3−30
テオドール様がどういう経緯でこの場所にいるかは分からない。
それでも生きていた。無事に再会出来た。
その事実だけで、私は今すぐ泣き出したいほどに安堵でいっぱいだった。
第一皇子からの献上品をことごとく首を横に振った皇帝は、何を考えてなのかテオドール様だけは「残す」と指示した。
他の贈り物とは分けられるように、テオドール様は騎士によって謁見の間から連れ出された。
思わず「あっ」とテオドール様へと手を伸ばしそうになるのを、リュート様が手で制した。
「ラシェル様、まだです。あと少し、我慢してください」
テオドール様から視線を外すことが出来ない私に、リュート様がコソッと耳打ちした。
「僕が時間を作ります。その隙に彼と話をして来てください」
リュート様の視線から、彼とはテオドール様のことを指しているのだろう。
「彼は、テオドール・カミュ。フリオン子爵で間違いありませんよね。……どういう経緯でこの国に、しかも奴隷のような形であの場にいるかは分かりません。ですが、もしも本当にフリオン子爵であるのなら、あなたは彼と話がしたいのでしょう?」
リュート様の言葉に、胸の前で合わせた両手をギュッと握り締めて頷く。すると、リュート様はフッと優しく目元を細めた。
「おそらく作れる時間は数分だけです。その間、僕が陛下の注意を引きましょう」
「……あ、ありがとうございます」
この人のことを信用出来ない。それは今も変わらない。
だけど、今はそれよりもリュート様の申し出を断る理由がなかった。なぜなら、テオドール様に聞きたいことでいっぱいだったのだから。
「陛下。この後、別室にて残すと仰った献上品の確認をお願いいたします」
「……勝手にしろ、という訳にもいかないか。面倒なことだ」
「ラシェル様もこのままご一緒する形で構いませんよね」
「あぁ、構わない」
皇帝は私を一瞥した後、サッと椅子から立ち上がりこちらを振り返ることなく足早に扉へと向かって行った。
黙って皇帝とリュート様の後を歩く私の頭の中は、テオドール様の先ほどの変わった姿でいっぱいだった。なぜ髪の毛を切っていたのか。傷はもう大丈夫なのか。
何より、あれからテオドール様に何があったのか。
「では、ラシェル様はこちらの部屋でお待ちください。……あっ、扉の前に騎士を置くので、勝手に出て行くのは無理ですよ?」
考え込んでいた私はリュート様の声でハッとする。どうやら、目的の部屋に到着していたようだ。
「さぁ、陛下はこちらへ」
リュート様に促されて皇帝は向かって左の部屋へと入っていった。
そして、残された私はいつの間にか私のすぐ後ろにいた騎士に右の扉へ入るように言われた。
落ち着かない心をどうにか冷静でいようと深呼吸する。俯いたまま部屋へと入ると、ドアはバタンッと、すぐに閉められた。
部屋はシックなネイビーの二人掛けソファーと小さなテーブルがあるのみ。
小さな窓はカーテンが開けられており、そこから差し込む陽が部屋全体を明るくさせる。
太陽の陽を浴びてキラキラと銀色の髪が輝く。その姿を見た瞬間、私は時が止まったように音が消えた。
私の全ての神経は目の前にいるたった一人の人物へと向けられた。
「……テオ、ドール……様」
絞り出すように呟いた声は、彼に届いただろうか。背筋を正したままガラス玉のような瞳をこちらに向けたテオドール様に、時が動くのを感じる。
急かされるようにテオドール様の元へと駆け寄る私に、彼は感情の籠らない瞳でこちらを見た。
「あぁ、良かった……。本当に、本物のテオドール様ですね」
口元に手を当て、感激に涙が込み上げて来る。再び会えることを信じていたけれど、実際にはとても怖かった。あの瞬間、本当にテオドール様は消えてしまったのではないか。
監禁されていた部屋で何度も悪夢を見た。テオドール様の命が消え、いなくなってしまう夢を。
長く美しい髪は随分と短くなったが、それでも何も変わらない。目の前にいるのは、正真正銘、私の知るテオドール様だ。
「あれからとても心配で……信じてはいましたが、本当に怖くて。でも、何よりテオドール様が無事でいてくれて、本当に安心しました。もちろん、問題はまだまだ山ほどありますが……それでも、テオドール様がいてくれてとても心強……い……」
堰を切ったように想いが溢れて止まらない私だったが、徐々に感動よりも疑惑が増す。
「テオドール様? あの……?」
――どうして、そのような目で私を見るのだろう。
一切の感情を削ぎ落としたような目。ぼんやりと私を見つめる目は、親しみも何もなくただこちらを見ているのみ。
目の前にいるのはテオドール様で間違いないのに、なのになぜ……。
困惑する私に、テオドール様はゆっくりと口を開いた。
「あなたは、なぜ私をテオドールと呼ぶのですか」
発せられた抑揚のない声は、よく通る澄んだテノールの声。聞き馴染みのあるテオドール様の声。それは間違いない。
――それなのに、全く知らない誰かの言葉に聞こえる。
「私は、あなたを知りません」
「なっ、どういう……。テオドール様、私……ラシェルです! あの、私……」
「私の知る人物に、ラシェルという方はおりません」
テオドール様は淡々としたトーンで、そう私に言った。鈍器で殴られたような衝撃に、私は瞬きさえ忘れてその場に立ち竦んだ。
「やはり、こいつは先日潜り込んだネズミだな」
後ろから聞こえてきた愉快そうな声に、ハッと振り向く。
そこには、扉に背を預けながら面白そうに私とテオドール様へと視線を這わす皇帝がいた。
「侵入の難しさは大陸一と言われるこの城に、無鉄砲にも単独で潜り込んだ輩がいた。捕える前に姿を眩ませたが、まさか兄上の道具になっていようとは。何とも興味深い話だ」
コツコツと靴を鳴らしながらこちらに近づく皇帝は、テオドール様をじっくりと観察するように上から下へと視線を動かした。
「リュート、調べはついたか」
「はい」
テオドール様から視線を離さずに言った皇帝の言葉に、すぐさまリュート様が返事をする。先ほどまで皇帝がいた扉の入口には、いつの間にかリュート様が立っていた。
「この方は、確かにフリオン子爵に違いありません……。ただ、おそらく龍人の能力を使われていると考えられます」
「兄上からの手紙には何と?」
皇帝の問い掛けに、リュート様は手にした紙へと視線を這わせながら、困ったように眉を下げた。
「はっ。道端で珍しいものを拾ったので、献上すると。煮るなり焼くなり陛下のお好きなように、と仰っておいでです」
――道端で拾ったですって? まるで物のように……。トラティア帝国の皇族は皆、人の人生を何だと思っているの。
苛立ちに唇を噛み締める私を他所に、皇帝はおかしそうにクツクツと笑った。
「なるほど。デュトワ国に肩入れするマーガレットが聞いたら発狂しそうな話だな。……それで、他には何か書かれているか?」
「まっさらにしておきました、と」
――まっさらって、一体何を言っているの?
困惑しながらテオドール様とリュート様へと交互へ視線を向ける私と違い、皇帝はリュート様の言葉に顎を手に置きしばし考え込んでいるようだ。
ゆっくりと口を開けた皇帝は、ニヤリと口角を上げた。
「俺に対する一種の牽制だな。兄上は自分の能力をあえて俺に示してみせた、という訳か」
「ど、どういうことですか……。まっさらって何……龍人の能力を使われたって……」
皇帝とリュート様の言葉が理解出来ず、一人話に付いていけない私でも、テオドール様の身に降りかかった異変に嫌な動悸がする。
自身のことにも関わらずテオドール様は、ずっと変わらない。どこを見ているのか分からないガラス玉のような瞳で、姿勢良くその場に佇むだけ。
――この城の数多の使用人たちと同じ。仮面を着けているように、感情が見えない。
「……テオドール様」
呟いた私の言葉は、動揺に震えている。
「こいつとお前は知り合いだな。そして、こいつはお前を助けにこの国に来た、ということか」
私の様子に皇帝は何か納得したように頷くと、テオドール様をジロジロと様々な角度から観察した。
「お前を守る為に、お前の騎士になたいと、敵だらけの場所へと乗り込んだ。結果、助けることも出来ずに無力に敵の手に落ちた。……何とも哀れな者だ。騎士になれなかった成れの果て、か」
「彼を……侮辱しないでください」
苛立ちに声が僅かに震える。
――無力だというのなら、それはテオドール様ではない。私だ。
テオドール様がどのような想いで行動したのか。
皇帝の言葉は、テオドール様の行動を、信念を、そして想いを踏み躙るものだ。それを理解しているはずの私が、この状況をどうすることも出来ないのだから。
この怒りは、皇帝に向けたものなのだろうか。それとも、自分に向けたものなのか。
「……さて、どう処分するか」
「か、彼には手を出さないでください!」
冷酷な皇帝の言葉に、必死に詰め寄る。だが、皇帝は先ほどまでの愉快気に細めた目元から、鋭く冷め切った瞳をこちらに向けた。
「それは既に俺の所有物だ。どうしようと俺の勝手だ」
「……っ!」
その時、この部屋に入ってからというもの、ピクリとも動かなかったテオドール様がその場から一歩前へと足を進めた。
ハッとテオドール様へと視線を向けるも、彼はこちらを全く見ておらず、視線を辿った先は皇帝へと繋がっていた。
「……皇帝陛下」
背筋を正し、未だ何を写しているのか分からない瞳で皇帝を見たテオドール様は、ポツリとそう呟く。
爽やかな風のように柔らかいテノールの声は、今は硬く響かない。発した声に驚くよりも、私はその後のテオドール様の行動に、極限まで目を見開いた。
なぜなら、テオドール様はその場で右膝をついたのだから。
「テオドール様、一体何を……。どうして」
――トラティア帝国の皇帝に跪くなんて……。なぜ、皇帝に忠誠を示すような真似を……。
信じられない思いで、愕然としながら呟く。だが、テオドール様は私の声など一切聴こえていないかのように、顔を伏せたまま微動だにしなかった。
口元を手で押さえ、僅かに後ずさった私の背を皇帝が押さえた。
「その絶望に染まった顔は、なかなかに良い顔だ。お前がそのような顔を見せるのであれば……それをこのまま処分するのも勿体無いな」
私の顔を覗き込む皇帝の瞳は、愉快そうに歪んでいた。そして、テオドール様、私を交互に見比べた後、体を扉の方へと向けた。
「リュートが以前言っていたな。精霊国で使えそうな魔術師とやらは、こいつのことか?」
「そうです。僕が知る限りでは、精霊使いの中で最強かと」
「……そうか。どうせ滅ぼす国ではあるが、その前に精霊の力を知るのも悪くはないかもしれないな。退屈凌ぎにはなりそうだ。……こいつをしばらく俺の元に置くことにしよう」
「では、そのように準備いたします」
皇帝の思い付きにリュート様は淡々と答えた。すると、皇帝は満足気に未だ跪いたままのテオドール様を一瞥した。
「あぁ。さて、もうこれ以上ここに留まる理由はないな?」
「はい。本日の業務は以上になります」
「そうか。であれば、俺は部屋に戻る。残りの雑務はお前に任せよう」
「あ、あの……」
踵を翻そうとした皇帝に思わず声を掛けた私に、彼は視線だけを私へと向けた。
「面倒な話はリュートにでもしろ。……リュート、こいつもお前が元の部屋に戻しておけ」
「承知いたしました」
頭を下げるリュート様の隣を皇帝は通り過ぎ、そのまま部屋を後にした。残されたのは、リュート様と私。
そして、未だ顔を伏せたまま動かないテオドール様。





