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リンガさんが穏やかな笑みを浮かべながら、僅かに気まずそうに眉を下げながらも「いつでもお呼びください」と言い残しながら帰っていったのは今から1時間前のこと。私とルイ様は私の自室へと移動した。
ルイ様は先程リンガさんの話を聞いた後から、ずっと難しい顔をしながら思考を巡らせていたようだった。
3人掛けのソファーに2人で並びながら座っていると、クロが『ニャー』と鳴きながら、私たちの間に入ってくると寝そべった。私はクロの背を撫でながら、ぼんやりと先程の話を整理しようとリンガさんの話を思い出す。
けれど、どうやったとしても気分は沈む。
「ラシェル、すまない。随分と長い時間考え事をしていたようだ」
「いえ、お気持ちは分かります。私も同じですから」
申し訳なさそうにこちらを気遣いシュンと落ち込むルイ様に、私は微笑みを向ける。すると、ルイ様は眉を寄せ、視膝に置いた自身の組んだ手へと視線を下げた。
「ラシェル、先程の話をどう考える?」
ルイ様の問いに、私は左右に視線を動かして、しばらく考え込んだ。
リンガさんの話は、私にとって知らないことだらけで、今もちゃんと理解出来ているのかも不明だった。ドラゴンたちの話や今の皇帝について、沢山のことを教えてくれたのに、整理がつかない。
同じ大陸とはいえ、同盟関係でもなければ特に交流を持つこともなかった国だ。今回、ドラゴンが手元に現れることがなければ、自ら知ろうとしていたかも分からない。だけど……。
手元のバングルへと手を這わす。金具と宝石の感触を感じながら、私はゆっくりと口を開く。
「……もしも皇帝に、私の持つバングルやあの白いドラゴンを知られたら、デュトワ国は戦という巨大な渦の中心へ、巻き込まれる可能性があります」
「あぁ、そうだな」
ルイ様もまた、一番危惧していることはそのことだろう。
「絶滅したはずのドラゴンが存在しているのだから。トラティア帝国としては、そのドラゴンがどんな存在であろうと……たとえ、つい最近まで封印されていた存在であろうと、手に入れたいと考えるはずだ」
「……当初考えていた以上に、困ったことになりましたね」
「あぁ、どうしたものか」
このバングルを手にし、ドラゴンを初めて目にした時。私の中にあった感情は、驚きと興奮だけだった。幻の存在が目の前にあるのだと。
だが、ドラゴンの国である帝国という存在、そしてドラゴンという生き物の実態を、知れば知るほど恐ろしさを感じる。リンガさんの話によれば、ドラゴンがその気になればこの屋敷さえも、ひと吹きで塵になってしまうということなのだろう。
そんな存在が手元にある。そう感じると、先程から指で触れていたバングルが余計に冷たく恐怖の対象になる。
ルイ様はそんな私の変化に気がついてか、バングルに触れていた私の手をギュッと握りしめた。
「なぜ前闇の聖女は、ドラゴンを封印したのでしょうね」
「闇の聖女のバングルに関して新しく分かったことなど、イサーク殿下から、何か知らせはあったか?」
ルイ様の真っ直ぐこちらを見つめる瞳を受けながら、私は力なく首を左右に振った。
「いえ。イサーク殿下の集めた書物には、ドラゴンのことなど何も書かれていなかったと。もちろん、バングルの謎についても」
前の闇の聖女は、何故このドラゴンを封印しようとしたのだろうか。数百年も前、何があったのか。それを知り得るのは闇の精霊王ネル様だけなのかもしれない。
だけど、ネル様はドラゴンの気配に驚いていた。若い精霊王であるネル様は、前闇の精霊王の記憶を持つ目を引き継いだそうだが、聖女同様に精霊王もドラゴンのことについての記憶を隠していたのならば、前の聖女とドラゴンの関係性を知らないとしてもおかしくはない。
「知りたいのに、踏み込むのが怖い気もしますね」
「あぁ。眠りドラゴンか。……眺めている分には平和なのにな」
困ったように微笑むルイ様に、私は同じように眉を下げて笑みで返す。
すると、ルイ様はソファーにもたれながら天井へと顔を向けると、瞼を閉じて深いため息を吐いた。
「だが、こうなると何とも難しい話が発生してしまったようだ」
「難しい? 何かあったのですか?」
ルイ様は、私の問いに何かを悩むように視線を彷徨わせて、「うーん」と唸った。だが、じっとルイ様から視線を外さずに様子を見る私に観念したように、息をひとつ吐くと姿勢を正して、こちらへ顔を向けた。
「留学生のことだ」
「留学生というと、トルソワ魔法学園のことですよね?」
トラッティア帝国とドラゴンの話をしていたはずなのに、急にトルソワ魔法学園の留学生を迎える話へと話が変化したことに戸惑う私に、ルイ様は首を縦に頷いた。
――でも、今のタイミングで話をするということは、何か関係があるのかしら。
夢だったはずの教育の充実と、今の話は別問題で考えていた。だからこそ、ルイ様の難しい表情で眉を寄せた表情に、心拍が嫌に走る。
「何か……問題が起きそうなのですか?」
「新学期から始まる中等部と高等部の留学生についてなのだが、8名の希望があった」
「想定していた人数ですね。ですが、なぜ難しいと?」
私としては、留学生を受け入れる話が上手くいきそうで、嬉しい話だった。だけど、ルイ様の様子を見るに、今から聞く話はあまり良くないことなのだと分かる。
沈黙をたっぷりと取った後、ルイ様の口がゆっくりと動いた。
「その8名中2名は、帝国の関係者だ。一人は……血に濡れた狂人の妹だ」
「トラティア皇帝の妹……?」
あまりに予想もしなかったルイ様の発言に、私は虚を突かれたように唖然とした。
「えっ、そんな!」
私の声は意図せず震えてしまった。
だが、それも仕方ないことだろう。何せ、先程まで帝国の脅威について聞いた後だったのだから。ルイ様もそれを分かっていたからこそ、言い淀んだのだろう。
「もしかして、ドラゴンの話がすでに伝わって?」
「いや、それは流石にないと考えたい。………だが、このタイミングを考えると完全に否定することも出来ない」
――まさか、帝国がこんなにも早く動くとは……。もっと猶予があると思っていた。帝国やドラゴンの情報をもっと集めて、バングルや封印の謎に近づくための時間が。
だが、それをする時間は最早ないのかもしれない。
「そもそも帝国に留学生の情報が伝わっていること自体がおかしいことなんだ。近隣国でもなければ、同盟国でもない。どこから漏れたのか……」
「では、断るのですか?」
一縷の望みをかけた私の問いは、ルイ様の一層刻まれた眉間の皺により、絶たれたことを理解した。
「……いや、それは難しいだろう。帝国は我が国の何倍もの国力を持つ。皇族の受け入れを拒否して、火種になるのは避けたい」
「……困りましたね」
静かな部屋の中で、私のものかルイ様のものか、深いため息の音だけがいやに響いた。





