3−38
答えはおそらく私の中にある。とはいえ、時を遡る力を持ちし乙女が闇の聖女という存在だとして、問題はその次にある。己が生み出せし癒しの魔石。
これが一体何を指すのか、見当もつかない。
本をまとめた自作ノートを手にし、私はクロとロゼと共に庭園へと散歩に来ていた。庭園の中にひっそりと佇む、まるで隠れ家のようなガゼボ。
蔦の模様が施された白い柱に黄緑のとんがり帽子のような屋根、中には小さなテーブルと椅子が2つ。
テーブルの上には開きっぱなしのノートに、リュート様が用意してくれた数多の魔石。
「魔石……魔石」
テーブルに肘をつきながら、箱に入った色とりどりの煌めく魔石を眺める。
『キュ?』
どうしようかと唸っていると、ロゼが不思議そうに箱の中を覗き込んだ。
「この国にも魔石はあるけど、私の魔力と相性が良くないのかも」
箱の中の魔石はその半数ほどが砕けてしまっている。というのも、文章をそのままに考えた時に魔石に私の魔力を込める、と読むことが最も単純で簡単なことだった。
だが用意してもらった魔石に魔力を入れると、その魔石たちは一瞬の煌めきの後にパリンと割れて壊れてしまう。
紫紺の魔石を箱から取り出し、それを陽にかざす。光を浴びてキラキラと煌めく魔石からは大きなエネルギーを感じる。
――見た目は普通の魔石なのに、何が違うのかしら。
おそらくこのまま同じように闇の魔力を込めたところで、箱の中には割れた魔石が増えるだけ。
さて、どうしようか……と、ため息を吐きながらノートの上に突っ伏す。だらしないことだとは分かっているが、今は誰も見ていないから許して欲しい、と心の中で呟く。
その時、私の上を影が差した。不思議に思い顔の傾きを変えると、そこには人の姿があった。
「失礼します」
「えっ、テオドール様? どうしてここに」
慌てて飛び起きる私に、テオドール様は腕に抱いていたクロへと視線を向けながら困ってように眉間に皺を寄せた。
「この猫がまた私のところにやって来たので」
『ニャ!』
ご機嫌そうなクロは、テオドール様の胸に顔を擦り寄せた。
「クロ。ほら、こっちにおいで」
私が差し出した手をチラッと見たクロは、それを拒否するようにプイッとそっぽ向くと再びテオドール様に『ミャァ』と甘えた声を出した。
「こら、テオドール様が困ってしまうわ」
強制的にテオドール様の腕の中からクロを抱き上げると、クロは『ニャ! ニャァ』と前足で私の頬や首を押し抵抗してみせた。
思わず「もうっ」と呟きながらクロを地面へと下ろす。すると、すかさずクロの元へキラキラとした目をしたロゼが飛びつきに行く。
クロはロゼから逃げるように、ガゼボからピューッと逃げ出した。
だが、ロゼはすぐさまそれを追いかけに行く。いつもの光景である鬼ごっこの風景に、私は苦笑いしながら彼らが視界からいなくなるまでその様子を追った。
「これは?」
テオドール様の声に振り返ると、彼は魔石が入った箱を覗き込んでいた。
「あっ……あぁ。これは、その……魔石に自分の闇の魔力を入れていたのです。ですが、失敗続きで……」
「どうしてそんなことを?」
怪訝そうに眉を顰めるテオドール様に、私は何と言おうかと視線を彷徨わせる。
「……もしかして、私のためですか?」
ジッとこちらを見つめるルビーの瞳に、ギュッと口を固く噤む。すると、テオドール様は額に手を当てて、首を左右に振った。
「言ったはず。私はそれを望んでいない、と」
「それは……知っています」
テオドール様に会う度に言われてきた。記憶を取り戻す必要はない。無駄なことはやめるように、と。だから、テオドール様が今言った言葉は十分予想出来た。
――それでも、何回言われても拒否されるのは辛いものね。
俯きながら自重の笑みを浮かべる。すると、ふうっと息を吐き出す音が聞こえた。顔を上げると、いつもよりも幾分柔らかい表情のテオドール様が眉を下げてこちらを見ていた。
「それでも、何度私が止めようとあなたは続けるのでしょう?」
「……はい」
「全く……。本当に強情な人ですね」
腕組みをしたテオドール様は、やれやれと言った様子でこちらを見遣る。その表情は、以前よく見たテオドール様の表情そのもので、私は驚きに目を見張った。
「それを貸してください」
「えっ?」
思わず見入っていた私は、慌ててテオドール様の指差した方へと視線を向けた。
「そのテーブルの上のノートです。魔力や魔石と書いてある……」
「これですか? どうぞ。あっ、でも……本をまとめた内容で、あまり綺麗に整理しているものでもないので、読みにくいかとは思いますが……」
ノートを渡しながら、聞かれてもいないことを必死にアピールする私だったが、テオドール様は受け取った瞬間から書かれた文字を目で追うだけで私の言葉など最早聞こえていないようだ。
片手でノートを持ち、時折引っ掛かった言葉を呟くテオドール様の横顔をそっと盗み見る。
記憶を失ったとしてもテオドール様の根本は変わらないようで、何だか嬉しくなる。
そんなテオドール様は、ある一部分に指を這わしたまま動きをピタリと止めた。
「……己が生み出せし魔石」
私と同じくその部分が気にかかるようだ。
「もしかすると、その魔石の力がテオドール様の掛けられた術を解く鍵になるのかもしれません」
テオドール様は私の言葉に、ノートから顔を上げてこちらを見た。
「……ただ、魔石を生み出すというのがどういう意味なのか。まだ読み解けなくて」
「生み出すか。なるほど。……それで魔石に魔力を込めて失敗した跡、ということか」
テーブルの上の粉々になった魔石たちへと視線を向けたテオドール様は、納得したようにひとつ頷いた。
「そもそも、なぜ魔石に魔力を込めようと思ったのですか?」
「えっ、だって……魔石に魔力を込めることは」
よくあること。そう続けようとしてハッとする。
――言われてみれば、なぜ私は魔石の中に魔力を込めることを当たり前だと思っていたのだろう。自分の魔力と合わない魔石が問題なのであって、方法を疑ってはいなかった。
「根本が違う、という可能性もある?」
そう呟きながら首を傾げる。だとして、他に魔石を生み出す方法などあるだろうか。唸る私の隣で、テオドール様は何かに気づいたように僅かに目を見開いた。
「……魔力を具現化する、ということか?」
指で空に魔法陣をパパッと描きながら、テオドール様は魔法陣の中心に人差し指を触れた。
すると、魔法陣は金色の光を放ち、ゆっくりと人差し指の中心へと光を凝縮させた。
その瞬間、テオドール様はその光を集めるように手のひらを広げた。
「えっ、これって!」
テオドール様の手のひらには、小指大ほどの黄金に瞬く魔石が乗っていた。
「どうして……。これをどうやって出現させたのですか?」
信じられない思いでテオドール様の手元を凝視する。だがテオドール様はその魔石を私に差し出すと、楽しそうにニヤリと口の端を上げた。
「そう難しい話じゃありません。自分の中から生まれる魔力を瞬間的に最大限まで一点に集中させます。その時、イメージをするのです。……美しく輝く宝石のような結晶を」
「……イメージ? あの魔法陣は何ですか?」
「あれは魔力を集中させるために描いたものです。おそらく慣れれば、魔法陣などなくても作れるかと」
――いや、流石に……ないと思います。
「今の魔法陣を教えていただけませんか?」
「あ? あぁ、このノートに書いてもよろしいでしょうか?」
私は慌ててテーブルの上に置いてあったペンを取ると「はい、お願いします」とテオドール様に差し出した。すると、テオドール様はサラサラと簡単に書いてみせた。
「この魔法陣をどこで学んだのですか? 確か、テオドール様の手元にはあの基礎の教科書しかありませんよね?」
「どこで? そんなに難しい話ではありません。あの教科書とあなたに聞いた魔術を掛け合わせれば、自ずと魔法陣は浮かんできま……せんか?」
コテンと首を傾げたテオドール様に、私は拳をギュッと握りしめながら力強く首を左右に振った。
「きません!」
私の必死の否定にテオドール様は心底不思議そうに「……そうか?」と顎に手を当てて呟いた。
――ルイ様、記憶を失ってもテオドール様はテオドール様です。
私はそう心の中で、ルイ様に訴え掛けた。きっとルイ様がこの場にいたら『あいつのことは気にしたら負けだ』と肩を竦めながら笑うだろう。
つい一か月前までは、そんな光景が当たり前だった。
いつだって天才テオドール様の突拍子もない行動に、ルイ様が呆れて突っ掛かり、そんな二人を見守りながら自然と笑っている私。
いつだってあった心地良いあの場所は、今は遠ざかってしまった。だけど、かけがえのない場所は私の中にも、ルイ様の中にも、そしてテオドール様の中にもあるはず。
込み上げてくる想いに胸が熱くなりながら、私は浮かんでくる涙を誤魔化すようにテオドール様の描いた魔法陣を真似して空に描いていく。
そして、同じように人差し指の一点に自分の魔力を込めた。
魔法陣が光を放った瞬間、私は期待に胸が膨らむ。これが成功したら、テオドール様の記憶が戻ってくるかもしれない、と。
だが、私の魔力を込めた魔法陣はあっさりと空に弾け飛んだ。
「……何も生まれません」
開いた手のひらには、何もない。
落胆に肩を落とす私に、テオドール様は「あぁ」と何かに気がついたようにノートに書き足す。
「おそらく、まだ回路が生まれていないから出来ないだけ。魔力の流れを意識し、一瞬で最大値まで上げれば難しいことではないはず」
体の全体を流れる魔力を人差し指に集中させる矢印。その矢印から魔法陣を通じて魔力を閉じ込める図。そこから生まれる魔石の丸。
ササッと書く割に癖もなく綺麗で美しい筆跡。口調や態度は変わっても至る所にあるテオドール様がテオドール様であるという変わらない事実。
魔石を生み出すという道のりはまだ遠くに感じるのに、それでも記憶を失ったテオドール様に初めて会った時に感じた絶望は最早感じない。遠くない未来、私は必ずテオドール様を取り戻してみせる。
そして、必ずルイ様の元へと戻るんだ。
この青空の繋がった先にいるルイ様を想いながら、そう心の中で意気込む。すると、テオドール様はノートに書いていた手を止めて「随分と明るい顔をしている」とポツリと呟いた。
確かに今までテオドール様に顔を合わす度に失った記憶にばかり目を向けて暗い顔をしていた気がする。それに、今まさに魔石を生み出すことに失敗したところだ。
「その方が良い」
「えっ?」
「俯くと顔に影が差す。空を見上げれば必ず光が顔を照らす。心うちは沈んでいたとしても、空を見上げれば明るくしかならない。……顔は、心を一番に表す場所だ。だから、明るくしていれば、沈んだ心も……きっと光が生まれるはず」
いつかのテオドール様の言葉を思い出す。
『特別なものを得たり、失ったり、そんなの、俺たちにはどうしようもない。だったらさ、笑って生きようよ』
心が沈んだ時ほど空を見上げれば、いつか心から笑えるはずだ。テオドール様の私を励まそうとしてくれたその言葉に、優しさに、胸がじんわりと温かくなる。
「ありがとうございます。……やっぱり、テオドール様は優しいですね」
「だから、俺の名は……いや、私は」
面倒臭そうに訂正しようとしたテオドール様は咄嗟に出た口調にハッとする。
「あの、今後も気軽な言葉使いをしていただけませんか? テオドール様にそのように畏まられるのは、慣れていませんから」
「ですが……」
「テオドール様も気づいているでしょうが、あなたはただの魔術師ではありません。デュトワ国に欠かせない最強の魔術師なのです。……そして、私の魔術の師匠でもあります」
口を噤んで気まずそうに視線を彷徨わせたテオドール様は、どうするべきかと困ったように眉間に皺を寄せた。
「ですから……」
尚も言い募る私に、テオドール様は「……本当に厄介」とストレートな物言いの割に楽しそうな声色で言いながら、眩しそうに目を細めた。
「嫌だと言っても、俺が許可するまでずっと言い続けるのだろう? それはそれで面倒だ」
「それじゃあ!」
「……ただし、二人の時だけだ」
「もちろん、それで構いません」
パッと表情を明るくした私に、テオドール様は片方の口の端を上げながら、髪の毛を乱雑に掻いた。
柔らかい風が花の甘く爽やかな香りを連れて来る。そんな暖かい陽気の中、遠くで戯れるクロとロゼの鳴き声が聞こえて来た。
今この瞬間、私の中にはきっと上手くいくという根拠のない自信に溢れていた。
きっとこの先は、間違いなく光輝いている。そう信じて疑わなかった。





