3-5
「ここが……デュトワ国!」
大きな目を更に広げて歓喜の声を上げた少女は、馬車から降りるや否や、はしゃいだようにキョロキョロと辺りを見渡す。
胸の前でキュッと手を組んだまま、その場でくるりとターンをすると、彼女のフリルがふんだんに使われたドレスのスカートがふわりと舞った。
私は、少女の前へと一歩出て、スカートの裾を摘みながら膝を折った。
「初めまして。ラシェル・マルセルです。皇女殿下がこの国に滞在中、何かご不便なことがありましたら、ぜひ何でもご相談ください」
ルイ様が帝国へ留学生の受け入れを正式に許可する連絡をすると、帝国からは待っていたと言わんばかりにすぐに連絡が返ってきた。
その返信には、こちらの準備が済む最短の日程で帝国を発つと書かれていた。
帝国はあくまでもこちらが上の立場だと、デュトワ国が断れない立場だと言外に圧力をかけているのだろう。あまりに傲慢で身勝手な振る舞いだ。それはまるで、こちらが念入りな準備をする暇を与えないようにしているようで、益々不信感を覚えた。
本来であれば、王太子であるルイ様が帝国からの留学生の到着を待つ予定であった。だが、なんと旅の日程が短縮出来たからと、昨日急遽予定の前日に到着すると連絡が来たのだった。その為、ルイ様の代わりを私が務めることになった。
どこまでも翻弄してくる帝国側のやり方に、馬車が目の前に到着し扉が開く瞬間まで、随分と緊張していた。
それが、馬車から飛び出してきた少女――帝国の皇女殿下のあまりにお転婆な姿に、私は先程までの緊張が吹っ飛んだように、目を丸くしてしまった。
皇女殿下は中等部一年生に入る予定の十二歳。……彼女自身はまだまだあどけない少女、といった印象を持つ。
期待を滲ませた輝く瞳で王宮をしばらく眺めた皇女殿下は、僅かに蒸気した頬を隠すことなくクルッとこちらを振り返った。高い位置で結んだオレンジ色のツインテールは、少女と同じようにくるりと弧を描いた。
そして、パチッと視線が合った瞬間、大きなピンク色の瞳はキッと吊り上がった。
「王太子殿下の婚約者のマルセル侯爵令嬢ですよね。私、あなたのことよーく知ってますから」
「えっ?」
「私があなたの化けの皮を剥いであげますわ!」
私の顔目掛けてビシッと人差し指で指した皇女殿下は、まるで敵を目の前にしたように愛らしい顔を歪めて、口をへの字にした。
「化けの……皮?」
皇女殿下の言葉を復唱するが、いまいち何を言われたのかピンとこず、呆気に取られてしまう。
すると、皇女殿下は腕を組みながらフンッと顔を背けた。その様子は、とても子供っぽく、怒りよりも驚きで言葉を失ってしまう。
「こらこら、あまり失礼なことを言ってはダメだよ。この方は、妃になる方なのだから」
後ろから聞こえてきた、甘く柔らかなテノールの声に振り返る。すると、皇女殿下が出てきた馬車から、もう一人の人物が悠然とした姿で降りて来るのが見える。
少年……いや、青年だろう。その人は、コツコツとゆっくりと靴の音を鳴らせながら、こちらに近づいてくた。
その人物をよくよく観察すると、彼は私よりも頭一つ高い位置に視線があった。
「マルセル侯爵令嬢、わざわざお出迎えいただきありがとうございます。トラティア帝国よりお世話になります。リュート・カルリアです。マーガレット皇女殿下とは従兄妹になります」
リュート・カルリア様。柔らかいカールをしたミルクティーベージュの髪を揺らしながら、一見冷たく見えるグレーの瞳を柔らかく細めた。
彼は前皇帝の弟である大公殿下のご子息だ。高等部の2年生に入る予定であるため、今は十六歳のはずだ。けれど、落ち着いた雰囲気が、実年齢よりも歳上に感じさせる。
「カルリア公子、ようこそデュトワ国にお越しくださいました」
「公子だなんて堅苦しいですね。気軽にリュートとお呼びください」
「では、リュート様。……私のこともラシェルと」
呼び名を変えたことは、彼にとって満足だったようで、リュート様は笑みを深めた。
テオドール様とはまた違った、どこか神秘的な冷たさを感じさせる美しさを持つリュート様は、その場にただ立っているだけでまるで一枚の絵画のようだ。
――彼が女性であれば、きっと傾国の美女と呼ばれていたのでしょうね。いえ、男性だとしても傾国の美しさだわ。何より、あのグレーの瞳は人の心を惑わす怪しさと魅力を感じさせる。
そんなことを考えながらリュート様へ微笑みを返す。
だが次の瞬間、そんな私とリュート様の視線の間に割り込むように、マーガレット皇女殿下が私の目の前に現れた。
「あの、皇女殿下……?」
彼女は先程同様、下から私をキッと強く睨みつけた。
すると、皇女殿下の肩をリュート様がポンッと軽く叩いた。
「こら、マーガレット。ラシェル様が困っているだろう」
「だって! リュートお兄様」
「君が無理いって留学したいと駄々捏ねたんだろう? ちゃんと礼儀を持って接しなさい」
従兄妹というより、まるで本当の兄弟のような様子に、彼らが随分と親しい様子であることが伝わってくる。
リュート様に嗜められた皇女殿下は、まだ納得出来ないと言いたいように、「だって」「でも」と言葉を繋いでいる。だが、そんな皇女の様子に、リュート様は深いため息を吐くと、彼女の耳元に顔を寄せた。
「お前の予知の話は分かっているが、ちゃんと皇女としての振る舞いをしなさい。でないと、君の様子を皇帝陛下に連絡することになってしまうよ」
「そ、それだけは止めて!」
「だったら、自分がどうすれば良いのか分かるだろう?」
――今……何て?
リュート様が皇女殿下に小声で話した声は、残念ながら私の耳には全てを聞き取ることは出来なかった。それでも、微かに聞こえた声に、予知という言葉がなかっただろうか。
それに、リュート様が皇帝陛下の名を出した瞬間、皇女殿下は一瞬のうちに顔面を蒼白させ、見ていて可哀想になるほどに肩を振るわせた。
そんな皇女殿下の変化を分かっていて尚、リュート様は平然とした様子でにこやかに微笑みながら眉を下げた。
「ラシェル様、申し訳ありません。……ほら、マーガレット」
「……うっ」
先程までのお転婆な姿を一切消した皇女殿下は、口元に当てた手を振るわせながら、身を縮み込ませながら、微かに唸り声をあげた。
「ラシェル……様、失礼な態度をとって……申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず」
皇女殿下とリュート様、そして顔も知らないトラティア帝国の玉座に座る皇帝陛下。彼らの力関係がどのようなものかは私には分からない。
けれど、あんなにも強気で一見世間知らずそうにも見えるマーガレット皇女が、皇帝の名を聞いただけで震え上がった。そして、人の良さそうなリュート様の冷たい目元。
――彼らには、何かしらの裏を感じる。
特に、リュート様の精巧な人形のようなガラス玉を嵌め込んだような瞳。それはなんでも見透かされそうな怖さがある。おそらく、この二人のうち、最も警戒しなければいけないのはリュート様の方なのだろう。
身震いしそうになる体を何とか制しながら、私は微笑みを貼り付けた。
「長旅でお疲れでしょう。今日はゆっくり休んでください。明日以降、王宮や王都周辺、もちろんトルソワ魔法学院も案内しますので」
「では、お言葉に甘えて今日はこれで休ませていただきます。お気遣いどうもありがとうございます」
「いえ。では、私もこれで下がらせていただきます」
私が周囲へ目配せをすると、後ろに控えていた王宮の侍従や侍女が客人を案内するために、前へと出た。リュート様は、彼らに対しても偉ぶる様子なく礼儀正しく接している。
荷物を持とうとする侍従にさえ、笑みを向けて一人一人へと声をかけている。それに対して、侍従たちも驚いたように瞠目したが、すぐに嬉しそうに笑みを返している。
――凄い。……彼はきっと人の心を掴むのが上手いのかもしれない。
「ではラシェル様、これからどうぞよろしくお願いします」
私に背を向けて侍従の後をついて行こうとしたリュート様は、一瞬足を止めると、こちらを振り返った。
まるで暖かい陽だまりの中にいるように、私に対して柔らかい笑みを浮かべながら、そう一言告げた。そしてまた、足を進めて去っていった。
彼らが立ち去ったのを確認してから、私はほっと息をついた。
――ほんの数分の出迎えだったというのに、どっと疲れてしまったわ。
まるで、何時間も檻の中にいる熊と対峙したような、妙な緊張感だった。襲いかかるはずがないと分かっていて尚、恐怖を感じさせる。
あれが、帝国からの客人か。
私はこれからのことを考えると、それだけで憂鬱になってしまった。





