3−9
食事会が終了し、ホールから皆が退席した後も、私は部屋に戻ることはなかった。もう少し話をしたいというアンナさんと共に、ホールのバルコニーに残ったからだった。
春の夜はまだ少し冷えるが、ショールをかければ十分過ごしやすい。それに、今日は、雲ひとつなく綺麗な三日月や星空が眼前に広がっていた。
輝かしい星々が浮かぶ星空とは違い、私の心はモヤがかかったように曇っていた。
「……アンナさん、どう思う?」
手すりに体を預けながら隣を見遣る。すると、アンナさんは困ったように顔を顰めた。
「皇女殿下のことですよね。……ラシェルさんから事前に、皇女殿下のことを聞いていたとはいえ、誰が聞いているかも分からない場であのような発言をするとは。正直、本気で焦りました」
「皇女殿下の発言の怖さは、あの純粋さなのよね」
私への態度もあえて嫌味を言っているのではなく、本気で私のことを悪い奴だと思っての言動なのだと思う。今回のルイ様とアンナさんをお似合いと言ったのも、本気で皇女殿下がそう思っているのだろう。
――だからこそ、厄介なのだけど。
「純粋というか……異質ですよね」
アンナさんの言葉に、私は「そうね」と頷いた。
「アンナさんに対して憧れを持っているようだけど、光の聖女という存在に対してのものなのかしらね」
「私もそこが不思議で。……最初は、教会で初めて私に会う人たちと同じような反応だと思っていたのですが、なんかしっくり来なくて」
「あら、そう?」
アンナさんもまた、皇女殿下の反応に何か引っかかっていることがあるようだ。
「うーん、それよりもテオドール様を見る皇女殿下の瞳なんて、完全に推しを見るファンって感じなんですよね。ずっと追っていたアイドルを目の前にしたような……」
「推し? アイドル?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、アンナさんはこめかみの辺りに人差し指をトントンと指し、悩むように唸り声を上げた。
「あっ、あー……えっと。なんて説明すれば良いのでしょう。例えば学園で王太子殿下やテオドール様が女生徒にキャーキャー言われているじゃないですか。そんな感じの存在というか」
「……なるほど?」
きっと推しという言葉は、アンナさんの前世の言葉なのだろう。アンナさんの前世の言葉で、この世界には当てはまらない表現というのは多々あるようで、このように何と説明すれば良いのか分からないといったことはこれまでも何度かあった。
――おそらく憧れの的、という存在なのだろうか。それとも、もっと特別な存在でかなりの好感を持っているが、手の届かない存在……という感じなのかも知れない。
私が一人《推し》や《アイドル》に関しての見解を自分なりに考えている隣で、アンナさんは未だ皇女殿下の違和感の原因を探っているように悩み続けていた。
「なんかふわふわした発言に、どこか既視感があるというか……」
「既視感? ……そういえば」
アンナさんの発言に、ジッとアンナさんの横顔を眺める。すると、不思議なことに、違和感の正体に覚えがあることに気がつく。
――そういえば、以前も私と会話しているようで、私を通して他の何かを見ていた人がいたじゃない。
目を見開く私を見たアンナさんは、「やっぱり!」と一際大きな声を上げた。
「ラシェルさんもそう思いますよね! 皇女殿下は……かつての私によく似ている気がします」
言われてみると、確かに似通った部分がある。皇女殿下もまた、アンナさんのように自分の中で完全なイメージを持って、それに沿った行動を取ると信じて疑わない。だからこそ、異質な純粋さがあるのかもしれない。
「この世界がゲームとやらの世界だと思っていた頃、ということかしら」
「そう、そうなんです! それだ!」
アンナさんは、胸のつかえが取れたように、すっきりした顔をした。
「皇女殿下とリュート様は、以前《予知》という言葉を使われたと先程ラシェルさんが仰っていましたよね。それこそがストーリー……まるで、ゲームを知っていて、その通りに進めようとする私のよう」
「では、皇女の予知というのは……」
「予知ではなく……ゲーム知識の可能性がありますね。であれば、ラシェルさんが言っていたトルソワ魔法学園の校内をよく知っていたことも納得です」
「そうなの?」
「はい。ゲームの舞台は主に学園ですから。王太子殿下のお気に入り場所の屋上庭園は、攻略に欠かせないんです。……生徒には人気ないのに、ピンポイントで行きたがるのはかなり怪しいですよね」
顎に手を当てながら、殿下を攻略しようとして何度も足を運んだなぁ、と何かを懐かしむように呟くアンナさんは、一人納得するようにうんうんと頷いた。
その姿はまるで……。
「……アンナさん、探偵みたいね」
「私、恋愛ゲームより謎解き物の方が得意だったんです」
思わず呟いた言葉に、アンナさんは両手を合わせて嬉しそうに目を輝かせた。
「となると、彼女も転生者?」
アンナさんと同じように、前世は日本という国に生まれた転生者。そう考える方が自然かも知れない。だが、そうなるとアンナさんとサミュエルと同じ?
2人も転生者という存在がいるのだから、他にいてもおかしくはない。
「もしかしたら、皇女殿下もあの事故で亡くなっていたのでしょうか……。同じ場所で亡くなった転生者だとしたら、なぜ私と彼は同じデュトワ国で生まれたのに、皇女殿下は遠いトラティア帝国で生まれたのか。その辺りも変だとは思いますけど」
確かアンナさんとサミュエルは、トラックという馬車に似た大きな乗り物で同時に事故にあったそうだ。その事故が転生の鍵であるのなら、他の人もその転生の渦に巻き込まれた可能性もある。
もしくは、アンナさんたちの方が巻き込まれた側……ということも考えられるのかもしれない。
「私が闇の精霊王ネル様の力で時を遡ったように、あなたたちの転生にも、何か理由があるのかしら?」
私が3年前に戻ったのは、ネル様が並行世界に私の魂を入れ替えたからだ。時を遡ることに理由があるのなら、転生にも巨大な力による理由があったとしてもおかしくはない。
「あの事故現場に何かあったとして、それを知る術はなさそうですが……。もし、皇女殿下が同じ転生者であるのなら、あの時何があったのか。知ってみたい気もしますね」
アンナさんは難しい顔をしながら頷くと、決意を固めた目でこちらを見た。
「この件、私に任せていただけないでしょうか。サミくんと相談してみます」
「……ありがとう、アンナさん」
頼もしい顔付きに、私は自然と胸が熱くなる。一人で悩むのではなく、こうして頼もしい友人がいることの力強さを感じたからだ。
「ところで……サミくんってサミュエルのことよね。可愛らしい呼び名ね」
つい先日まで、アンナさんはサミュエルのことを、マコトくんという名で呼んでいたはずだ。それがいつの間にか変化していたとは。微笑ましくなって、ふふっと笑みが漏れる。そんな私に、アンナさんは頬を赤らめて照れたように目を伏せた。
「あ、そ、それは……いつまでも誠くんだと変ですし。過去のことはあれど、私が今大好きなのはサミュエル・エモニエという、今この世界に生きている彼なので」
「とても素敵ね」
彼らもまた、新たな一歩を踏み出しているのだと実感し、私は温かい気持ちになった。





