3−20
塔の最上階がドラゴンにより崩されてから、私と皇女殿下は階段を下り続けた。
僅かな灯りを頼りに、力の入らない体を何とか壁に手を付きながら慎重に、だが出来るだけ早く出口を目指した。
「皇女殿下、あと少しで塔の外に出られますからね。気をしっかりお持ちください」
皇女殿下の体力はもうとっくに無くなっているのだろう。何度もガクッと力が抜けては、私が支えてようやくここまで来れた。
螺旋状の階段は吹き抜けになっており、先程から下から吹き上がる風により髪が舞う。おそらく、1階の扉に到着するまでは、そこまで遠くはないのかもしれない。
その時、壁に当てた手にコツッと何か固いものが触れるのを感じる。そこに手を当てると、ぼんやりとオレンジ色の灯りが燈った。
どうやらその魔石は、ライトの装置だったようで、最上階が崩壊した瞬間に消された塔のライトが復活したようだった。
先程まで暗い中を彷徨っており、今自分がどこにいるのかさえ分かっていなかった。
だが、僅かな灯りだとしても、疲れた体には随分と支えになる。
それに、周囲が把握出来る程の明るさになったことで、壁に記された《5》という数字を目にすることが出来た。
「あっ、これって……今は5階ということよね。良かった……随分と降りて来られていたのね。皇女殿下、出口まではあと少しです!」
「ラシェル、ごめんなさい。……私、私……もう……」
明るく振舞う私と対照的に、皇女殿下の顔色はかなり酷いものだった。顔は真っ白になり、唇も紫色になっている。何より、ライトが復活したことにより皇女殿下の全身を把握することが出来るようになった。
だからこそ、今ようやく皇女殿下の状態がどれほど深刻なものかを理解した。
「皇女殿下、右足を確認させてください」
皇女殿下のドレスの右側は、真っ赤に染まっていた。しゃがみ込んでドレスをたくし上げると、腫れ上がった右足のふくらはぎは傷を負っていたのだろう、未だ傷口からは滲むように出血が続いている。
「この傷……いつからですか?」
私はボロボロになった自分のドレスから布を千切ると、綺麗な部分を傷口に当てて圧迫する。
「最初に瓦礫が崩れてきた時」
「なっ、あの時からずっと……」
――なぜこんなになるまで、何も言わずに我慢していたのか。
私はそう皇女殿下を叱りつけようとして、すぐに口を噤む。
違う。言わなかったのではなく、言えなかったのだろう。
おそらく、自分の失態とそれにより私にまで迷惑をかけたと考えているのだろうから。
こんな小さな体で、泣き言も言わずにただ黙って痛みに耐えていたなんて。先を急ごうと、それに気づいてあげられなかった自分の視野の狭さに申し訳なさを感じる。私は眉を寄せながら、唇を噛み締める。
「皇女殿下、痛かったですね。……よくここまで我慢しましたね」
圧迫していた傷口を確認すれば、出血はようやく止まったようだ。私は布を手に持ちながら、皇女殿下の体をギュッと抱き締める。
腕の中で、皇女殿下のヒクッとしゃくり上げる声が漏れた。
「私、本当に、本当に心を入れ替えようと思ったばかりなのに……また迷惑かけちゃって……」
私の肩に顔を埋めた皇女殿下の潜った声に、私は「大丈夫」と出来るだけ穏やかな声で彼女に言った。
「良いんですよ。確かにお転婆なところは間違いありませんね。でも、私はそんな皇女殿下のことを、いつも可愛らしいと思っていますから。時間は沢山あります。少しずつ大人になっていけば、それで良いのです」
皇女殿下が落ち着くよう背中を何度もゆっくりと撫でると、皇女殿下はしゃくり上げながらもゆっくりと深呼吸をした。
少しは落ち着いただろうか。皇女殿下の顔を覗き込むと、彼女は今にも再び泣き始めそうな程、目を潤ませてこちらを見つめた。
「……あのね、ラシェル」
「はい。あっ、体が辛いですか? もう少し体重を預けてください。私がおぶっていきますから」
いくら急いでいるとはいえ、この体では階段を降りるのは大変だろう。顔色も悪いままだ。私は皇女殿下に背を向けてしゃがんだ。
すると、躊躇いがちに私の背に、皇女殿下の温もりが広がった。
「ごめん、重いよね」
「これぐらい大丈夫ですよ」
少女とはいえ、一人の人間を背負って階段を降りることの難しさを感じつつも、皇女殿下が気に病まないように、出来る限り明るい声で答えた。
それでも、少しでも油断すれば力が抜けてしまいそうな状態であるため、慎重に慎重に一歩ずつ足を進めた。
自然と沈黙になる私に、皇女殿下は「あのね」と声を掛けた。
「私……嬉しかったんだ。さっき」
「皇女殿下?」
「こんな世界に生まれて来ちゃって、生まれ育った環境は最悪だし地獄だし。生きてることが苦しくて、終わらせたいって思っことも何度もある。それでも、やっぱり死ぬのは怖くて。諦めきれなくて。だけど、さっきは自分が自分じゃないみたいで、このまま終わるのも悪くないのかもしれない……なんて思っちゃって。あっ、もちろん本心じゃないよ」
辿々しく言葉にし始めた皇女殿下は、最初こそ言葉を選ぶように話していたものの、徐々に自分の感情のままに饒舌に喋り始めた。
だが、ここまで一気に話すと、何かを迷うように「でも、あの……」と何度も躊躇うように言葉を続ける。そして、意を決したように、私の肩に添えるように置かれた手が、ギュッと掴むように強くなった。
「でも、ラシェルが手を掴んでくれたでしょ? 絶対に離さないって」
「もちろんです」
「あの時、私ね。死にたくないって……生きたいって思ったんだ。だって、出会って間もない、家族でもない人が私を必死に助けようとしてくれるんだよ? ……生きていたらこんなことあるんだって」
涙声になる皇女殿下の言葉に、自然と私も胸の奥がキュッと掴まれたように、切なくなる。
「だって、生きていたら……私にも友達とか、好きな人とか、そういう人が出来るかもしれないんでしょ?」
照れ隠しのようにぶっきらぼうに告げる皇女殿下に、私は目頭が熱くなりながら、何度も首を縦に振った。
「はい、そうですよ。もちろんです! きっと素敵なご友人と、愛する人を見つけられるはずです」
私もまた、その昔は皇女殿下と一緒だった。偽りの友人、恋とも呼べない恋をして、本当に大切なものを見誤っていた。
それでも、自分が変われば、周りをよく見渡していけば、必ず自分にとって大切な人を見つけることが出来るはずだ。
「……じゃあ、なってくれる? ラシェルが、私の友達に」
恐る恐るといった様子で、小声でボソッと呟いた皇女殿下の声は、僅かに震えていた。
背中からドキドキと心拍が速まるのを感じ、皇女殿下が勇気を出して言ってくれたであろうこの言葉に、私は嬉しくて自然と目に溜まっていた涙が溢れた。
「もちろんです! なりましょう、友達に」
私の言葉に、皇女殿下は顔を伏せたようで肩に重みを感じたと同時に、僅かに震えるのを感じた。
「……ラシェル、ごめんなさい。……ありがとう」
「こちらこそ、お友達になってくれてありがとうございます。……ここから出たら、いっぱいお話ししましょうね。皇女殿下の好きなものを沢山教えてください。あっ、私も一緒にサミュエルからお料理を習おうかしら。そうしたらお茶会でも……? 皇女殿下?」
背中に今までと違った重みを感じ、私は皇女殿下に声を掛けた。だが、皇女殿下に何度呼び掛けても返事はない。
慌てて皇女殿下の体をその場に下ろすと、彼女は真っ白な顔をしたまま固く目を閉じている。
段差に座らせた体は自分で支えることも出来ず、肩に手を添えなければずるずると倒れ込んでしまうだろう。
焦った私は、皇女殿下の名を呼びながら体を揺すろうと肩に置いた手に力を込めた。
だがその瞬間、私の頭にポンポンと、何か手のようなものが触れるのを感じ、ハッと後ろを振り返る。
「大丈夫、寝ているだけだよ」
そこには唇に人差し指を当てて、ウインクをするテオドール様の姿があった。
「テ、テオドール様!」
「さぁ、お待ちかねの救世主の登場だよ」
突如現れたテオドール様に、私の頭は上手く働かず、まさか幻でも見ているのではないだろうかと何度も瞬きをする。
それでも、目の前のテオドール様は消えることなくその場にいる。
「テオドール様、なぜここに?」
「もちろん、君たちを助けるためだよ」
――あぁ、本当に……本当に助けに来てくれたんだ。
自分よりもずっとずっと小さな少女を守ろうと強く気を持っていたせいか、その反動で力が抜けてしまう。すると、すかさず、テオドール様が私の腕を掴んだ。
「説明は後だ。この塔は間もなく崩れ落ちるだろう。その前に君たちを外に連れ出す」
「そのようなこと、可能なのですか?」
「ラシェル嬢、愚問だな」
ポカンと口を開けた私に、テオドール様はニヤリと口角を上げた。
「俺に常識なんてものは通用しないよ。出来ないのなら、出来るようにするまでだ」





