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3−26

「ここは……」


 ――私……どうして、ここにいるの? それに、ここはどこ?


 目を覚まして辺りを見渡すと、そこは見知らぬ部屋だった。


「……ベッドの上? なぜ……」


 ズキンと痛む額を抑える。


 ――確か、私は……さっきまで、暗く冷たい地下牢にいた。


『本当にお前が、俺の運命の相手だというのか?』


 そう私に告げたアレク・トラティア。彼が近くに来ただけで耳鳴りがし、金縛りにあったように指ひとつ動かない。彼の纏う空気は、どこまでも異質だった。


 アレク皇帝の姿を思い出すだけで身震いがする。それを止めようと、自分を抱きしめるように腕を掴む。



 その時、ガチャッと扉が開いた。


「あれ、起きていたのですね」


 穏やかなテノールの声に顔を上げる。

 その扉から入ってきた人物は、私の姿を見るや僅かに目を見開いて、ベッド際にゆっくりと歩み寄った。


「大丈夫ですか? 水でも飲みますか?」


「あなたは……」


 ベッドサイドのチェスト上にあるグラスに、水差しから冷水を注ぐと私に差し出しのは、天使のような微笑みを浮かべたリュート・カルリア公子だった。


「そんなに怖い顔をされなくても、あなたに危害を加えたりはしませんよ」


「……信じられません」


 ――この人、私に何をしたのか覚えていないはずがない。……一体、どうしてここまで自然でいられるの。


 嫌悪感に眉を寄せ、差し出された水を受け取ろうともしない私に、リュート様は肩を竦めた。


「残念。信用を失ってしまったようですね」


 残念と言葉にするリュート様は、言葉とは裏腹にケロッとした態度で目の前の椅子に腰掛けた。


「毒なんて入っていないですよ? ただの水です」


 私が受け取らなかったグラスに口を付け、ゴクッと喉を鳴らす。


「ね、普通の水でしょう?」


 リュート様は、そう言いながら不思議そうに首を傾げた。


「水が安全かどうかも重要ですが、それ以上にあなたからの施しなど一切いりません」


「ふふっ、たった一杯の水であろうと?」


 肯定を意味するように押し黙った私に、リュート様はおかしそうに肩を揺らした。


「ラシェル様は面白い方ですよね。僕の周りにはいない人だ。……ただ、長い付き合いになるでしょうから。僕としては、あなたといがみ合いたくはないんですよね」


「長い付き合いですって?」


「はい、長い付き合いになりますよ」


 ――あり得ない。こんな国、長居するものですか。


「私は、すぐにでもデュトワ国へ戻るつもりです。……そう、テオドール様を……」


 ――見つけたら……すぐに。


 握りしめた拳に、更に強く力を込める。


 私を助けるためにトラティア帝国入りしたテオドール様。最後に見たテオドール様は幻影の姿で、深い傷を負っているようだった。目も見えず、私の声も届かないほどに……。

 もしかすると、既に……。そんな想像はしたくないのに、嫌でも最悪の事態が頭を過ぎる。


 ――ダメ。弱気になってはダメ。


 テオドール様は、生きている。きっとテオドール様ならば、こんな場所であっさりと死ぬなど、絶対にない。それにテオドール様は、どんな最悪の状況であれ、絶対に諦めないはずだ。


 だから、私も諦める訳にはいかない。


 嫌な想像を振り払うように、何度か頭を横に振ると、意を決して顔を上げた。すると、目の前には、不思議そうに首を傾げるリュート様の姿があった。


「テオドール様? テオドール・カミュ……フリオン子爵のことですか? 彼がどうかしたのですか?」


 不審気に眉を顰めたリュート様にハッとする。


 ――リュート様は、テオドール様が単身トラティア帝国に乗り込んできたことを知らないはず。

 だとすれば、深い傷を負っていながら身を隠しているであろうテオドール様のことを、彼に知られるのはまずい。


 微笑みながらも何を考えているのか分からないリュート様から逃げるように、私は視線を外す。


「いえ……。何でもありません」


「そうですか。では、また何かあればぜひ教えてくださいね」


 リュート様はそれ以上追求することなく、にっこりと笑みを浮かべた。





「ところで……先程まで、私は牢屋に閉じ込められていたはずです」


「あぁ、そうでしたね。あれは僕の不手際です。衛兵たちに、ラシェル様を丁重にもてなすように伝えたにも関わらず、あのような対応を……。大変申し訳ありません」


「……ここは、どこですか?」


「この部屋は皇城内の客室です。ちなみに、窓もドアも開きませんよ? 術を何重にも掛けてある特殊な鍵が必要ですので」


 先ほどまで申し訳なさそうにしていたリュート様だったが、今はそんな演技も忘れたかのように悪びれない様子でそう言い放った。


「それでは牢屋と何一つ変わらないではありませんか!」


「地下牢で無理に脱出しようとされていたようですから。……これも、あなたの身の安全のためです。この国は、ラシェル様が想像している以上に、危険な場所なのですから」


 優しく微笑んでいてもどこか瞳の奥が冷え冷えとして見えるリュート様に、背筋がゾッと凍える。


「大丈夫です。大人しくしていてくださる分には、こちらもあなたに危害を加えません」


 ――まるで脅しね。


 悔しさに唇を噛み締める。龍人族である自分に、あなたが敵うはずがない。言外にそう言っているように聞こえた。


 ――敵だらけのこの場所で、私は立ち向かわなければならない。いつも側にいてくれるルイ様もいない。闇の精霊王ネル様に助けを呼ぶことも出来ない。

 そして、いつも手を差し伸べてくれるテオドール様だって……。一刻も早く彼を私が見つけなければ……。


 今は一人で戦わなければならない時なのだから。


 一人悩み考え込む私が黙っていることを、リュート様は自分の助言を受け入れたと捉えたようだ。満足そうに「それで良いのです」と頷いた。


 そして、何かを思い出したように「あっ」と声をあげると、椅子から立ち上がると入口のドア近く、布に被さった大きな箱のようなものへと近寄った。


「そうそう、お届けしようと用意したものがありました」


「さっきも言いました。……あなたからは何一つ受け取らないと」


「そうですか? でも、施しなどではありませんよ。これは元々あなたのものです。……僕が少しお借りしたものですから」


 何を言っているのか全く見当も付かない私を気にも止めずに、リュート様は箱に掛かっていた布を剥ぎ取った。


「あっ!」


 その瞬間目に飛び込んだものを見て、思わず驚きに声をあげる。 


 箱だと思ったものはケージで、その中には眠そうに大きな欠伸をするドラゴンの姿があった。


「お一人だと退屈ですよね。少しは退屈凌ぎにはなるかと思いますよ」


 ケージの扉を開けると、ドラゴンは不思議そうに僅かに身を捻らせたあと、恐る恐るといった様子でケージの外へと顔を出した。


「このドラゴン……」


 私の声に反応するように、ドラゴンは『キュッ!』と甲高い鳴き声を出すと、嬉しそうに部屋中を飛び回った。


「そうです。絶滅したはずのドラゴン。……この世に残された最後の生き残りです」


 リュート様は飛び回るドラゴンの姿を目で追いながら、ドラゴンを呼ぶように手を差し出した。すると、ドラゴンはそれに応えるようにリュート様の手へと降り立ち、彼の腕の中に大人しく収まった。


 そう。驚くことに、私とリュート様を乗せてトラティア帝国までやって来たドラゴンは、今はその姿が嘘のように元の小さな白竜へと戻っていたのだった。


「……あのドラゴンは、巨大化したはずでは」


 次々に疑問が溢れ出る私の膝にドラゴンをそっと置いたリュート様は、ドラゴンの頭を優しく撫でると視線をこちらに向けた。


「この国に到着したと同時に、このサイズになってしまいました。僕が調べたところ、巨大化して大暴れした影響で、封印時に貯めていた魔力を使い果たしたようですね。今は赤ちゃん竜に戻ってしまったので森中を火事にした威力も最早ありません。危険はありませんよ」


『キュウ?』


 クリッとした瞳でこちらを見上げるドラゴンは、とても塔を粉々にし森を焼き尽くし、数千キロの距離を一夜で移動したとは思えないほど、愛くるしい姿をしていた。


 ドラゴンはまるで人懐っこい犬のように、目を細めながら私の手に自分の頭を擦り寄せた。まるで良い子だと撫でて欲しいとでも言うように。


 だが、私の手は鉛のように硬直しピクリとも動かない。


『キュ?』


 一向に動かない私の手にドラゴンは不思議そうに顔を上げて、私を見上げた。まん丸のつぶらな瞳と目が合うと、胸の奥がキュッと締め付けられる。


 この子さえいなければ、私はトラティア帝国に連れてこられることもなく、テオドール様は無事で……デュトワ国が危険に晒されることもなかった。


 ――このドラゴンの封印を解かなければ……。


 沈む私の気持ちなど気づきもしないドラゴンは、小さな翼をパタパタと動かして私の顔の前へと飛んできた。そして、私の顔をジッと見つめると目尻をペロッと舐めた。


 驚く私が目元に手を当てると、僅かに滲んだ涙が手を濡らした。


「あなた……」


 ドラゴンはおそらく滲んだ涙を止めようと舐めたのだろう。心配そうにこちらを見つめるドラゴンはとても可愛らしい。だからこそ、複雑な思いに胸が更に重くなる。

 そんな私とドラゴンの様子を離れた場所から見ていたリュート様の、僅かに鳴らした靴音にハッとする。


「ドラゴンはあなたと仲良くしたいようですね」


 リュート様の言葉を肯定するように、ドラゴンは『キュー』と鳴いた。


 それにどう返事をすれば良いかと困惑する私に、リュート様は困ったように眉を下げた。


「とりあえずは、この子はあなたのところに置いておきます。……どうしても手に焼くようでしたら僕が引き取りますので」


 ドラゴンはリュート様が話す間も私の周りを楽しそうに回ったり、体を擦り寄せたりとご機嫌な様子だった。


「では、僕はこれで。……また顔を出しますね」


 にっこりと笑うリュート様に、思わず顔を顰める。だが、リュート様はそんな私の様子に気づいているはずなのに、微笑みを崩さないまま部屋を後にした。





 深く吐いたため息が広い部屋によく響く。豪華で煌びやかな部屋とは反対に、私の心は深く沈み行く。

 ドラゴンはどこから見つけてきたのか小さなボールを咥えながら、私が座るベッドの上へと勢い良くダイブした。


 クリッとしたキラキラした瞳をこちらに向けるドラゴンは、まるで私に遊ぼうと誘っているようだ。


「……これからどうしよう」



 ドラゴンを見つめながら、私はそうポツリと呟いた。


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