからだろう」


 初めて触れた皇帝の内面に、驚きに言葉を失う。だが、皇帝はさも当たり前のようにそう言ってのけた。


「皇帝陛下は、どうしてご自分が始祖の生まれ変わりだと思うのですか?」


「生まれながらに類稀なる力を持っていた。だからこそ、周囲はそう言うのだろう。だが、俺はそれとは違う確信があった。なぜなら、何度も始祖であった頃の夢を見るからだ」


 ――始祖であった頃の夢? 


 唖然とする私を一瞥した皇帝は、つまらなそうに窓へと視線を移した。


「……この感覚は俺にしか分からないものだろうな」


 まるで世界をシャットダウンしたように、醒めた目で窓の外へと視線を動かした皇帝。その瞳からは、怒りも苛立ちも悲嘆の色もなく、何もかもを諦めたような冷たさを感じた。


 沈黙の中、馬車のゴトゴトと揺れる音がいやに耳に響く。


 永遠にも思える程の静けさも、時間にしてみればほんの数分のことなのかもしれない。その沈黙を破ったのは、先程からずっと何を考えているか分からない程に無表情だった皇帝だった。


「お前は、ドラゴンの心臓というものを知っているか」


「……聞いたことは、あります」


 ポツリと呟いた皇帝の声に、ビクッと肩が揺れる。驚く私に気づく様子もなく、皇帝は未だ窓の外を眺めたまま「そうか」と言うと、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


「龍人とは、本来始祖龍の血を受け継ぐ皇族縁の者たちだけの名称だ。龍人の先祖はもちろんドラゴンであるのだから、人間でありドラゴンでもある。そして、龍人がドラゴンに姿を変えることを龍化と言う。その龍化した姿のまま亡くなった心臓をドラゴンの心臓、と呼ぶ」


「つまり、ドラゴンの心臓というのは……一般のドラゴンのことではなく、トラティア皇族の心臓ということですか?」


「あぁ、その通りだ」


 トラティア帝国はその昔ドラゴンの棲家だった。そして、その中で人間に姿を変えることが出来る能力を手に入れた特別なドラゴンが誕生した。それこそが、トラティア帝国の初代皇帝である始祖龍。


 彼は他の戦闘竜と呼ばれる普通のドラゴンたちを従えることが出来、その能力は子孫たちにも受け継がれている。


 ――ドラゴンの心臓とは、戦闘竜の心臓ではなくトラティア皇族の心臓、という意味だったのか。


 だとして、一体なぜ急にそのような話をするのだろうか。探るような私の視線に気づいているはずなのに、皇帝はそれに何も言及せず、淡々と言葉を続けた。


「そのドラゴンの心臓を体内に取り込むと、龍人は自身の中に眠る力を最大限に引き出すことが出来る。……始祖龍の生まれ変わりであるはずの俺は、それさえ手に入れば龍化することが可能だと思っていたんだ」


 ――だから、皇帝はドラゴンの心臓を手に入れようと躍起になっていたのか。自身が龍化する力を手に入れるために。


「ドラゴンが絶滅し、本来の龍人の力が弱まってきた。皇族の者たちの中で、龍化出来る者は最早いない。……俺は龍人として、その力を取り戻さなければいけない」


 皇帝の静かな声は、馬車という小さな空間の中でよく響いた。




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