3−22
「えっ、ここ……どこ?」
慌てて立ち上がり周囲を見渡すと、目の前には川があった。
川には沢山の折れた枝が流れており、焼け焦げた臭いも変わらずある。
ということは、先程いた場所からは離れていないのだろう。
――おそらく、ここは塔の裏門近く。だとして、なぜ一瞬で反対側に?
この状況はまるで、テオドール様やネル様が使う瞬間移動のような魔術を使ったような現象。
だけど、私はもちろんそのような魔術を使えないし、私を移動させた人物に心当たりもない。
何故、どうして、と狼狽えるよりも、まず真っ先に私はルイ様の顔を思い浮かべた。
――ルイ様はきっと、私を探しているはず。何故急にこんな所にいるのか、その疑問を解決するのは後だ。
すぐに戻らなくては!
駆け出したその時、目の前から見知った人物が歩いて来るのが見え、足を止める。
砂利を踏みながら、ゆっくりと歩いてくるその人物が、月明かりに照らされて顔が見えた瞬間、私は「あっ」と声を漏らした。
「ここにいましたか。……ラシェル様」
「リュート様? やはり、あなたもここに来ていたのですね」
ドラゴンの国であるトラティア帝国の公子であるリュート様は、おそらくすぐに行動に移すだろうとは思っていた。
だけど、もうここまで来てしまっていたとは。
内心動揺しながらも警戒心を見せないよう、あえて微笑んで見せる。
「リュート様? あの、皇女殿下は、塔の側で休んでおります。すぐに行ってあげてください」
――きっと皇女殿下も、目が醒めた時にリュート様がいれば安心出来るはず。
それに、いつもと違ってリュート様の纏う雰囲気が僅かにピリついて見える。
だが、リュート様は心底不思議そうに首を傾げた。
「マーガレットもここにいるのですか? あぁ、なるほど。マーガレットがドラゴンを目覚めさせるのに一役買ったのですね。あれでも、予知以外に使い道はあったのですか」
「あれでもって……そんな」
先程からリュート様への違和感と共に、パリンと何かが弾けるような耳鳴りがする。その耳鳴りは、まるで皇女殿下が魔力暴走を起こした時と同様の異様な感覚。
思わず頭を抑えながらよろめくも、リュート様は何を考えているのか分からない無表情で、剣先を己の指先に当てた。
「な、何を……」
戸惑う私を他所に、リュート様の指からはポタポタと血が流れる。
「でも、ドラゴンの封印を解いたのはあなたですよね。絶滅したはずのドラゴンを復活させるとは、あなたは確かにアレク陛下に相応しい」
地面にリュート様の血が吸い込まれていくと、その血は禍々しい黒いモヤを作っていく。
――このモヤは、皇女殿下と同じ……。一体、何をする気?
その時、黒いモヤを辿るようにドラゴンがこちらへ急降下してくるのが見えた。
「あ、危ない!」
そう叫びながら頭を隠すように身を縮こませる。だが、想像していた衝撃は襲って来ず、恐る恐る目を開けると、そこには衝撃的な光景が目に飛び込んできた。
「ドラゴンが……頭を垂れている?」
散々暴れ回していたドラゴンが、大人しく地面にひれ伏している。
大きな体は側で見ると、より迫力が増し、鱗はキラキラと輝いている。
リュート様は、ドラゴンの元へと近づくと、月明かりに輝く背をゆっくりと撫でた。不思議なことに、ドラゴンもそれを黙って受け入れている。
「なぜ急に……」
「トラティア皇族の血は、龍を従わせられますから。血の薄くなった他の皇族には無理でしょうが、私とアレク陛下であれば、このくらい容易いものです」
リュート様だってドラゴンを実際に目にするのは初めてなはず。それなのに、恐れもなくあっさりと従わせてしまうなんて。
――龍人の血とは、なんて恐ろしいものなんだろう。
戸惑う私を、リュート様はこちらに来いと手招きした。
「ドラゴンというものは、いくら主人といえど簡単に従ってはくれません。己より強者だと認めなければ。……ただ、間違いなく、このドラゴンはあなたを主人だと言っています」
「……このドラゴンが、そう言っているのですか?」
「えぇ。ここに乗って、手を当ててみてください。温かく感じませんか?」
リュート様に誘われるまま、ドラゴンの首元に腰掛けて頭を撫でる。すると、さっきまで持続的にあった耳鳴りがすうっと消え、身体中にぽかぽかと血が巡る感覚がする。
――この感覚は、先程の瞬間移動の直前と同じ感覚?
「これは、このドラゴンとあなたが繋がっているという証拠です」
私の後ろに飛び乗ったリュート様は、私の顎に手を当てて、強制的にこちらを向かせた。
「何をするのですか!」
これまでずっと紳士的に振る舞っていたリュート様の無遠慮な態度に、抗議の声を上げて手を跳ね除ける。
だが、リュート様は何を考えているのか分からない無表情で、グレーの瞳をこちらに向けたままジッとこちらを見つめた。
「不思議ですよね。トラティア帝国からこんなにも遠い大陸の外れに、絶滅したはずのドラゴンを復活させた者がいるだなんて。……本当に興味深いです」
その時、リュート様がドラゴンをひと撫ですると、ドラゴンはそれに応えるように大きな羽をバサバサと広げて、空高く舞い上がった。
「なっ、止めて! 下ろして!」
ドラゴンは私の言葉を無視して、悠然と空を飛び続ける。
裏門が遠ざかり、焼け焦げた木々の隙間を通り抜ける。
「どこに向かうのですか! これでは離宮から離れてしまいます!」
「どこって? もちろん、このままアレク陛下の元まで」
「帝国まで? 正気ではありません」
――この人は一体誰なの? 一体、何を言っているのだろうか。
リュート様の変貌ぶりに困惑しながらも、沸々と怒りがわく。
突如現れたドラゴンの存在、そして当たり前のように私の意志を無視して帝国に連れていくと曰うリュート様。
トラティア皇帝がもしもドラゴンを手しに、私が帝国へと連れ去られてしまえば、間違いなくデュトワ国は争いの中心部になる。
――そんなことは絶対にさせない。
「降ります。私は、あなた方の言いなりになんてならない」
「……どうやら、陛下の運命殿は気がお強いようだ。これであれば、陛下もお気に召すかもしれませんね」
幸いまだ低空飛行だ。大怪我は免れないかもしれなが、きっと木がクッションになるはず。
意を決したその時、ドラゴンの体勢がグッと傾いた。
「キャッ!」
何かの壁にぶつかったような衝撃に、周囲を確認する。すると、そこにいたのはルイ様だった。
ルイ様がドラゴンの動きを止めるために放った魔術により、ドラゴンはその身をバタつかせた。
「くっ、しぶとい奴等め」
後ろに乗るリュート様が、眉を顰めてチッと舌打ちする。
「ラシェル、降りていい! 俺が受け止めてやる」
両手を広げるルイ様の元へ飛び降りようとした時、リュート様が小さな声でブツブツと呪文らしきものを唱えると、ルイ様目掛けて指を鳴らした。
「そうはさせない。運命殿とドラゴンは、僕が必ず連れ帰る」
リュート様の指からパチンと音が鳴った瞬間、けたたましい破裂音が響き渡り、周囲一体を吹き飛ばす爆発を起こした。
「ルイ様!」
立ち昇った煙にコホコホと咳き込みながら、必死に叫ぶ。
「手荒な真似はしたくなかったが、こうなれば仕方ない」
灰色の煙で周囲が見えなくなったが、必死に目を開けて愛しい人の金色を見つけようと目を凝らす。
だがその時、首元にドスッと鈍い衝撃が走る。
「それでは、次は帝国でお会いしましょう。運命殿」
気を失う直前、私が聞いたのは愉快そうにクスクスと笑うリュート様の声だった。





