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3−28

『ニャー』


『キュッ!』


 クロがやって来てからというもの、ロゼは毎日のようにクロを構い倒してはクロに嫌がられている日々だった。今もクロのベッドに潜り込んで頭にパンチを貰っていた。


 ロゼが目覚める前、寝ていてばかりだった頃はクロはロゼという未知の存在に興味津々だった。それが目覚めたロゼと関わった瞬間から嫌になるほど構われ倒し、嫌気がさしているようだった。


 ――ネル様も随分とドラゴンを嫌がっている様子だったし、精霊とドラゴンは相性が良くないのかもしれない。


 ネル様……。

 彼に今すぐコンタクトを取ることが出来れば、ドラゴンのこと、トラティア国のことを聞くことが出来るのに。


 ――ネル様から貰ったペンダントさえ今あれば……。


 つい先日までペンダントがあった胸元へと手を這わすが、そこには何もない。


 何となくだが、ネル様はこの問題には関与してくれない気がする。


 私を面白がってくれているのも本当だし、出来る限り手を貸してくれるのも確かだ。だが、それもネル様の面倒にならない程度。自分が楽しいと思える範囲での話だ。


 だからこそ、これは誰かに頼るのではなく、自分がどうにかしなければならない問題なのだ。


「どこから、どう始めれば良いのか……」


 クロとロゼのじゃれ合いを見ながら、途方に暮れる。


 すると、クロがベッドから起き上がりのんびりと私の膝の上に登った。毛並みの良いクロの背を撫でる。


「……テオドール様を探すこと。ここから逃げること。優先するべきはそこ、よね」


 将来的にアレク・トラティアが皇帝でいる限り、トラティア帝国は大陸の最大の脅威だ。その危険はこの先デュトワ国にも及ぶ可能性がある。


 その脅威を避けるには、私の力だけでなくルイ様やテオドール様、それに光の聖女であるアンナさんの助けも必要だろう。

 それに、自国だけでなくリカルド様が国王になったオルタ国、そして他の国々との協力も欠かせない。


 ……それでも不足ならば。ネル様の力も出来ればお借りしたい……というのが本音だ。


 だが、その為にも第一にテオドール様の行方を見つけ出さなければ始まらない。まずは、自分が出来ることを探そう。


「ロゼとクロはこの部屋から出られるのよね」


『キュ?』


 自分の名が呼ばれたことに反応したであろうロゼが、私の首に体を巻き付けた。


「……精霊やドラゴンが出入り出来るのなら、私もこの部屋から出ることが出来ないかしら。あぁ、でも何より……この城の謎を解き明かさないと」


 この国のことを私はほとんど知らない。マーガレット皇女殿下に聞いたことは、この国のほんの一部分だ。――もっと、もっと情報が欲しい。


 皇城を脱出し、テオドール様が隠れている場所を見つけ出す為に。その為には……トラティア帝国をよく知る協力者が必要だろう。



 だとして……誰を?



「おい」



 思案に沈む私は、どれほど集中していたのか。すぐ側から聞こえる声にビクッと大きく肩が揺れる。


「なっ!」


 声の出所を探そうとパッと顔をあげた私が見たもの。それが、自分の想像にもなかったことにより、思わず瞠目し驚きの声が漏れる。


「ラシェル・マルセル、だな」


 まるで地の底から響く声だ。鋭い赤紫の瞳がギロッとこちらに向くだけで体が硬直し、今まさに崖の端に立っているような気持ちになる。


「はい。……皇帝陛下」


 自分の声は震えずに発せられただろうか。緊張からか喉が乾き口が上手く動かない。


「地下牢で会ったきりだったか。あの時よりもマシな目をしているな」


 何を考えてなのか、皇帝は目の前で床に膝を着くと私の顎を手で掴み、顔を上げさせた。


 近距離に見る皇帝の姿に、ガチガチと歯が鳴りそうになるのを拳をギュッと握り締めることで何とか堪える。しばらく観察するように私を見た皇帝は、すぐにサッと立ち上がり踵を返した。


 皇帝の視線が外れた瞬間、ようやく私は息をすることが出来た。苦しくなった胸を押さえながら必死に空気を取り込もうとする。だが、荒くなった息はなかなか上手く呼吸が出来ない。


 ――この人、どういうつもり。……いつまでここにいるの。


 なぜ今まで放置しておきながら急に現れたのか。何のつもりなのか。おそらく今鏡を見れば、私の顔は真っ白を通り越して青く鳴り、額には汗の玉が見えるだろう。


「……着いて来い」


「えっ……」


 皇帝の言葉を理解出来ずに思わず顔を上げた私に、皇帝は顔だけをこちらに向けて面倒臭そうに眉を顰めた。


「俺の後を着いて来い、と言ったんだ。……それとも、永遠にこの部屋にいるか?」


 急に降ってきたチャンスに狼狽える。

 どこに連れて行かれるかは分からないが、この部屋を出られることは、きっと何かしらの手掛かりになり得る。


 もしかすると、チャンスではなく罠かもしれないが。  

 それでも、罠の可能性と恐怖、天秤にかけても私はチャンスを選ぶ。何しろ、ここでジッと恐怖に震えたところで何にもならないのだから。


「い、いえ……行きます」


 震える足に力を込めて立ち上がる。未だ皇帝の視線は怖いが、それに負けているようではこの人に打ち勝つことは出来ない。


 皇帝の視線を真っ直ぐ受け止めると、彼は僅かに目を見開いた。


 だが、すぐに何も言わずにスタスタと足を進めてしまうその後を、私は慌てて追った。



 監禁されていた部屋から出た瞬間は緊張でいっぱいだった。龍人族の城という未知の場所は、どれほどおどろおどろしいのかと。


 だが構えていた自分の不安は、部屋の外に出た瞬間に薄まった。

 トラティア国の皇城は、自分の想像の範囲を超えることがなかったからだ。


 もちろん一般的といっても、歴史的な重厚感のある建物であり窓から見える限りでも広大な敷地は、どこまで続くのか不明なほどだ。

 会話もないまま長い廊下を永遠に歩いている気がするが、ここが城の本館なのか別館なのかさえも分からない。


「あの……皇帝陛下」


「……何だ」


「……ここは地下牢と同じ建物なのでしょうか」


 リュート様の日頃の反応からして、テオドール様が見つかった様子はない。


 だが、もしも生きて見つかり、捕えられているのであれば、テオドール様がいるのは地下牢の可能性がある。この場所がどこなのか、そして地下牢はどこにあるのか。今は些細なことでも情報が欲しい。


「別だ」


「え?」


「……お前の部屋は本館に位置し、地下牢は本館に繋がる別館の一つにある」


 ダメ元で訪ねたというのに、あまりにあっさりと答えてくれたことに驚く。


「本館には基本的に皇帝が必要なもの以外は何もない。皇帝のための建物だ」


 急に足を止めて振り返った皇帝は、僅かに口の端を上げてニヤリと笑った。


「それは……どういう意味でしょうか」


「さぁな」


 意味深な言葉に眉を顰める。そんな私の表情に皇帝は満足気に笑みを深めると、再び歩みを進めた。


 ――今の、どういう意味? 私が本館に閉じ込められていることも、皇帝にとって何かしらの意味がある、ということ? 


 いや、良い。今は深く考えないでおこう。それよりも、皇帝にとって重要なものは全てこの建物にあるということを知ることが出来ただけでも十分な収穫だ。


 おそらくこの本館の守りは敷地内の中で一番強固だろう。……つまり、この本館こそ脱出の最難関。本館を出られなければ、地下牢の別館へ行くことさえも難しい。


 辺りを警戒しながら観察する。この廊下を歩く間、使用人とすれ違うことはなかった。人の気配がない異質さを感じながらも、よくよく観察すると、窓の外には警備の兵が所々に配置されている。


「陛下」


 前から聞き馴染みのある声がし、顔を上げる。

 廊下を曲がった先にいたのは、リュート様だった。


「……と、ラシェル様? あぁ、ご一緒でしたか」


 皇帝と私が一緒だったことが意外だったのか、リュート様は目を丸くしながらこちらを見た。


「あぁ。そろそろ、いい頃合いだろう?」


 皇帝の言葉に、リュート様は「なるほど」と、にっこりと微笑んだ。


「良いかもしれませんね。ラシェル様も退屈な日々を過ごしているでしょうし。それに、今日はちょうど国内外の使者が陛下を訪ねる日ですから。……次期皇后の存在を仄めかすのも、良い機会ではありますね」


 内緒話でもするようにひっそりと話すリュート様の声は、私の耳に微かにしか届かない。だが、聞き間違えでなければ次期皇后と言っていなかっただろうか。


「えっ? 今、何と?」


 怪訝そうに聞き返す私に、リュート様は目を細めながら笑みを深め首を左右に振った。


「いいえ。少し皇城を散歩しながら、謁見の間へと移動しましょう」


 ――謁見の間? 皇帝が私を連れ出したのはそこへ連れ出す目的だったのか。


 ……でも、なぜ?



 彼らの思惑が分からぬまま、それでも今は黙って着いて行くことしか出来ない。


 数多の疑念が浮かんでは消え、歯痒い思いを抱えながら、私の足取りは段々と重くなって行くのだった。



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