3−10 アンナ視点
「アンナ、今日は一緒に遊んでくれるのでしょう? 何をする? 魔術練習? それとも誰かとデートの予定でもあるの?」
私の目の前には、ニコニコと楽しそうにこちらを見つめてくる少女――トラティア帝国のマーガレット皇女殿下がいた。
今日はラシェルさんと約束した通り、マーガレット様が本当に転生者なのか。それとも本当に予知の力を持つのか。それを判断するために、時間を取ってもらった。
「マーガレット様、こちらの道具は見たことがありますか?」
「ここが調理場で、なぜだか私たちがエプロンを着けていることを考えると、調理器具でしょうね」
「せいかーい! 当たりです!」
片手にボウル、もう片手に木べらを持ちながら出来るだけ明るい声で笑みを浮かべる。
そう、今日は王宮の一番小さな調理場を借りていた。王宮には調理場が何個も存在する。メインの厨房は数十名の料理人が作業出来る程に大きいし、何より料理人たちの迷惑になる。その為、一番使用頻度が低い王宮の使用人向けの調理場を借りることにした。
マーガレット様は、調理台に置かれた泡立て器や小麦粉の袋を不思議そうに一瞥した。
「で、調理器具で何の遊びをするの?」
「今日は、クッキー作りをしようと思って」
「……クッキー? そんなの私たちが作る必要ある?」
マーガレット様は心底不思議そうに、眉を寄せた。その表情は、あまりに皇女らしく、料理を自分がするなど考えたこともない、といったものだった。
――あれ? ……もしかして私の勘違いだった?
転生者であれば料理をすることに対して、あまり不快感などないだろうと思っていた。だからこその、あえてのクッキー作りだったのだが……。マーガレット様の表情は、私が料理をすると言った時の貴族令嬢たちの反応とよく似ていた。
「あの。あまり気が進みませんか?」
「そういう訳じゃないけど。……うーん。アンナは甘いものが好きだけど、お菓子作りなんて趣味あったかしら」
ブツブツと考え込むように独り言をいうマーガレット様に、内心私は気分を害してしまったのではないかと焦っていた。
だが、その時コンコンと部屋のドアをノックした後に、厨房へ入って来た人物を見て思わず頬が緩んだ。
「お待たせしました」
「……誰?」
喜色を露わにする私を、不審そうに見つめるマーガレット様。そんなマーガレット様に紹介しようと、私は彼の隣に並び立った。
「今日のクッキー作りの先生です!」
「……先生」
「マルセル侯爵家で料理人をしているサミュエルさんです!」
「皇女殿下、お初にお目にかかります。サミュエル・エモニエと申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
私の紹介にサミくんは、緊張した面持ちで頭を下げた。その固い挨拶からも、彼が帝国の皇女を前に随分と緊張していることが伝わる。普段私の前ではしっかり者なサミくんが、こういう所であたふたとしている姿はどこか新鮮で、そんなところもまた愛おしく感じてしまう。
だが、サミくんの登場にマーガレット様はあからさまに嫌悪感を露わにした。
「……あなた、爵位は? もしかして、平民?」
「い、一応男爵家出身です。ですが、私個人に爵位はありません」
サミくんの言葉に、マーガレット様は頭を抑えてため息を吐いた。
「……モブの中のモブって感じ」
呟いた声は、僅かに私の耳に届いた。
――今、モブって言った? 気のせい?
「まぁ、いいや。そのクッキーを作って誰かにあげる感じ? それなら付き合ってあげる」
「プレゼントですか? 出来上がったら、もちろんマーガレット様に差し上げます。ぜひご自分で作ったクッキーを召し上がってください。もちろん、安心してください。料理人のサミュエルさんがいれば失敗なんてあり得ませんから」
「はぁ? わざわざクッキーを作るのに、誰にもプレゼントしないの?」
私の力説も虚しく、マーガレット様の機嫌は一向に良くならない。
「自分が作ったものって、とっても美味しいんですよ。ですから、作ったらお茶会にしましょうか! 3人で一緒に食べましょ」
「……えっ、この料理人も一緒に食べる訳? おかしくない? モブのくせに」
マーガレット様の物言いからして、一介の料理人と食べるのが嫌だという意味ではなさそうだ。おそらく、マーガレット様の言動から、私は間違いなくマーガレット様は転生者だと確信していた。
これはおそらく、攻略対象者でもない者にわざわざ時間を使うのが嫌だ。と、いう意味ではないだろうか。
そもそも、ここはゲームの世界ではない。
ゲームのストーリーを実際に見ることが出来ると期待しているのであろうマーガレット様には申し訳ないけど、私は攻略対象者と呼ばれる彼らに一切興味はない!
「ここは正式な場ではありません。皇女といった地位や聖女といった立場は、ここでは関係ない。そう最初に申し上げたはずです」
「使用人と一緒にお菓子を食べる趣味なんて、私にはないの」
フンと顔を背けるマーガレット様は、深いため息を吐く。だが、私が困った表情で見つめているのに気がついたのか、渋々といったように「仕方ない」と呟いた。
「今回だけよ! 特別なんだから」
これぞツンデレとでもいうように、ツンツンしながらも作業に取り掛かろうと、目の前のボウルを手に持った。
――えぇ、何この子。発言は可愛くないのに、存在が可愛い。
思わず微笑ましいものを見る目で私もサミくんも見つめていたからだろうか、マーガレット様はこちらをチラッと見るとギョッとしたように驚いた。
「ほら、料理人。さっさと指示しなさい」
「は、はい! ではまず材料の軽量から始めましょう」
最初にあんなにもゴネていたのは何だったのだろうか。クッキー作りを始めてみれば、マーガレット様は熱中したように無言で黙々と作業を始めた。
それどころか、恐ろしい程に手際が良い。まるで、クッキーなど作り慣れているかのように。不思議に思って、よく作っているのかと尋ねたところ、マーガレット様は「はぁ?」と心底嫌そうに否定した。
――いくらクッキーといえど、レシピが頭に入っているように行動出来るだろうか。
今も当たり前のように生地を寝かせている間に、型のチェックやオーブンの余熱はまだしないのかとサミくんに確認している。
サミくんもそんな皇女殿下に驚きつつも、嬉しそうに顔を綻ばせて一緒にオーブンの方へと向かい、王宮のオーブンの使い方をレクチャーしていた。
「皇女殿下、楽しいですか?」
黙々と型を抜いているマーガレット様に、サミくんはニコニコと話しかけている。
「た、楽しくなんか……」
「今日のクッキーは間違いなく美味しいですよ。皇女殿下は手際が良いのもありますが、材料も器具も扱い方が上手いですから」
「……当たり前じゃない。焦がしたら承知しないから!」
オーブンの前で膝を抱えて座りながら、柔らかい表情で焼き上がるのを待つマーガレット様は、今までのどこか不自然な様子が消え、ただの十二歳の少女そのものだった。





