3−23
「……嬢、ラ……ラシェ……嬢」
私を呼ぶ誰かの声に、重い瞼を開ける。
覚醒しきらず霞む目で、目の前にいる人物の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。
「ラシェル嬢、目が覚めたか?」
「テオドール様? ……テオドール様!」
ガバッと起き上がると、途端にズキっと頭の痛みに顔が歪む。すかさず、テオドール様が慌てたように駆け寄ってきた。
「ラシェル嬢……無事でよかった」
眉を下げて、心配そうにこちらを見つめるテオドール様の視線と目が合う。
テオドール様の顔は随分と疲れが滲んでおり、普段から清潔感溢れる身なりをしているテオドール様にしては珍しく、ローブは薄汚れて所々に破れがある。
ぼんやりとした頭が徐々にクリアになり、頭痛が僅かに治っていくと、自分が置かれている状況へと思考が向かうようになった。
――何故ここにテオドール様が? いいえ、それよりもここは一体どこ?
周囲を見渡すと、私は薄暗い部屋の質素なベッドの上に寝かされていることに気がつく。
小さなランプしかないこの部屋は、手の届かない壁の上部にある小窓と頑丈そうなドア以外に外へ出る手段はなさそうだ。
「この部屋はどこなのでしょう……」
私はゆっくりと立ち上がり、ベッドサイドのランプを手に取る。部屋に置かれている家具は先程まで寝ていたベッド、そして簡易的な机と椅子のみ。薄暗くて冷たい小さな部屋に鉄で出来たドア。
「……ここは、トラティア帝国の皇城だよ」
「皇城! では、私はあのドラゴンでここまで連れて来られたのですか?」
「あぁ、そうだ。あの日から、丸3日ってとこだ」
「確か、ドラゴンに乗っている時に、頭に衝撃が走って……それから3日も眠っていただなんて」
意識を失う前に何があったのか。
記憶を辿ろうとして、真っ先に浮かんだのは、リュート様がドラゴンの上から魔術を使ったこと。そして、私に向かって両手を広げて待っていてくれたあの人の姿。
「ル、ルイ様は……ルイ様はご無事ですか? 確かリュート様に攻撃されて、それで!」
「安心して良い。ルイは無事だよ」
「……そ、そうですか」
力強く頷くテオドール様の様子に、私はホッと胸を撫で下ろす。だが、すぐに焦りが襲ってきた。
「……早くルイ様の元へ帰らないと」
ドアノブをガチャガチャと開けようとするも、外から鍵が掛かっているようで開かない。
小窓へと視線を向けるが、どう考えても人が通れる大きさではなく、しかもご丁寧に柵が付けられている。
「まるで牢屋ね」
ポツリと呟いた言葉に、テオドール様は深刻そうに頷くと、その場にへたり込むように座った。
「この部屋は皇城の地下牢だよ。この部屋の外には屈強そうな門番が3人もいる」
――リュート様は、連れてきた私を逃さないようにと、地下牢に入れたということ?
「では、テオドール様も一緒に連れ去られてのですか?」
「いいや。今、ラシェル嬢が見ている俺は、本物じゃない」
「本物じゃない?」
本物じゃないというのはどういうことだろうか。
まじまじとテオドール様を見ると、そこにはちゃんとテオドール様が存在している。腰に手を当てながら、いつもと同じようにニヤリと笑うテオドール様。
不思議そうにしている私に、テオドール様は「その反応だと、魔道具の性能はかなり良さそうだな」と満足気に笑いながら、私の肩に手を当てた。
だが、テオドール様の手はするりと私の肩を通り抜ける。驚きに目を見開く私は、慌ててテオドール様へと手を伸ばす。
目の前に間違いなく存在しているテオドール様の体は、触れようとしても空を切るだけ。
「ど、どうなっているのですか?」
「ラシェル嬢が連れ去られた時、俺の契約精霊をラシェル嬢の側にいるように付けておいた。今ラシェル嬢が見えている俺は、俺の契約精霊に持たせた魔道具によるものだ。……とはいえ、この魔道具はまだ開発段階で近距離じゃないと使えないんだ」
「えっ、ということはテオドール様は側にいるのですか?」
「あぁ、皇城の地下牢近くに身を潜めている。何とか隙を掻い潜ってここまで来たけど、地下牢は警備が固い。それでも、綻びはきっとあるはずだ。すぐに助けにいくから待っていて」
テオドール様の契約精霊? 辺りをキョロキョロと見渡すも、精霊は見当たらない。もしかしたら、姿を隠しているのかもしれない。
「……デュトワ国からここまで、私はドラゴンに乗ってきたのですよね。テオドール様は、こんな短時間でどうやって。……かなり無理をしたのでは」
私が意識を失っていたのは3日間。
ドラゴンに乗ってきた私は別として、普通であれば一ヶ月は掛かる道のりだろうに、どうしてテオドール様は既にトラティア帝国にいるのだろうか。
いくらテオドール様といえど、果たしてこんなにも短期間でここまで来ることが可能なのだろうか。
「ははっ。うーん、そうだな。出来るだけ急いで来たから、無理にしてないと言えば、嘘になるかもな」
よくよくテオドール様の姿を見ると、ずっと腰元に手を当てている。
今はどこか壁に体を預けているのか片足をだらりと投げ出して、力があまり入っていないように見える。
いつものように飄々とした笑みを浮かべながらも、僅かに眉間に皺がよっている。
「もしかして、怪我をされているのでは?」
もしもローブの下、隠された部分に私からは確認出来ない傷を負っていたら。
そう思うと、テオドール様に触れることは出来ないというのに、私はテオドール様が力を込めて抑えているように見える腰元に手を当てる。
だけど、もちろん幻影のテオドール様に私が直接触れて確認することは叶わない。
「いや、ちょっと魔力の使い過ぎで疲れただけだよ」
「でも!」
肩を竦めて微笑むテオドール様に、私はもどかしい気持ちでいっぱいだった。
「……何故、このような無茶を!」
思わず強い言葉になってしまったが、私は決してテオドール様を責めたい訳ではない。むしろ、この状況で真っ先に駆けつけてくれたことに感動さえ覚えていた。
だけど、それでも私にとってテオドール様はかけがえのない人だ。どんなことがあろうとも、自分を犠牲にして欲しくない。
――私があの時、上手く逃げられなかったばかりに……。いえ、そもそもドラゴンの封印を解いてしまったばかりに、大切な人たちを傷つけることになってしまった。
「おっ、心配してくれるんだ。嬉しいな」
「茶化さないでください!」
こんな時まで、冗談を言うように軽い口調なテオドール様に、私はもどかしい気持ちでいっぱいになる。
「もっと、もっと自分を大切にしてください」
「こんな時だから、だよ。ラシェル嬢」
「えっ?」
「この問題は君だけのものじゃない。これはデュトワ国という国の存続を賭けた戦いになる」
さっきまでの微笑みを消し、真剣な表情でこちらを見たテオドール様は、腰に当ててない方の拳をギュッと固く握った。
「ドラゴンのことやトラティア帝国からの留学生は危惧していても、こんなにも急に状況が悪化するなんて想像もしていなかった。それは俺の落ち度でもある。ルイやラシェル嬢、キャロル嬢やシリル……みんな同じ気持ちだ。大切な人が生きているあの国を守りたい。そう思うのは当たり前だろう?」
テオドール様の言葉に、ハッとする。
そうだ、今の状況への戸惑いと不安と、そしてどうしたら良いのか分からない焦燥で自分のことさえも上手く見ることが出来なかった。
「一人じゃ出来なくても、俺たちそれぞれが立ち向かえば、きっとこの状況を打破することは出来るはずだ」
「一人じゃない……」
脳裏に、アンナさんやサラ、両親。サミュエルにシリル……そして、ルイ様の姿を思い浮かべる。きっと彼らは、すでに立ち上がって戦い始めているのだろう。それぞれの方法で。
テオドール様は、私の表情が変化したのを感じたのか、フッと頬を緩めた。
そして、触れられないことなど分かっていながら、私の頭をポンポンと撫でるように頭の上へ手を翳した。
「俺だってそうだよ」
「テオドール様……」
「大切な人を守る。俺もその為に、ここにいるんだ。お姫様」
まるで眩しいものを見つめるように目を細めながら、深紅の目をこちらに優しく向ける。
「折角こんな遠出までしてきたんだ。ナイト気分を味合わせてくれたっていいだろう? だから、王子様が迎えに来るまで、ちゃんと君を守る栄誉を授けて欲しいな」
微笑むテオドール様は、どこか儚く、今にも消えそうな美しさがある。
幻影だからなのか、テオドール様の周りからキラキラと淡い光のようなものが見える気がする。
――だけど、何故こんなにも嫌な予感がするのだろう。





