3−11 アンナ視点
「お、おいしい!」
厨房のダイニングに椅子を並べて、私たちは焼きたてのクッキーを頬張っていた。
待ちきれないとばかりに先に大きな口を開けたマーガレット様は、一口入れると途端に頬を緩ませた。
「ねぇ、これおいしいわよね!」
さっきまでサミくんに対して散々悪態をついていたのはどこへやら。すっかり懐いた様子のマーガレット様が、サミくんに同意を求めるように、大きな目を向けた。
「はい。初めて作られたとは到底思えない程、とても美味しいです。このまま店に出せるほどですね」
「そうでしょう! 不思議とね、泡立て器も木べらも手に馴染むというか。不思議なんだけど、身体が覚えているってこういうことなのかもって思ったの」
「えっ?」
――料理をしたこともしたいとも思っていないけど、身体に馴染んでいるということ? それはどういうことなのかしら。マーガレット様は転生者で間違いないと思うけど、全ての記憶を持っている訳ではないということ?
悩む私を他所に、マーガレット様は興奮したように頬を赤らめながら、終始嬉しそうにニコニコと笑みを浮かべている。
「つまり、こんなに熱中して何かをしたのは初めてのことなの! 最初は料理なんて低俗なと思っていたけど、私の勘違いだったみたい。アンナに誘ってもらって良かったわ」
「それは良かったです。次もぜひ一緒に作りましょう」
「本当? だったらね、私作りたいものがあるの! マカロンにシュークリームに……ティラミスも良いわね!」
指を折りながらあれもこれもとお菓子の名をあげていくマーガレット様は、チラッとサミくんへ視線を向けた。
「あなた、次も指導役を任せてあげても良いわよ」
「それはそれは光栄です」
サミくんは胸に手を当てながら恭しく頭を下げた。
「というか、あなたパティシエではないのでしょう? 教える程ちゃんと出来るの?」
「安心してください! サミくんは努力家で四六時中料理のことで頭がいっぱいな天才料理人ですよ。もちろん、マーガレット様が満足される指南役を務めることが出来ます」
「……それなら良いんだけど」
私の勢いに押されたように、マーガレット様は若干引き気味に頷いた。
――あれっ、私またやっちゃった?
サミくんのことになると、つい語りたい欲求が高まっちゃって、マシンガントークが止まらなくなる。前世の時なんて、誠くんの妹であり私の親友だったメグに、よくこんな風に恋バナをしては引かれていた記憶がある。
好きな人の前ではいつだって良く見せたいと思う乙女心はしっかりと持ち合わせている。こんな早口で捲し立てるような私を見て、サミくんは幻滅していないだろうかと恐る恐るサミくんへと視線を向ける。
だが、そんなのは私の杞憂だったようだ。サミくんは少し驚いたように目を丸くしたが、三白眼の瞳を和らげて嬉しそうに微笑んでいた。
そんな私たちの様子をつまらなそうに見ながら、クッキーを黙々と食べ進めているマーガレット様は、ふと何かに気がついたようにハッとこちらに顔を向けた。
「って……サミくん? えっ、ていうかあなたたちってどんな関係? こんなどこにでもいるような料理人と光の聖女が親しく談笑する仲ってどういうこと?」
「あっ、それは……えっと」
ま、まずい。なぜか分からないが、マーガレット様という帝国の皇女を前に、私はいつの間にかフラットな感覚で接しすぎたのかもしれない。つい、いつもの距離感でサミくんと過ごしていたが、よくよく考えればまずかったのかもしれない。
冷や汗をかきながら焦る私とサミくんに、マーガレット様の疑惑の目は更に鋭くなった。
「そもそも、あなたたち距離感近くない?」
腕を組みながら、じーっと見つめてくる瞳にたじろぎ、つい視線を逸らしてしまう。
「そ、そうですか?」
「作ってる時からいちいち顔見合わせてニコニコして、クッキーが焼き上がったらお互いの作ったものを褒め合って」
「そ、そんなことしてました?」
記憶にない。ただ、私はサミくんの作る料理全ては、世界一だと思っている。だからこそ、彼が作ったものは本心から褒め称えている。だから、やってないとは言い難い。
サミくんもまた、とても優しく朗らかで、人の良い面をすぐに見つける人だ。作ったクッキーを褒めてくれたのも、自然の流れだろう。
つい顔を見合わせた私たちは、この時間があまりに自然体だったことに驚くと共に、ふと笑い合った。
そんな私とサミくんの様子にゲッと顔を歪めたマーガレット様は、テーブルに頬をつけながら興味なさそうにため息を吐いた。
「くっだらない。何が楽しくて、私はモブとアンナの絡み見せられてる訳? ルイとアンナだったらいくらだも見たいのに。何の得もないじゃん」
唇を尖らせながら、行儀悪くテーブルに突っ伏しながら椅子の下で足をプラプラとするマーガレット様。きっと彼女は今、自分がどんな爆弾発言をしたのか理解していないだろう。
ハッとした顔で私を見たサミくんに、私はマーガレット様に気づかれないように頷いた。
「……皇女殿下は、ルイ推しなんですか?」
「ちがーう。私はテオドール推し。でも隠しキャラだし糖度が低いから、ルートとしては微妙かな」
私の引っ掛けにあっさりと引っかかってくれたマーガレット様に、思わずニヤリと口角を上げた。おそらく、今の私の顔を鏡で見たら、随分と悪い顔をしているだろう。
「ふーん。テオドール推し、ね」
一語一語を意味深に呟く。すると、ガバッと顔を上げたマーガレット様は、これでもかと大きな目がこぼれ落ちそうになる程、瞠目した。そして、すぐに顔面を蒼白させながら、わなわなと震え始めた。
「だ、騙していたのね! この偽物アンナ!」
ガタッと椅子を倒しながら立ち上がったマーガレット様は、青白い顔を今度は真っ赤に染めた。
「やだな。ここでは私が本物のアンナ・キャロルですよ。アンナとして生きて、アンナとして心も考えも持っていますから。ゲームの方が作り物なんですよ?」
息を吐き出しながら、やれやれと首を横に振る私に、マーガレット様は驚愕に目を見開いた。
「嘘つき、嘘つき、嘘つき!」
「いいえ、私は嘘なんてついていません」
「……だって、ここは……この世界は……」
先程まで激怒していたマーガレット様は、今度は困惑したように視線を彷徨わせて、ショックを露わにする。
「さぁ、マーガレット様。教えてください。……あなたは一体、どこから来た方なのですか?」
にっこりと笑みを深めた私に、マーガレット様は唇をギュッと噛み締めると、顔を俯かせながら立ち竦んだ。





