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3-19 ルイ視点


 いつものように、ひとり王太子執務室にて仕事をしていると、突如ズドンッ、と大きな衝撃を受けた。


「なんだ、地震か!」


 慌てて窓から外を確認すると、真っ暗な暗闇に満月が煌々と輝いている。だが、よく目を凝らすと視界の端、王都の外れの位置にある空がオレンジ色に色付いているように見える。


「あの場所だけが明るい?」


 なぜあそこだけ空が明るいのだろう。妙な胸騒ぎがした私は、外に出ようと執務室のドアを勢いよく開ける。すると、丁度ドアの前にシリルが立っていた。


 珍しく焦った表情のシリルに、すぐさま緊急事態だと察知した。


「シリル、何があった」


 私の問いに、シリルは一度落ち着きを取り戻そうと深い深呼吸をした。


「殿下、離宮が……離宮が燃えています」


「何だと! どこの離宮だ」


「……見張り塔のある、離宮です」


 シリルの返答に、私は心臓が嫌な音をたてた。なぜなら、その場所は今日――。


「あそこにはラシェルが!」


 最近、皇女が部屋に閉じこもっていると、ラシェルが心配して連れ出している場所が見張り塔の離宮だ。胸元のポケットから懐中時計を取り出すと、夜の7時だ。出かけたのは夕方だから、おそらくもう帰宅している頃だろう。


 だが、どうしてだろう。いやに胸騒ぎがする。


「シリル、急ぐぞ」


「はい!」


 シリルと共に馬に飛び乗り、最短で離宮へと走る。


 ここからはどう急いでも1時間は掛かるだろう。だが、もしもラシェルに今危険が迫っているのであれば、一刻を争うことになるかもしれない。


「良い子だ。まだスピード上げられるか?」


 愛馬にも私の焦りが伝わっているのか、愛馬は私の声かけにまだ行けると言わんばかりに嘶くと、更に一段スピードを上げた。


 だが、あと少しで離宮というところで、私たちは異変に気がつく。

 遠かったオレンジの空は徐々に空全体を埋め尽くす程の広がりをみせ、妙な焦げ臭さに眉を顰めた。パチパチという音と共に飛んできたのは火の粉だ。


 愛馬はすっかり怯え始め、先を進むことを嫌がった。


「森が……燃えている」


 ――なぜだ。山火事か? 


 このまま進むのは難しく、仕方がないと川の流れるルートへと迂回する為に、少し手前の分かれ道へと戻る。すると、随分前に置いてきてしまったシリルが、顔面蒼白になりながら空を見上げていた。


「シリル、この先を進むのは難しい。こちらから回ろう」


 そう声を掛けるが、シリルはこちらを一切見ることなく、顔を上げたまま呆然としていた。


「シリル、聞いているのか」


「殿下! 上を、空を見上げてください!」


 シリルは声を震わせ、手を振るわせながら空へと指差す。私は、シリルの指した方角へと顔を向けた。


「あれは……まさか!」


 オレンジに染まる空に、白いものが横切る。森に遮られ、その存在の全貌を目にするまでの数秒、私は自分の目が映すものを信じられなかった。


 なぜなら、真っ白な巨大なドラゴンが、我が物顔で空を泳ぎ、炎を口から吐き出していたのだから。


「殿下、あれはどういうことでしょう。……あの生き物は……もしかして」


「……ラシェルが危ない! 私はこの先を急ぐ。シリルはテオドールを探して、連れて来てくれ」


「ですが、この先を進めば殿下にも危険があるかもしれません」


 シリルが言いたいことは分かる。だが、それでも私は一人でもここを進まなくてはならない。ラシェルを、そしてこの国を守る為に。


 私は未だ動揺を隠しきれないシリルを落ち着かせるため、冷静を装って「シリル」と低く落ち着いた声で呼びかけた。すると、シリルはハッと息を飲んだ。


「危険は十分承知だ。だからこそ、お前とテオドールに援護して欲しいんだ。分かるな」


「……承知しました。すぐに!」


 大きく深呼吸をしたシリルはそう返事をすると、「殿下、どうかご無事で」と強い眼差しで私に言う。私は黙ってそれに頷くと、愛馬に合図を出し分かれ道の左側を駆け出した。後ろから、シリルの声と共に馬の足音が遠ざかるのが聞こえる。

 きっとシリルであれば、私が彼らに何を求めるのかを指示せずとも理解してくれたのだろう。

 おそらく、そう時間も掛からぬ内に、シリルはテオドールを連れて私の元へと辿り着くはずだ。






 川沿いを駆けていくと、離宮の裏門へと辿り着く。こちら側には木々が少ない為か、火は思った程回っていない。


 私は裏門から一直線で塔の場所へと目指す。


 だが、ドラゴンは随分と塔周辺を気にしている。空中で暴れながらも、時折塔を破壊するように尾で塔を叩いては、レンガが上空からボロボロと落ちてくる。


 ――今は何とか持ち堪えているようだが……急がなければ、塔の崩壊も時間の問題かもしれない。


 だが、塔への道を阻むように、見知った人物が私の行先を塞いだ。


「公子? そこをどいてもらおうか」


 その人物とは、トラティア帝国の大公子息であるリュート・カルリアだ。彼は、この緊急事態にそぐわない微笑みを浮かべ、その場に姿勢よく立っていた。


 普段からその薄寒い微笑みには嫌気がさしていたが、今日はより一層気分が悪い。


「もう一度言おう。そこをどいてくれ」


 塔に繋がる小さな門の真ん前に立たれ、挙句に退く様子のない公子に苛立ちを隠せない。だが、公子は笑みを一層深めて、キラキラと輝く瞳を空へと向けていた。


「王太子殿下、あれが見えますか?」


 私の反応を確認するように、今日初めてこちらを見た公子と視線が合う。


「……あれが、何だ」


「あぁ、やっぱり幻ではないのですね。本当に、ドラゴンが復活したのか……」


 公子は私の反応に、満足気に頷いた。


「やはり、ラシェル様の着けていたバングルに、何か細工がなされていたのですね。あれ、どこかで見た覚えがあったんですよね」


 公子は腕を組みながら「やっぱり封印されていたのかな?」と独り言のように呟きながら、頷いている。


 ――やはり、注意すべきは皇女でなく、こちらだったか。


 いつから怪しんでいたのかは知らないが、まさかバングルにまで気がついていたとは。


「……私も、ラシェルも、ドラゴンなど知らない」


「あぁ、なるほど。分りました。そちらが知らないことにしたいのなら、そのように」


 公子は私の返答に、目を丸くした後、何が面白いのか顎に手を当ててクスクスと笑い始めた。


「ちなみに、戦闘竜が主人を定めるのはご存知ですか?」


「……いや、知らない」


「あのドラゴンは、覚醒したばかりで暴れ回っていますが。それでも、塔の上から離れないでしょう?」


「それが、どうした」


 回りくどい言い方に、私の苛立ちは増していく。だが、公子の悠然とした話し方は全く変わらない。


「つまり、あのドラゴンの主人……つまりは、ラシェル様はあの場所にいる、ということですよね。……あぁ、だから王太子殿下は王宮から慌ててここに来たのか」


 くっ、と喉から声が出る。


「僕がこの国で耳にしたあなたの評価はとても高いものです。デュトワ国の王太子殿下は、いつだって冷静で優秀な人物だと、皆口を揃えて言いました。だけど、そんな優秀な人物にも、例外はあります。……それが、溺愛する婚約者の存在ですよね」


「婚約者を大事にすることの何が悪い」


「悪くないですよ。興味深いと言ったまでです。絶滅したはずのドラゴンの主人になり、いつだって食えない王太子が、冷静さを欠け我を忘れる程の変化を与える婚約者。……ラシェル様は本当に面白い方ですね」


「ラシェルに手を出したら、ただでは済まさない」


 静かな怒りと、お前にラシェルの何が分かるのだという不快感から、自分の口から発せられた声は随分と冷え冷えとしているものだった。


「そもそも、何の勘違いをしているか分からないが、あの塔にラシェルはいない。自分の国にドラゴンが出現したんだ。この国を想う王太子ならば、一刻も早く状況を知ろうとするものだ」


「……勘違い、ですか」


「ドラゴンの主人だと? ……馬鹿馬鹿しい」


 吐き捨てるように言った私の言葉に、公子は一瞬目を丸くした。だが、すぐに意味深に笑みを深めた。


「そうですか。であるのなら、余計ここを退く訳には参りません」


「何だと?」


「王太子殿下が教えてくれないのであれば、直接自分の目で確かめた方が早いですから」


「だったら強行突破するまで」


「出来るとでも? 私も一応は皇族の血筋。あなた如きに敵うはずもあるまい」


 一切の躊躇なく、剣を抜いた公子の動きは随分と慣れた動きだ。先程までの微笑みを一切消し去り、グレーの瞳は獲物を狙うが如き戦いの目になった。


 ゾクッとした寒気が体に走る。剣を構えただけで、公子が相当の剣の使い手だということが分かってしまったからだ。


 それでも、引くつもりはない。

 馬から降りると、私もまた帯刀していた剣を抜き、公子に向けた。


「剣を向けるとは、それ相応のつもりなのだろうな?」


「未だに立場が分かっていないようですね。ドラゴンが復活した今、かつて成せなかった大陸統一が叶うというのに」


「……この国は精霊に守られている。精霊と戦を起こそうとするのか!」


 頭にカッと血が上る。剣に魔力を込めて構える。すると、公子は待ち構えていたように、剣を振り上げながらこちらに向かって走って来た。


 ――カキンッ!


 静寂の地に、剣がぶつかり合う音が響く。剣を交えた瞬間、公子の言葉がハッタリではないことを理解した。まるで、いつも稽古して貰っている騎士団長の剣を受けているようだ。


 ――重いっ! 少しでも油断すれば、簡単に弾き飛ばされてしまいそうだ。


 それでも、自分の持てる限りの魔力を込めて、公子の剣を弾き飛ばす。すると、公子は少し驚いたように、眉をピクリと動かした。


「なるほど。ただの命知らず、という訳ではなさそうですね。そこそこ楽しめそうで安心しました」


 肩で息をする私と違い、公子は少しも息を乱すことなく、剣を確かめるようにその場でブンブンと何度か振り回した。まだ一度しか剣を合わせていないのに、手がジンと痺れた感覚に、悔しくて唇を噛み締める。


 長期戦では不利だ。おそらく、先程の公子は私の力量を試しただけで、一切本気を出していないのだろう。


 ――これが、龍人の血、というのか。……恐ろしいものだ。


「では、次は僕から行きますね」


 剣を握った瞬間から、公子はにこりとも笑わない。それどころか、表情を一切削ぎ落としたような無表情の方が、よっぽど公子の本来の姿を見せてくれているようだ。


 だが、足音も立てずにひと蹴りで、瞬間移動してきたように、一瞬で目の前まで移動してきた公子の剣を、すかさず受け止める。相変わらず一振りが重く、それだけでなく、動作が物凄く速い。


「王太子殿下、そのように僕からの攻撃を受けてばかりで良いのですか? もっと楽しみましょうよ」


 まるで剣舞でも見ているかのような大きく美しい動きに関わらず、公子の太刀筋には一切の無駄がない。この年齢でここまでの殺気と集中力を持つとは、どのような経験をしてきたら、こうなるのだろうか。


「剣の才能はあるようですが、残念ながら実践に乏しいようですね」


「お前に何が分かる」


「分かりますよ。アレク陛下の右腕として、僕は戦場で育ったようなものですから」


 綺麗な顔に物腰の柔らかい微笑み。おそらく公子のそれらは、完全に作られた紛い物だったのだろう。無表情は変わらないものの、ギラギラと輝く瞳に、血が沸るように頬を紅潮させた公子の姿。


 体勢を整える暇もなく、躱わした側から降り掛かってくる剣を避ける。隙を見つけて攻撃を仕掛けても、いともあっさりとやり返される。


「最近は戦場からも遠ざかっていて体が鈍らないか心配だったんですよね。王太子殿下直々に剣の相手をしていただけるなんて、感覚を取り戻すのに丁度いいです」


「随分と気楽なものだな。お喋りも大概にしておけ」


「僕が本気を出したら、勝敗なんて一瞬でついちゃいますよ? 折角久しぶりに動くことが出来て楽しいんですから、あと少しぐらい付き合ってくださいよ」


 ――これで、まだ本気を出していないだと?


 おそらく、公子の言う通り、実践経験だけであれば全く歯が立たないのだろう。


「あれ、動きが少し鈍くなってきてます? あっ、休憩ですか? 良いですよ」


「休みなど必要ない」


 強気に言い放つも、手の痺れはさっきまでよりも格段に強くなっている。公子が足を止めたのを確認しつつ、一度、一定の間隔を取るために後ろに下がる。


 ポタポタと滴り落ちた汗が瞼に落ちる。それを払うように顔を数回横に振り、額の汗を左手の甲で拭う。だが、少し拭ったところで汗は止まる様子がない。


「僕はじわじわと相手を追い詰めるのが好きなのですが、陛下はそのやり方はお嫌いみたいで。私は楽しい時間は長い方が嬉しいですから」


「……公子は、トラティア皇帝のことを語ると、随分と饒舌になる」


 こっちは一刻も早く塔へと行き、ラシェルの無事を確かめたいというのに。公子のどこまでもマイペースで余裕そうな表情に、自然と刺々しい物言いになってしまう。


 だが、公子は私の意図とは違った受け取り方をしたらしい。瞳を僅かに輝かせながら、「もちろんです!」と強く頷いた。


「あの方以上に強い者など、この世に存在しませんから」


「それは随分と大きく出た発言だな」


 失笑を含んだ私の言葉に、公子は珍しく眉を顰めた。おそらく、トラティア皇帝を馬鹿にされたと感じたのだろう。


「あなた方の信仰するのは、精霊王でしたか。それがどれ程のものかは、僕には分かりかねます。ですが、これだけは確かです。アレク陛下は、精霊王にも負けない」


 ――精霊王に負けない、だと?


「精霊王に会ったこともないのに、よくそんな自信が沸くものだな」


「当たり前ですよ。アレク陛下は、ただのトラティア帝国の皇帝というだけではありません。……陛下は、始祖龍の生まれ変わりなのですから」


「は? ……生まれ変わり?」


 公子は一体、何を言っているんだ。トラティア皇帝が、誰の生まれ変わりだと?


 唖然としながらも公子を睨みつける。だが、公子はハッと何かに気がついたように塔の方向へ体を向けた。


「とはいえ、あなたと決着をつける時間はなさそうですね」


 剣を鞘に収めながら、公子はつまらなそうにため息を吐いた。


「は? ……塔が……このままでは、塔が崩れる」


 公子が気にしていた塔の方へと視線を向ける。すると、既に崩れかけていた塔の上部からパラパラと瓦礫が舞っている。


 だが、次の瞬間、塔はあっという間にドドドドッと大きな音を立てて一瞬の内に崩れ落ちた。


 ――そんな……。嘘だろ、ダメだ、ダメだ! やめてくれ!


「ラシェル!」


 目の前が真っ暗になりそうになり、足がもつれながらも必死に走る。どうか間に合ってくれと祈りながら。

 ラシェルの名を何度も何度も呼び続けながら無我夢中で走る。


 塔の前まで来るとそこは最早、瓦礫の塊となっている。扉がどこにあるのかも分からず、崩れていない部分を探す方が難しい。


「ラシェル! 返事をしてくれ! ラシェル!」


 私は叫びながら、必死に目の前の瓦礫をどかしていく。この瓦礫の山を目の当たりにし、心臓は嫌な音を立ててバクバクとなり続ける。それでも、ラシェルの影を必死に探しながら。


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逆行した悪役令嬢は、なぜか魔力を失ったので深窓の令嬢になります6
― 新着の感想 ―
[一言] ルイの心臓の音、聞こえてきそう…。目の前で塔が崩れるなんて…。
[一言] 国力でも個人でも戦力差がありすぎてラシェルが帝国にドナドナされる未来しか見えない どーなんのー!?
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