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庭園のガゼボへと移動した私たちは、円形のテーブルを囲むように座った。
私の目の前で、穏やかな笑みを浮かべている彼は、三十代前半ぐらいだろうか。皺のないパリっとしたスーツがよく似合う。清潔感のある装いは、少し垂れ目がちな目元も合わさって、人が良さそうな印象を覚える。
「お初にお目にかかります。私、サウムル工房のリンガと申します」
「初めまして。今日はわざわざありがとうございます」
「いえいえ、王太子殿下のご要望とあらば、いつでもどこでも駆けつけますとも」
ハリウド伯爵の縁者といえ、彼に爵位はないはずだ。つまり平民である彼は、王太子であるルイ様と対面する機会はないだろう。にも関わらず、どんな相手を前にしても緊張感を感じさせず、堂々とした落ち着いた振る舞いに驚く。
ルイ様はどう感じているのか分からないが、彼の振る舞いに感心するように僅かに眉を上げたことから、少なからず興味を感じているようだった。
「君はこの国に来て長いのか?」
「かれこれ3年ぐらいですかね。私は幼い頃から、母が聞かせてくれるデュトワ国の話が大好きでした。精霊と共に暮らす国なんて、まるでお伽話の世界のようで。昔から憧れと興味を持っていました。いつか、母の祖国であるいつかデュトワ国に行きたい、と。ずっとそう願っていたのです」
リンガさんの表情はパッと明るくなり、キラキラと瞳を輝かせた。その表情は、彼が一流の役者でもない限り、彼の本心を率直に語っているように見えた。
「帝国でも実家が商家でしたので、何かしらの商売をしようと3年前に単身この国にやって来ました。幸い親戚であるハリウド伯爵の支援を受けることが出来まして、帝国から持ち帰った技法を用いてガラス細工の商いを始めました」
「伯爵に聞いたが、君の売るガラス細工は繊細で美しく、民からだけでなく貴族からも人気があるとか」
「有難いことに、最近になってようやく軌道に乗ったところです」
恥ずかしそうに僅かに頬を赤らめたリンガさんは、嬉しそうに眉を下げて微笑んだ。そして、庭園で会った時から持っていた鞄から片手大の包みを取り出して、テーブルの上へと置いた。
「これは私からマルセル侯爵令嬢へのプレゼントです」
リンガさんが包みをゆっくりと開けると、そこには銀色の細長い棒が出てきた。棒の先端には丸いガラス玉が付いている。
「どうぞお手に取って近くでご覧になってください」
初めて見る形状に、何に使う棒なのかと不思議に思いながら手に取る。透明度の高い青色のガラス玉の中を覗くと、その小さな丸の中に、貝殻や魚の絵が描かれているようだ。
――なんて美しいのかしら……。
「かんざし、と呼ばれる髪飾りです。数年程前から帝国の女性たちの中で流行っているものです」
「……髪飾り? これが?」
私の手元を覗き込んだルイ様が、不思議そうにまじまじと眺めた。
「えぇ、そうなのです。束ねた髪にこのかんざしを挿すと、髪をまとめられるのです。私も最初は、棒一本で女性の髪を束ねるなど考えたこともありませんでしたが。社交界で流行してからというもの、平民でも使いやすいからと帝国中で人気になったのです」
「へぇ……かんざしと呼ばれる髪飾りか。遠い帝国で何が流行っているかなど、私が知る由もないのだから、面白いことを知れたよ」
ルイ様はリンガさんの話に興味深そうに頷いた。ただ、私はこのガラス玉の美しさに魅了されたように、未だ手元をじっくりと眺めていた。
「とっても綺麗……まるで海の中をこのガラス玉に詰め込んだみたいですね。これが帝国の技術なのですか?」
「はい。ガラスの中に絵柄や紋様を入れ込むのは、帝国では昔から伝わる技法になります。帝国で商人をしながら、職人の元に通って修行をしました。この作品も、私自らが手がけたものです」
「商人をしながら修行を……。それは素晴らしい努力ですね」
「いえ、元々細かい作業が好きなものですから。自分の作品が商いになるというのは幸せなことです。……とはいえ、デュトワ国で帝国の技法が受け入れられるかは、賭けみたいなものでしたが」
「これほどの技量がありながらデュトワ国で職人をしようと思ったのは、先程仰っていたようにやはりお母様の影響なのですよね?」
キラキラと輝く瞳でデュトワ国のことを語っていたリンガさんは、私の問いに少し戸惑うように視線を彷徨わせた。さっきまでの軽妙なトークから一転、今はどう答えるべきかと考えあぐねいているように見える。
「どうかされましたか?」
「えぇ、いえ……。そうですね、デュトワ国へ単身渡ったのは、母の影響もあるのですが……」
リンガさんは、困ったようにぎこちない笑みを浮かべると、視線をテーブルへと下げ、顔に影を作った。
隣に座っていたルイ様も、リンガさんの様子が気に掛かったようだ。
「何か事情があるのか?」
顎に手を当てて眉間に皺を寄せたルイ様は、リンガさんを観察するように視線を強めた。リンガさんは、沈んだ表情のまま顔を上げた。
「……王太子殿下は、今の皇帝についてご存知ですか?」
「若き皇帝のことだな。元々武力に優れ、戦争の最前線で指揮をとり圧倒的勝利を収めているという」
ルイ様のその返答に、リンガさんは苦渋の表情で頷いた。
「民は、彼のことを血に濡れた狂人……と呼びます」
――血に濡れた狂人? なんという物騒な……。
初めて聞くトラティア帝国の皇帝の二つ名に、驚きに息を呑む。
「狂人か。圧倒的強さからそう畏怖されているのか?」
「畏怖……そうですね。皇帝に逆らおうなんて者は、もはやあの国にはいないでしょう」
あの広大な土地を治める皇帝に逆らう人がいないとは。それほどにも、圧倒的な強さを持つ皇帝とは一体どのような人物なのか……。
私の中にあるトラッティア皇帝の情報は僅かなものだ。確か歳は二十代後半で、今から8年前に当時の皇帝である父を死に追いやり、玉座を手に入れたそうだ。彼に仇なすものは兄弟であっても容赦なく切り捨てられたと聞く。
血気盛んな若き皇帝は、皇位を手に入れるや否や近隣国との戦争を次々に起こしており、その仕掛けた戦全てで勝利を収めている。
私の持つ少ない噂話だけでも、血塗られた狂人という名に相応しいものなのだろう。だが、実際はどのような人物なのか、リンガさんの口が開くのをじっと待つ。
「元々皇族の祖先がドラゴンだということは有名かと思います」
「あぁ、もちろん。だが、我が国が精霊の力が弱まってきたように、帝国でも龍の力は弱まっていると噂に聞く。何より、帝国が領土を広げられたのは龍人としての力と共に戦闘竜たちの活躍によるものだ。だが、その戦闘竜も絶滅し、皇族の龍人としての力も弱まり今や普通の人間に毛が生えた程度だという噂だ」
「あの、戦闘竜とは何ですか? 皇族が龍人の血をひくのとはまた違ったものなのですか?」
聞き慣れない戦闘竜という言葉に疑問を持った私は、率直にリンガさんに質問した。すると、リンガさんは「あぁ、そうですよね」と納得したように眉を下げた。
「トラティア帝国のドラゴンには種類があります。まずは、皇族の祖先である始祖龍。歴史上でも最強と呼ばれる龍です。その強さは国だけでなく大陸一。更に、普通の龍とは違い、人型になることが可能でした」
「ドラゴンでありながら、人になれる……。それが龍人と呼ばれる理由ですか?」
「はい。自分の意志で、龍型と人型と自由自在に変化が可能なのです」
龍人と聞いても、いまいちピンと来なかった。だけど、本当にそのままの意味だったとは。龍であり、人間である。姿を変えることが出来る存在とは……。
「もちろん帝国民皆が龍人という訳ではありません。あくまで始祖龍の血をひく皇族に限った話です」
「皇族に限ったこととはいえ、ドラゴンに変身が出来る龍人ですか。……それこそ、まるでお伽話のような話ですね」
「そうですね。帝国においても、今やお伽話ですよ。今は龍の血も薄れ、皇族であったとしてもドラゴンに変身するなど、ここ何百年も聞いたこともありませんから」
デュトワ国でも、昔は当たり前のように皆が精霊を見ることが出来、契約することが可能だったそうだ。だが、時代と共に精霊を見ることが出来る人も限られた存在になった。
帝国でも同じように、かつての力を失っているということなのだろうか。
「そして、先程マルセル侯爵令嬢が質問された戦闘竜について、ですね」
リンガさんの話を一つ一つ整理しようと頭を働かせながら、耳を傾ける。
「これは人型にならない普通のドラゴンです」
「人型にならないドラゴンも存在するのですね」
「えぇ、帝国においてのドラゴンとは、すなわち戦闘竜と呼ばれる普通の竜を指します。このドラゴンたちは始祖龍が誕生するより前から存在しています。帝国は元々竜の住処だったのです。……始祖龍とは、戦闘竜から生まれた伝説的な龍なのです」
リンガさんの話を真剣に聞いていたルイ様が、「なるほど」と呟いた。
「つまり、帝国の始まりである始祖龍とは、普通のドラゴンから何かしらの原因により、人型に変身することが可能になった特殊な龍だった、ということか」
「そうです。始祖龍は、全ての竜たちを従わせる王としての資質も持ち合わせました」
「だからこそ、皇族はドラゴンを従わせて戦に使ったのか」
ルイ様の言葉を皇帝するように、リンガさんは神妙な面持ちで頷いた。
「全ての竜を従わせる力を持つとは恐ろしいものだな。戦闘竜という名で呼ぶのだから、そのドラゴンたちの強さというのは余程強いのだろうな」
「もちろんです。炎を口から吐き出し、人を乗せながら天高く空を飛ぶ。炎の強さはひと吹で民家二、三件を燃やすほどの威力を持ちます。帝国が今程の領地を広げられたのも、戦闘竜の強さがあってこそ」
――かつて多数の国が消されたように、デュトワ国にも当時の龍人の力を持つ皇帝がドラゴンを従わせて領土を奪いに来られたとしたら……。いくら精霊の力を持っていたとしても、敵うはずがないだろう。
想像するだけで身震いをする私に、ルイ様は心配そうにこちらへ顔を向けた。その視線に、大丈夫だと答えるように私は笑みを作ると、ルイ様は再びリンガさんの方へと視線を戻した。
「だが、その戦闘竜はとうの昔に絶滅した。従えるドラゴンもいなければ、皇族もまたドラゴンに変身する力を失った。……そういうことだよな」
リンガさんの話によれば、ドラゴンとは遠い昔のお伽話。ルイ様が言葉にしたように、皇族の龍人としての力は失われているし、ドラゴン自体も今や存在しない。
だというのに、何故こんなにもリンガさんは暗い表情をし、何かを恐れているように唇を噛んでいるのだろうか。
「はい、その通りです。ドラゴンというどんな存在もを地に伏せさせる力を失ったトラティア帝国は、国内での後継者争いは依然激しいものの、かつてのように他国を一瞬で消し去るような、圧倒的脅威はなくなったのです」
トラティア帝国周辺の大陸の東側の国にとっては、ドラゴンの力を失っても尚、トラティア民の強さというものは恐るに値する為、未だ警戒するべき国ではあるだろう。だけど、大陸でも西側は別だ。デュトワ国もトラティア帝国からは遠く離れていることもあって、あまり気にするような国ではなかった。それよりも、もっと近くのオルタ国や以前戦争をしていたような国々の方が警戒していた程だ。
「ですが……皇帝は違います」
「違う、とは?」
ルイ様の問いに、リンガさんは顔を上げた。その顔は先程までの暗い表情から、一層顔の色をなくしたものだった。普通であれば、リンガさんに大丈夫かと尋ねるところだが、今はそのような空気ではない。リンガさんから放たれるピリッとした空気に当てられたように、気軽に声をかけることが出来ない。
「先祖返りの圧倒的な能力をお持ちなのです」
リンガさんの静かで落ち着いた声が、いやに響いた。
隣からルイ様が息を呑む声が聞こえた。
「それは、本当の話か?」
「嘘は言いません」
顔面蒼白ながら、瞳は力強い輝きを持つリンガさんからは、とても嘘を吐いているように見えない。
ルイ様もまた同感だったようで、「そうか」と一言だけ返事をした。
「皇帝の強さ、カリスマ性に熱狂する民がいる一方、私は怖くなって帝国を逃げ出したのです。あの皇帝が治める世が、平和なはずがない、と」
「……なるほど」
ルイ様そう返事をすると、視線を外し顎に手を当てて何かを考え込むように押し黙った。
春の穏やかな風が頬を掠め、青空の広がる優しい空間ながら、私たち3人を囲む空気はあまりに重いものだった。