23
「ねぇ、サラ。本当にこの格好で大丈夫かしら?」
「大丈夫ですよ。どう見ても商家の娘⋯⋯のような装いではあります。⋯⋯お忍び貴族感はありますが」
姿鏡を見つめると、そこには簡素な紺色のワンピースにクリーム色のスカーフを巻き、髪はスカーフと同じクリーム色のリボンで一つ結びにした私の姿がある。
このワンピースは殿下が贈ってくれたものだ。
なぜ、このような格好をしているかというと。
数日前に殿下から届いた手紙に《領地に行く前に、以前話したおすすめの食堂にお忍びで行こう》と書かれていたからだ。
つまり、殿下に誘われたのだ。
領地への出発を一週間後に控えている。そのため、両親もいきなり遠くまで馬車で移動するよりも、
近場へまず出かけるのも良いだろうと賛成してくれた。
過去の私は、長く王都に暮らしているにも関わらず市井に行くなど考えもしなかった。
アクセサリーやドレスなど必要なものは全て商人やデザイナーが邸まで来てくれている環境。
それに、平民の住む所に貴族である私が何故行くのか、という愚かな考えをしていたからだ。
だが、サラたちから聞く市井の様子は生き生きとしており、聞いているだけでワクワクした。
そのため、今日行けることになって昨日からドキドキしっぱなしであった。なかなか眠れなくて、夜遅くまでクロと遊んだり、本を読んだりと寝るのが遅くなってしまった。
今もとてもドキドキしてるわ。
市井はどんな感じなのかしら。
鏡の前で考え込んでいると、私の足元にするりとクロが寄ってきた。
「どうしたの?一緒に行きたいの?」
その場にしゃがんで、クロの顔を覗き込む。
すると、クロは私の周りをぐるりと一周した。そして、ゆっくりと自分用のベッドへと向かい大きな欠伸をして、ゴロッと横になった。
「そうね、街に精霊が見える人もいるかもしれないものね。
待っていた方がいいわ」
クロはやはり人の言葉が分かっているようだ。
この間も「そろそろテオドール様が来る頃ね」と呟いたところ、ドアの前をうろうろしてソワソワし始めていた。
今も耳をピクッと動かすと、もぞもぞと動いて体勢を整えたあとに、目を瞑り寝始めようとしている。
そんなクロの様子を見ていると、コンコンというノック音が聞こえた。
ドアの向こうからポールが「王太子殿下がお越しになりました」と告げた。
よし、行こう。
サラと共に広間へと向かうと、いつもの金髪は茶髪に変わっており、装いもどこか着古したシャツにベスト姿であった。
シャツも元々は白だったのが茶色へと変わっているようなヨレッとしたものであり、履いているブーツは皮が所々擦り切れている。
凄い。
服装と髪色だけでこんなにも雰囲気が変わるなんて。
でも、少し長めの前髪から覗く素顔はやはり整っており、今も立ち姿だけで高貴さを滲ませる。
うーん。
こんな人が市井にいて目立たないのかしら。
思わず首を傾げてしまう。
「あぁ、ラシェル。その姿も可愛らしいね。
こんな子がいたら、町中の人が君に求婚しそうだ」
「なっ⋯⋯それは褒めすぎです」
殿下は私を見ると、ハッと驚いたように目を見開いた。そして、直ぐに目を細めて本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
その表情と殿下からの言葉に思わず頬が熱を帯びてくる。
「殿下も、その髪の色はどうされたのですか?」
「あぁ、これはカツラだよ。さすがに金髪は目立つからね。街へ行く時はカツラを被って、事情を知ってる鍛冶屋の親父さんの見習いってことにしてるんだ」
「まぁ!殿下がそのようなことをされていたとは」
「相手が王族なんて分かったら、普通市井の者からは距離を置かれてしまうからね。街の暮らしを知るには馴染む装いにしなくては」
「なるほど⋯⋯」
そうか。殿下はたまに市井の暮らしを見るためにお忍びで行くと言っていた。
私と違って、こういうことも慣れているのだろう。
「ちなみに今日は、良いところの商家の娘さんに見習い鍛治職人が何度も何度も誘って、ようやくの初デートって感じかな?」
「デッ、デートなんですか?」
「もちろん。私はデートのつもりだよ」
殿下は甘く蕩けるような笑みをその整った顔に乗せ、「では、行こうか」と私に手を差し出す。
その手におずおずと自分の手を乗せると、ギュッと握り締められる。
そして、そのまま馬車へとエスコートされた。
♢
馬車の中で、殿下と私は向かい合わせに座る。
殿下の隣には、紺色の髪をした騎士がこれまた商人のような服装をしている。彼は今日のお忍びで同行する騎士らしい。
他にも数人いるらしいが、視界には入らないだろうと言っていた。
また、この馬車はいつもの王家の広々としたものと違い、こぢんまりとしたものだ。
殿下は「ごめん。目立つ訳にはいかないから、座り心地が悪いかもしれないけど」と乗る前に私に伝えた。
だが、椅子のシートはそれなりの物を使用しているのかそこまで座りにくいという感じはしなかった。
それよりも、これから向かう場所に胸の高鳴りが止まらない。カーテンがしっかりと閉まっているため、全く見えることのない外の景色ばかりを気にしてしまっていた。
すると、殿下はクスリと私の様子を面白そうに笑う。
「そうそう、街では私のことを殿下なんて呼んではダメだからね?」
「確かにそうですね。では何と?」
「ルイ、と」
殿下をルイと呼び捨て?
いや、無理無理無理
思わず真っ赤になり、首を横に振る。
だが、殿下は私の様子などお構いなしにニコニコと笑っている。
「ほら、練習練習」
「え⋯⋯えぇ」
「さぁ、どうぞ」
「ル⋯⋯」
「うんうん」
「ル⋯⋯ルイ⋯⋯⋯⋯さま」
そう呼ぶと殿下は、一瞬ポカンした表情で私をじっと見つめた。そしてすぐに、はにかんだように笑い「あぁ」と返事をした。
だが、「でも」と前置きをして。
「見習い鍛治職人に様付けはおかしいな」
わかってる。
これは殿下が殿下だとバレないようにするためだ。
それに、街で混乱を起こしたら隠れて警護する騎士たちが護衛しにくくなることも。
でも、やっぱり恥ずかしい。
しかも呼び捨てなんて恐れ多い。
「やっぱり呼んでくれないか。まぁ、追々でいいよ」
「すみません」
「いや、でもそうそう。今日、私のことはルークと呼んでくれ。街ではいつもルークと名乗っているから」
「なっ、殿下!騙したのですね!」
「ハハッ、ごめんごめん。つい名前を呼んでもらえるチャンスだったからね」
殿下は私の真っ赤になって怒っている姿に楽しそうに大声で笑う。
怒っていた私も、徐々につられて可笑しくなってきた。つい、指を口に当てるもクスクスと抑えきれない笑いが漏れてしまった。
あぁ、こんな時間もいいな。
こんな風に軽口をたたいて、笑い合う。
こんな時間を殿下と持てるなんて考えたこともなかった。
楽しいな。
こんな時間がもっと。
もっと、長く続けばいいのに⋯⋯。
そんな私の想いと裏腹に、馬車の揺れが段々とゆっくりになり停車するのが分かった。
「あぁ、着いたようだね。
今日行くオススメの店はこの商店街の入り口だから、そんなに歩かなくても大丈夫だよ」
殿下の言葉でハッとする。
今、私は何を考えていたのだろう。
領地に帰ると決めたのは私だ。
それを⋯⋯。
沈み込みそうになる気持ちを追いやる。
そして、無理やりでもにっこりと笑顔を作った。
「はい、案内をお願いします」
「あぁ、楽しみにしていてくれ」
そう言うと、殿下は側で控えた護衛が開けたドアをサッと降りて私に手を差し出した。
その手を掴み、馬車から降りる。
すると私の視界には、人に溢れ、屋台や露店、商店が広い道にいっぱいに並ぶ光景が映った。
子供たちの笑い声、人々の騒めきで賑やかな街を目の当たりにし、それだけで胸がいっぱいになる。
「ここが⋯⋯」
「あぁ、賑やかで皆生き生きとしているだろう」
隣の殿下を見上げると、殿下もまたその蒼い瞳を輝かしいものを見るかのように細めた。
「さぁ、行こう」
「はい」





