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3−31

「テオドール様! あの、お顔を上げてください」


 扉が閉まったと同時に、私はテオドール様へと駆け寄り肩に手を添える。

 テオドール様は私の顔を見もせず、手を払うように退けると再び先ほどまでと同様、その場に姿勢良く立った。


「テオドール様……」


 払われた手を信じられない思いで見つめ、呆然と立ち竦む。


「うーん、面倒なことになりましたね」


 困ったように眉を下げながら、のんびりとした声でそう言うリュート様は、私の隣までやって来ると、テオドール様の目元に手を添えた。


 リュート様は目を閉じて何かの呪文を唱える。すると、テオドール様の周囲を青い炎が囲んだ。


「何をしているのですか!」


「魔術解析です。彼がどのような状態にあるのか確認しただけです。ご安心ください」


 慌ててリュート様を止める私に、彼は私を宥めるようににっこりと微笑んだ。


「ど、どういうことですか。テオドール様は無事……なのですよね?」


「ラシェル様には言いにくいのですが……。彼は既に、テオドール・カミュでありながら、元のテオドール・カミュではありません」


「えっ……?」


 ――テオドール様でありながら、テオドール様ではない?


「はっきりと仰ってください。今、テオドール様に何が起こっているのか」


 どう考えてもテオドール様は異常な状態にある。今、彼の中で何が起こっているのか。どうにかするよりもまず、どのような状態なのか。遠回りな説明など今はいらない。


 切迫した私の様子にリュート様は「そうですね」と困ったように頭を掻くと、ため息を一つ吐く。そして、すぐに真剣な表情へと変えた。


「テオドール・カミュ。……つまり、フリオン子爵は今、記憶を抜かれた状態なのです。龍人の能力によって」


「記憶を抜かれた?」


「皇族の血を引く者は能力を開花する可能性があると言いましたよね。第一皇子の能力は、記憶操作で間違いありません。それは、記憶という生まれてからこれまで休むことなく書き続けて来た本を、全て白紙に変えてしまうようなものです」


「白紙に? ……それは体にどういう影響があるのですか」


 緊迫した面持ちでゴクッと唾を飲み込む。


「どういう影響か、ですか……。なんと言えば良いか」


 私が最後に見たテオドール様の幻影の姿で、彼は深い傷を負っていた。だが、今見るテオドール様は服の上からは痛手を負っているようには見えない。


 だが、龍人の能力とやらを使われたのであれば、テオドール様にとって害があるに違いない。 


 ジッと返答を待つ私に、リュート様は居心地が悪そうに目尻をピクッと動かした。そして、意を決した様にゆっくりと口を開く。


「健康上は問題ありませんよ。魔術師としての能力も失ってはいないでしょう」


「そ、そうなのですね」


 安堵に胸を押さえてほっと息を吐き出す。


「ただ、生まれてからこれまでの、一切の記憶を失っただけです」


 リュート様の言葉に、ギュッと眉間に皺が寄る。


「生まれてからの……記憶? でも、それはちゃんと元に戻りますよね? あの……術を解くにはどうすれば良いのですか? テオドール様の記憶を戻すには……」


 リュート様は、神妙にテオドール様へと視線を向けると、首を左右に振った。


「龍人の能力は絶対です。神にさえどうにも出来ない」


「えっ……? あの、それってどういうことですか? テオドール様の記憶は……」



「テオドール・カミュは、記憶を取り戻すことはないでしょう。……永遠に」



 リュート様の言葉に、キーンと強く耳鳴りがする。


  ――そんな……。そんなことって……。



 目の前が真っ暗になる。まるで暗闇に体を投げ出されたような気分だ。




 私は体の力がフッと抜けたように、突然その場に膝をついた。


 リュート様が焦ったように私に声を掛けているようだったが、その声さえも聞こえず、ただ茫然とその場から動けなくなった。


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