3−1
マルセル侯爵邸の2階から、エントランスに繋がる階段をゆっくりと降りる。
下へと視線を向けると、今日の自分の装いであるダークブルーのドレスが目に入る。私の動きに合わせて、スカート全体に施された百合の刺繍が風にたなびくように揺れる。
木製の手すりに捕まりながら、階段の緩やかなカーブを曲がると、私の視界にキラキラと輝く金色が目に飛び込んできた。
目の前の彼――この国の王太子であるルイ様は、柔らかい笑みを浮かべながら、私と手を差し出した。
「準備は出来た?」
「はい。お待たせしました」
ルイ様の手の上に自分の手を重ねると、その手はギュッと私の手を包み込む。そして、自然とルイ様の体に覆われるように両腕の中に閉じ込められた。
「ラシェル、今日もとても綺麗だね」
「ありがとうございます。ルイ様の贈ってくださった髪飾りとネックレスのおかげです」
ルイ様は、私の言葉に嬉しそうに頬を緩めた。
「私が贈ったものがラシェルの輝きの一つになれるなんて、送り主としてこれほど幸せなことはないよ。何より、今日はラシェルにとって特別な日。君の卒業パーティーなのだから」
――今日、なぜこんなにもめかし込んでいるのかというと、今日は私の晴れの日。卒業パーティーの日だからだ。
思いの外オルタ国に滞在する期間が長かったことで、3学年の後半はほとんど通うことが出来なかった。それでも、帰国がこの日に間に合ったことは、何より幸いだった。
ずっと夢だったトルソワ魔法学園の卒業の日。その日に、卒業生として参加出来るのだから。
前世の私は、この日を迎える前に命を落とした。だからこそ、私にとってトルソワ魔法学園からの卒業というものは、一種の区切りだ。――まさに、新たな未来へと歩むための。
しんみりとした気分になっていると、そんな私の気持ちを汲み取ってか、ルイ様は優しく微笑んだ。
「ラシェル。さぁ……行こうか」
「はい、ルイ様」
ルイ様にエスコートされて、馬車へと乗り込む。馬車は私たちが席に着くと、ゆっくりと動き始めた。
ユラユラと揺れる馬車の中、窓の外を眺める。空を染めたオレンジ色の夕日は、心を穏やかに優しい気持ちにさせてくれる。
「あぁ、そういえば……」
ルイ様の言葉に、私は視線を正面へと向ける。すると、窓から差し込んだ陽により、ルイ様の頬が赤く染まっている。その様子を眺めていた私に、ルイ様は嬉しそうに頬を緩めた。
「ラシェルに知らせがあったんだ」
「知らせですか?」
「そう。間違いなく、ラシェルが喜ぶ話だと思うよ。だから、すぐにでも伝えないと、って思ってさ」
――私が喜ぶ話? ……何のことだろう。
首を傾げる私に、ルイ様は目を細めながら頷いた。
「試験的にだけど、トルソワ魔法学園で中等部を作ることになった。各地に設置しようと検討中の小等部の先駆けになるだろう」
「まぁ! ついに許可が下りたのですね!」
馬車に乗っていることも忘れて、思わず腰を浮かせてその場に立ち上がりそうになる。だが、すぐにハッとして座り直す。
はしたない振る舞いをしてしまったと、一瞬で頬を熱らせながら俯く私に、ルイ様がクスッと笑みを漏らす声が聞こえた。
「ラシェルが頑張ったおかげだ」
その言葉に、じんわりと温かいものが胸に流れてくる。ついに、私が変えていきたいと願っていたことへの第一歩が、踏み出すことが出来るのかと。
私がこの国の教育のあり方を変えたいと思うようになったのは、随分と前のことのように思う。
――そう、あれは時を遡り魔力を失って、自分に何ができるのか。どうすれば変わることが出来るのかと、もがいていた時だった。
マルセル領で孤児たちと偶然出会ったことによって、私の狭かった世界は一気に広がった。世界は王族のものでも、貴族だけのものでもない。その時の私には、そんな当たり前のことでさえ気付けなかった。
この国に暮らす民たち誰もが輝かしい未来を信じられるような国になって欲しい。――それこそが、私の夢。
例えば、トルソワ魔法学園で学ぶことが出来るのは、十五歳以上の貴族と一部の優れた魔力を持つ平民のみ。彼らのほとんどは魔法学園に入学するまでは、幼い頃から専属の家庭教師を雇って学ぶ。
だが、これは貴族と一部の裕福な平民の子供の場合だ。
各領地には、領主の意向により領独自の教育機関を持つ所もあるが、それも商家の子息の話であり、ほか大勢の平民と呼ばれる者たちはというと、学費を払うことが叶わず、教育を受ける機会がない。貧民層は文字の読み書きや簡単な計算さえ習う機会がないまま、生涯貧民のままであることがほとんどだ。
貧民層はそのまま貧民層から脱することはほぼなく、彼らの子供たちも同じように一生を過ごす。剣や魔法の才を持つ者以外、貧しさから逃れる機会はほとんどない。
だけど、学ぶ機会さえあれば、知識を得ることが出来れば、それは本人の力になり、自らの道を切り開く鍵になり得る。そのために、私はこの国に生まれ育つ子たちに、教育を受ける機会を作りたい。
もちろん、私の理想とする環境を作るには、気が遠くなる程の時間を有するだろうし、もしかすると、夢物語なのかもしれない。
けれど、少しでも近づけられるよう、まずはトルソワ魔法学園の在り方から変えていこうと考えた。今の教育を当たり前だと考える貴族社会の中で、少しの変化でも排除しようとする人たちは少なくない。だからこそ、まずは貴族が多く通うトルソワ魔法学園の変化から始め、徐々に国全体へと変化を拡大させていくつもりだ。
手始めとして、反対の声があがりにくいであろう、中等部の設立と留学生の受け入れから始めることを目指していた。
「近隣国には、既に留学生の希望について声をかけている」
「そうなのですね! あっ、あの……貴族子女や留学生だけでなく、優秀な平民の話も進められそうですか?」
中等部設立と同時に、金銭的に余裕がないものの一定以上の学力を持つ者に対して、奨学金制度を儲けることを考えていた。これは、元々平民出身の魔術師育成での制度だったが、魔力に限らず優れた能力を持つ者を国として支援することは、国の人材を育てる観念からも重要ではないか、と説得を試みたことだった。
だが、こちらはもしかしたら反対の声が大きいかもしれないと危惧していた。だが、ルイ様は私の心配を分かっていたようで、「そちらも心配いらない」とキッパリと告げた。
「奨学金の件も賛成多数で勧められる。門戸を広げて優秀なものを集める予定だ」
ルイ様は私の目を真っ直ぐ見つめながら、力強く頷いた。
「ありがとうございます。……誰でも教育の機会を。その理想には、まだ遠いかと思います。それでも、きっとその理想を叶える一歩になりますよね」
「長い道のりになるだろう。だが、きっとこの変化は大きな一歩になるだろう」
おそらく私がやろうとしていることは、今後も貴族内では反発の声が上がるだろう。それでも私を信じ、私のやろうとすることを支援してくれる。一番の味方であるルイ様の存在があってこそ、私は夢を見れるのだろう。
「それで、試験クラスはいつからになりますか?」
「国内の優秀な者たちはすでに目星をつけている。それに教師も臨時雇用した。だから、とりあえず来年度から各学年1クラス定員二十名を予定している」
「来年度からですか! あと一ヶ月程で」
「とりあえず試験的に、ということだから。まだどうなるかは分からないけど」
「いえ、十分です。まさかこんなにも早く動き出せるなんて思いもしませんでした」
私がルイ様に中等部設立の案を出したのは、おおよそ半年前のオルタ国へと向かう前の話だ。その後、オルタ国でのゴタゴタも片付いたばかりだというのに……。
――ルイ様の行動力と判断力、そして周囲の者を動かす力は、本当に優れている。何十年も変えることのなかったトルソワ学園の変化を、こんな短時間に……。
「ラシェルがまとめてくれていた資料が良かったから、貴族院や学園側にも働きかけやすかったよ」
「ありがとうございます」
「あとは、希望する留学生を中等部と高等部、それぞれに数人程度招く予定だ。オルタ国のリカルド殿下にも話をしたところ、公爵子息が中等部に、伯爵令嬢が高等部にぜひ留学したいと希望してくれたようだ」
「では留学生の受け入れの準備も強化しないといけないですね」
「そうだな。そういえば、イサーク殿下は、もう少し若かったら自分が立候補したのに、と悔しがっていたようだよ」
「ふふっ、イサーク殿下は本当に面白い方ですよね」
「おそらく本人は、かなり本気だったと思うけどね。なにしろ、ラシェルのことを崇拝しているようだから」
思わず否定しようと焦る私を他所に、「まったく、妬ける話だよね」とルイ様は冗談めかして笑った。
「あまりからかわないでください」
「からかってなんかないよ。私は、ラシェルのことに関しては、いつだって短慮になってしまうからね」
じっとこちらを見つめるルイ様の瞳から、私への熱が伝わってくるようで、思わず頬が紅潮してしまう。そんな私を優しく見守るルイ様は、くしゃっとした目を細めて、今という時間を心から楽しむように笑みを浮かべた。