3−37
部屋に戻った私は、寝食を忘れ、持ち帰った本を夢中になって読んだ。
分厚い本の内容は、まるでメモ書きのようにとっ散らかっており、章も分かれている割には内容からかけ離れたりと、理解に随分と時間が掛かった。
読書というよりも謎解きをしているといった方が正しいだろう。
それでも来る日も来る日もその本に夢中になった。試験前の学生のように、ところどころメモを取りながら大事な部分は、何度も何度も繰り返し読んでは理解を深めた。
「なるほど……そういうことなのね」
おおよその内容を理解し、ノートにぎっしりと内容をまとめた頃、目の前が晴れていくのを感じた。
その時、コンコンとノックの音に顔を上げた。
「こんにちは」
にこやかな表情で部屋に入って来たのは、リュート様だった。
「あっ、今日って……もしかして、お約束していた日でした?」
どれほど本に夢中になっていたのか、資料室から帰ってきてからの日にちがあやふやなほどだった。
「構いません。陛下に事情は聞いていましたから」
「それでも……申し訳ありません」
「いえ。……ただ、その表情を見る限り、僕に色々と質問があるようですね」
ノートを抱えながらウズウズとした表情がリュート様に伝わっていたのだろう。リュート様はクスッと笑うと、中央の1人掛けの肘掛け椅子へと座った。
私はテーブルを挟んで向かいのソファーへ腰を沈めると、テーブルの上へ本を置いた。
「これは?」
「トラティア皇帝の資料室にあった本です」
「あぁ。……僕も入ったことはないので、陛下からあなたの入室を許可したと聞いた時は、とても冷静ではいられなかったのですが……何かを見つけたのですね」
寂しそうに眉を下げて微笑むリュート様に、私はハッとする。
「す、すみません」
「いえ、気にしないでください。元々僕が入れる場所ではありません。それに、結果が陛下の為になるのでしたら、自分の感情など些細なことです。……それで、この本には何が書かれていたのですか?」
「要約するには難しいのですが、大体が著者のその時気付いたことのメモ書きをまとめたようなもので……」
私は肩を竦めながら、古びた本を捲る。手書きの本はインクが所々に滲んで、殴り書きのように読みにくい部分も多い。それでも、パッと見でも『精霊』という言葉が多く書かれていることが分かる。
「随分と不思議な本なのですね。……資料室にあったからこそ、まだ本としてちゃんとした形を保っていますが……数百年は経っているかもしれませんね」
「この本を書いた著者は、おそらくトラティア帝国の方ではないのだと思います。……私の考えでは、これを書いた人はデュトワ国の……精霊の魔力を持つ方です」
私の言葉に神妙に頷いたリュート様は、「失礼します」と一言言うと、テーブルから丁寧な所作で本を手に取った。まじまじと本を見るリュート様に、私は口を開く。
「リュート様、あの……先にお聞きしたいことがあります。この本にも書かれていない精霊と龍人の関係について」
「何でしょう?」
私は、リュート様に資料室で見た絵本の話をした。ドラゴンや獣人たちと混じって、精霊が仲良さそうに戯れる話。ひとりぼっちだったドラゴンを見つけ、仲間になる話。
その話をすると、リュート様は何かに納得したように「あぁ」と頷いた。
「僕はその絵本を読んだことが無いので、どうしてそのような絵本が資料室にあったのかは分かりません。ですが、精霊とドラゴンが仲良くしていた描写はなかなか興味深いですね」
「はい。あくまで創作物、と言われてしまえばその通りなのですが。……おそらく、過去に何かしらの関わりがあったのでは無いかと思いまして」
「……なるほど。その関係こそが手掛かりになる、と。……分かりました。僕が知っている程度の話になりますが、お話しましょう」
リュート様はそう言うと、「ラシェル様にとっては、あまり好ましい話では無いかもしれません」と前置きをした。
「ドラゴンは、精霊を好みます。これは実際に僕がデュトワ国に留学した感想でもあります」
予想外の言葉に、私はパチパチと何度か瞬きをした。
「それは、自分と全く違う種族だからなのかもしれません。破壊欲の強いドラゴンにとって、精霊は理解出来ない存在です。慈悲深く、清らかで……そしてとても弱い」
弱い、と言った時にリュート様は、部屋の隅でゴロンと転がっていたクロへと視線を向けた。
「これは昔、何かの書物で読んだ説なので、どこまで本当の話かは知りませんが……。その昔ドラゴンは精霊を体内に取り込んでいた、という話があります。……つまり、捕食ですね」
「捕食……ですか。随分と物騒な話ですね……」
目尻がピクッと動き、思わず顔が引き攣るのを感じる。
「力関係でいえばドラゴンの方が精霊よりも圧倒的に強い。ドラゴンが気に入れば、精霊などあっという間に絶滅に追い込むことが可能だと思います。ですが、現在も精霊は滅びていないでしょう? それは、なぜか」
「精霊がドラゴンから身を隠していた、とかでしょうか?」
「それはどうでしょう? ドラゴンは精霊への嗅覚が強いようなので、逃げていたところですぐに見つかりそうですね」
「えっ……」
ニコッと穏やかに微笑むリュート様だが、グレーの瞳は全く笑っていない。まるで獲物を前にした蛇のように飲み込むタイミングをジッと待っているようで、変な冷や汗が出る。
「ふふっ、そんな深刻そうな顔をしなくても、僕は一応龍人族ではありますが精霊を食べたいなんて一度も思ったことありませんよ?」
冗談めかして笑うリュート様のどこか本心の見えない顔に、私は愛想笑いで返すしかなかった。
「食べる食べないは置いておいて、なぜ圧倒的に強いドラゴンが絶滅し、弱いはずの精霊は生き残ったのか。僕の考えでは、精霊はドラゴンに対抗する何らかの力を持っていたのでは無いか、と考えています」
「対抗する力」
そう呟いた時、ふとクロの側に近寄るロゼが目に入る。
「……あっ、だから」
「そう。だから、絶滅したはずのドラゴンを封印させることが可能だったのかもしれません」
ロゼは前闇の聖女により封印された。それはまさに、精霊の力がドラゴンに優ったといえるだろう。
「ですが、残念ながらその対抗する力とは何なのか。それは僕にも分かりません。精霊国と龍人国が大陸内で両端にあるのも、何か理由があるのかもしれないですね」
「確かに仰る通りですね……」
精霊の国とドラゴンの国、2つが交わることなど考えもしなかった。だが、私の知らない歴史の中に2つが交わる過去があったのなら……。それを意味することは何なのか。あまりに大きな謎に、予想すら出来ない。
考え込む私に、リュート様のフッと笑みを溢す音が聞こえ、顔を上げる。
「これでラシェル様の気に掛かったことへの回答になりますか?」
「そうですね。……なんとなく、理解出来たような気がします」
ドラゴンに唯一対抗出来る力が、精霊の力。そして、ロゼを封印した前闇の聖女。全ては繋がっているのかもしれない。
だとしたら、この本に書かれていた通り、テオドール様の記憶を取り戻すことが出来るのは……おそらく私にかかっているのだろう。
「それでは、今度は僕が質問させてください。……あなたが何に気がついたのかを」
私は目の前の本を手に取ると、目的のページを指差した。
「この文章を読んでいただけますか」
「えっと……時を遡る力を持ちし聖なる乙女。己が生み出せし癒しの魔石は、龍人の能力を無効化する力を持つ」
リュート様は声に出しながらその文章に指を這わす。
「無効化……これは!」
驚いたように顔を上げたリュート様に、私は頷いた。
「はい。おそらくこの文章こそが、龍人の能力を打ち破る鍵になるのだと思います」
「ただ、時を遡る力を持ちし聖なる乙女、というのが誰のことか……」
おそらく、これは闇の聖女を表しているのでは無いだろうか。光の精霊は未来への力、そして闇の精霊は過去への力。精霊王の加護をいただいた闇の聖女は、精霊王の力を借りて時を操る能力を持つ。
――この本を初めて読んだ時にはもしかしたら、という程度だったけど、さっきのリュート様の話である程度確信出来た。ロゼを封印した前闇の聖女と同等の力。きっとそれこそが、テオドール様の掛けられた術を解く力になる。
だが、リュート様はもちろん闇の聖女がどのような力を持つのかを知らない。そして、私とリュート様は協力関係にあるとはいえ、それを打ち明けるつもりはない。
「それは私にも分かりません。私は闇の精霊王の加護を受けた聖女ですが、そのような力は持ち合わせていません。ですが、聖なる乙女というものが何かしらの力を持つ女性を表すのであれば……」
「ラシェル様こそが、その乙女である可能性が高いでしょうね」
皆まで言わずともリュート様は私が言わんとしたことを理解していたようだ。ニヤッと口角を上げたリュート様は、その瞳に光を宿しながらこちらを見つめた。
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