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皇女殿下は興奮したように私たちのテーブルの前までやってくると、今度はマカロンやプリンといったデザートがのった皿をテーブルに置き、ホールの入り口を指差した。
「あ、あの。あそこにいるのって……」
「えっ、どこかしら」
「あの扉の辺り! あれは、テオドール・カミュ様ですよね!」
ピリついた空気を一掃する皇女殿下の登場に、私たちは呆気に取られた。
だが、一番先に動き出したのはルイ様だった。その場から一度立ち上がったルイ様は、マーガレット皇女殿下をリュート様の隣に座るように誘導した。
皇女殿下はソファーに座った後も、ソワソワと入り口付近へ意識が向いているようで、必死にテオドール様の姿を覗き込んで見つめていた。
「今日テオドール様にお会い出来るなんて、思ってもいませんでした」
「皇女殿下は、テオドールをご存知なのですね」
ルイ様の問いに、皇女殿下は何度も縦に頷いた。
「もちろんです! 噂に聞く通り、本当に麗しいお方ですわ」
目を輝かせてうっとりと熱を送っていた皇女殿下だったが、更に何かを見つけたように、驚きに目を見開いた。
「ま、待って……一緒に入ってこられた方は、まさか!」
「彼女は……アンナ・キャロル男爵令嬢。我が国の光の聖女です」
テオドール様が入室した後、すぐにホール内に入ってきたのはアンナさんだった。
テオドール様が食事会に参加することは知っていたが、アンナさんは卒業パーティー後、すぐに地方の教会周りに出かけた。
アンナさんから先日届いた手紙によると、昨日王都に戻って来る予定だということだったが、旅の日程によっては参加は見送るかもしれないと聞いていた。
疲れているにも関わらず、遠目から見るアンナさんの姿は変わらぬ笑みを浮かべており、その元気そうな姿に安心した。
「想像以上だわ……」
感激の声を漏らした皇女殿下の様子に、私は心の中で首を傾げる。
ーー皇女殿下のこの喜び様、まるでトルソワ魔法学園を見学に行った時のよう。いえ、それ以上かもしれない。
アンナさんは光の聖女として、遠いトラティア帝国でも噂になるのは頷ける。だが、テオドール様まで知っているのは予想外だった。
それに、こんなにもキラキラと、まるで憧れの眼差しを向けるなんて。
「……テオドールとキャロル嬢を呼びましょうか?」
「い、良いのですか?」
皇女殿下の様子に、ルイ様が声を掛けると、彼女は嬉しそうに破顔した。
ルイ様が合図をし、2人がこちらに近づいてくるにつれ、皇女殿下は更に目を輝かせて頬を蒸気させている。
テオドール様とアンナさんが合流しては、このソファー席は狭い。その為、私たちは場所を移し、近くの窓際の場所まで移動した。
「初めまして。テオドール・カミュと申します」
胸に手を当てて恭しく礼をするテオドール様に、皇女殿下は目を潤ませながら口元に手を当てた。
「本物のテオドール様が目の前にいるなんて、まるで夢みたい」
テオドール様は、皇女殿下のその反応に、僅かに眉をピクリと動かす。
「お会いするのは初めてかと思いますが……」
「この国に来る前から、テオドール様にお会いするのを楽しみにしていたのです!」
「……私のことを知っていたと?」
「はい! 天才魔術師というだけでなく、美しくて、何より……」
「マーガレット」
皇女殿下がテオドール様を前にはしゃぐ様子に、すかさずそれを咎めるように口を挟んだのはリュート様だった。
「お会い出来て嬉しいのは分かるけど、そんな早口で捲し立てるように言っては、テオドール様が困ってしまうよ」
「いえいえ、光栄です。このような可憐な皇女様にそのように言われますと、何だか恥ずかしいです。それよりも、皇女殿下が私の噂をどのように耳にしていたのか。それもトラティア帝国で。……その話がとても気になりますね」
テオドール様は、美しい微笑みを浮かべながらも、その目は完全には笑っていない。冷静に目の前の人物を探ろうとする瞳を向けている。
――もちろん、それに気がついてるのは、私とルイ様ぐらいだろう。
「この国に留学すると決まってから、デュトワ国のことを随分と調べました。そこでテオドール様のお噂もよく聞いていたのです。次期魔術師団長間違いないだろうと。……そうだろう? マーガレット」
「は、はい。……そのような……感じです」
リュート様の微笑みに押されるように、皇女殿下は気まずそうに視線をそらせながら頷いた。
テオドール様は「そうでしたか」とにっこりと頷いてはいるが、内心舌打ちしているだろうことが見てとれた。
「皇女殿下は可愛らしい方ですね」
クスクスと笑みを漏らしたアンナさんに、皇女殿下はハッと顔を上げた。
「光の聖女……アンナ。あなたが」
アンナさんの姿を目に捕えた皇女殿下は、口に手を当てて目を潤ませながらしばらく声にならない声を漏らした。
――こんなにも喜ばれるなんて。
アンナさんに対して、皇女殿下と同じような反応を見せる人は多々いる。私もまた、オルタ国にいた時にオルタ国民からこのような反応をされたことがあった。
絵画や絵本の中でしか知らない聖女という存在を、現実として目にした時の反応。それは珍しいものでもない。
――それが、精霊王を信仰するデュトワ国やオルタ国の民であるのなら。
だけど、皇女殿下はれっきとした帝国民。なぜそのような反応をするのか。……やはり、何度考えてみても不思議なことが多い。
「光の聖女とテオドール様と並ぶ姿も素敵だけど、やっぱりルイ様と並ぶ姿が一番しっくり来るわ! とってもお似合い」
「な、何を」
何の前触れもなく突拍子もない発言をした皇女殿下に、その場にいた者全てがギョッとした反応をした。特に、ルイ様はいつもの微笑みという仮面が外れ、嫌悪感を露わにしたように眉を顰めた。
だが、そんなルイ様の変化も一瞬のことで、すぐに目が据わったまま微笑んだ。
「皇女殿下、ご冗談はおやめください」
「そ、そうですよ。皇女殿下がそんな冗談を仰る方だなんて、驚きました」
アンナさんもルイ様の言葉に何度も縦に頷きながら、乾いた笑みを浮かべた。だが、当の本人である皇女殿下はキョトンとした顔で、首を傾げた。
「どうして? これが正しいストーリーでしょ?」
皇女殿下の表情、発言は、周りがなぜそんな反応をするのか全く分からないというように、ただただ不思議そうな顔をするだけだった。
その異質さに、私たちは言葉を失ったまま顔を見合わせた。





