2-77
目まぐるしい日々だったオルタ国滞在も、ついに帰国の日を迎えた。
サラや騎士たちが荷物や馬車等の準備をしている間、私とルイ様はリカルド殿下やイサーク殿下に別れの挨拶と感謝の言葉を告げた。
彼らも別れを惜しんでくれ、朝から随分と話し込んでしまった。イサーク殿下からは過去の闇の聖女や歴史について新しく分かったことがあれば教えて欲しいと、イサーク殿下の持つオルタ国の歴史書の写しをいただくことが出来た。
リカルド殿下は、以前訪れたオルタ国王族のみが鍵を開けることが出来る神殿へと、再度入室を許可してくれた。今度は、ルイ様も一緒に。
「ここがラシェルが前に教えてくれた神殿か。本来であれば私が入ってはいけない場所だな」
「リカルド殿下やイサーク殿下からも、過去の歴史を明らかにすることを託されましたが、特別な場所への入室を許可してくださったり、重要な歴史書を譲ってくださったりと、本当に有難いことです」
「隠すことなど何もない。オルタ国はデュトワと共に歩む、というリカルド殿下なりのけじめなのだろうな」
「えぇ。これでようやく、本当の意味でオルタ国とデュトワ国、両国が手を携えることが出来るでしょうね」
改めてリカルド殿下とルイ様はとても似ていると思う。考え方や描く未来が。だからこそ、両者が同じ方向を向いている限り、関係性は更に深まっていくのだと思う。
きっと、オルタ国とデュトワ国は長い年月の間にあった氷の壁のような溝を、あっという間に溶かしていくのだろう。
この神殿内に入る直前、顔を見合わせながら真剣な表情で話し合っていた様子を思い出し、そう確信した。
「そういえば、先程リカルド殿下と深く話し込んでいたようでしたが、何かあったのですか?」
「いや、しばしの別れの挨拶だよ。それと、報告ってところ」
報告とは何だろう。不思議そうにしていた私に気づいたルイ様は、表情をやや固くしながら口を開いた。
「リカルド殿下は、国王にバンクス伯爵の殺人の件を追及したらしい。これを公にしない代わりに王座を譲り渡すことを迫ったそうだ」
「……国王陛下は、それを聞き入れたのですか?」
オルタ国王は王座に酷く固執し、後継者を決める素振りも一切ないと有名だった。ファウスト殿下かリカルド殿下が最有力視されていた時も、もしかするとご子息ではなく他の血縁者を選ぶのではと噂される程だ。
それをバンクス伯爵の件を出されたからといって、そうあっさりと片付く問題なのかと不思議に思う。
「どんなやり取りがあったか、詳細は分からないが、もちろん随分と揉めたらしい。だけど、最終的には公爵家の権威を失墜させることを条件に、納得したらしい」
「国王陛下の公爵家への恨みは強いものだったのですね」
「あぁ。自分の子供であってもミネルヴァの息子だという理由で、王位を譲り渡したくないという本心があったようだな」
自分の妻を憎み続けながらも、逆らう術も力も持ち合わせていなかった国王陛下は、バンクス夫人に固執していたのか王位に固執していたのか。それとも、ミネルヴァ様への復讐心のみに心を絡め取られていたのか。
それは本人にしか分からない。それでも、互いに自分の欲を満たす為に、沢山の罪なき人をも巻き込み国を混乱させる様子は、国王としても王妃としてもふさわしくない。
けど、そんな蛇のような人間たちが貴族社会には渦巻いていて、いつだって足の引っ張り合いに勤しんでいる。それに巻き込まれず、立ち向かう強さこそ、私が目指す未来の形だ。
だからこそ、ルイ様やリカルド殿下のように、そんな人たちが作る国を側で支えながら一緒に作っていければと願う。
「リカルド殿下であれば、きっと国を建て直すことが出来るかと思います」
「そうだな。……きっと」
柔らかい微笑みを浮かべたルイ様は、瞳を煌めかせて頷いた。
そして、私の腰を抱いて神殿内をゆっくり進んだ。その時々、以前イサーク殿下たちに説明されたように並んでいる絵画について、ルイ様に伝え聞いたことを説明する。
すると、一つの絵の前で歩みを止めた。
「この絵が噂の闇の聖女の肖像だな。なるほど……確かにラシェルと似た雰囲気を持っている。……とはいえ、イサーク殿下の初恋だと聞くと、何ともいえないが」
ルイ様はどこか複雑そうな表情で唸った。そんなルイ様に思わず笑みを漏らすと、ルイ様は一瞬ハッとした表情をした後、目を細めてくしゃっとした笑みを浮かべた。
「この絵、つい見惚れてしまう魅力がありますよね。イサーク殿下の初恋も、とても頷けます」
その時、足の周りに何かが触れるのを感じ、驚いて足元を見る。
そこには、黒い尻尾を伸ばしながら、足の周りをグルっと回るクロの姿があった。
『ニャー』
「あら、クロ。あなたも来たの?」
随分とご機嫌のようで、私が抱き上げて首元を撫で付けると、目を閉じながらゴロゴロと鳴き声をあげた。
「クロはこの部屋が気に入ったようだな」
『ニャ!』
「クロ、ご機嫌ね。何か気になるものがあるの?」
抱っこする腕の中でモゾモゾと体を動かすクロは、急にキョロキョロと辺りを見渡しながら何度も鳴き声をあげた。
クロが何を気にしているのだろうと、周囲を見渡す。すると、先程まで眺めていた聖女の絵に違和感を覚えた。
「あら……これって……」
「ラシェル、どうかした?」
一歩絵画に近づき、違和感を探す。すると、闇の聖女の左手辺りが僅かにだが、キラキラと小さな青い色光を放っていた。
「あの……この絵」
「あぁ、聖女の。これがどうかした?」
「あっ、ここ! さっきまでなかった文字が浮かび上がってます」
突如現れた光は、徐々に絵の上に文字を浮かび上がらせた。私の声に、ルイ様も同じように顔を近づけ、絵をまじまじと見始めた。
「……うーん、読めないな」
「この文字は古代文字でしょうか? 何て書いてあるのでしょうか?」
「せい……れ、お、じゃないな。少し違う。……ん、この文字は知らないな? 古代語の中でもかなり古い。これを読める専門家を探し出すだけでも苦労しそうだな」
書かれた文字は、デュトワ国のものでも、オルタ国のものでもない。学園で習う古代語とも少し形が違い、ルイ様が一文字一文字確認していくが、解読することは難しそうだ。
「この文字がなぜ現れたのか、何の意味があるのか。不思議ですね」
『呼んだ?』
文字に気を取られていると、突然背後から聞こえてきた声に、ビクッと肩が跳ねる。
『ニャ! ニャー!』
「ネル様!」
嬉しそうな声で鳴くクロを抱き締めながら、後ろを振り返ると、ニコニコと楽しそうに笑うネル様の姿があった。
「闇の聖霊王様、ご無沙汰しております」
『よっ! 王子様もラシェルも、元気そうで何より。お前ら帰っちゃってからつまんないから、またいつでも遊びに来いよ』
「ふふっ、ぜひ。……ところでネル様、急にどうかされたのですか?」
『ほら、お前に王子様みたいなペンダント渡すって約束しただろう? それが出来上がったから渡しに来たんだよ。ほら、これ』
ネル様はアッと何かを思い出したように、何もなかった空間に手をかざす。すると、ネル様の手のひらに金色のペンダントが現れた。
促されて両手を出すと、チャリッと音を立てながらネル様から私の手へと移される。金属の冷たさを感じながら視線を向けると、そこには雫型の魔石のペンダントトップに、ゴールドのチェーンが付いたペンダントがあった。
透明度の高い深い紫色のアメジストに似た魔石は、角度を変えるとキラキラと輝いている。
「とても綺麗です。あの、ありがとうございます」
『これにラシェルの魔力を込めて念じてくれたら、俺に繋がるようになっているから。俺が許可を出せば、精霊の地に入る道を出してやるって訳。その道を通ってくれば、入って来れるから』
『ニャー!』
「本当にそんなことが可能なのですか……凄いです」
『まっ、俺は精霊王だからな』
えっへんと胸を張りながら満更でもない様子のネル様に、隣でペンダントを覗き込んでいたルイ様も、かなり驚いたようで言葉を失っている。
以前、ネル様はルイ様の持つ契約精霊と繋がるペンダントを興味深く見ていた。その際に、同じようなものを私に作ってくれるとは言っていたが、本当にこんなに早く持ってきてくださるとは。
しかもネル様が許可を出せば、いつでも聖霊の地に出入り出来るなんて。あまりの凄さに呆然とペンダントを見てしまう。
その時、肩にグッと重みを感じ顔を上げる。そこには、私の肩を肘置きにしながら目の前の絵画をじっくりと観察するネル様の姿があった。
『で、この文字が読めないって?』
「はい。どうやら古代文字のようなのですが……」
ネル様は顎に手を当てながら目を細めて『うーん』としばし考え込んだ後、口を開いた。
『精霊国がひとつになる時、再び光と闇は合わさり、眠れる龍が目覚める……だってよ』
「眠れる龍? 今の言葉は、ここに書かれた古代文字ですか?」
すらすらと読み上げたネル様に目を丸くする私とルイ様を他所に、ネル様は嫌そうに顔を歪めた。
『げっ、まずいな。ドラゴンの話? 俺、あいつら嫌いなんだよ』
「ドラゴン? ……あの、ドラゴンとはどういうことですか?」
『あー、とりあえず精霊国ってのは、元々オルタとデュトワが同一の国の時の通名ってやつな。眠れる龍ってのは何だろうな。あー、もしかして……前の闇の聖女が封印していたのか。それが、この部屋にデュトワの王族が入ることを許されたことで、封印が緩まったのかもな』
ネル様は首を捻りながら一人納得しているようだ。だが、ネル様の言葉の三割も私は理解出来ず、戸惑いながらネル様の声に耳を傾ける。
――精霊国が通名……初めて聞く言葉だわ。それにしても、さっきネル様は何と言っていただろうか。確か……。
「精霊国がひとつになる時、再び光と闇は合わさり、眠れる龍が目覚める」
『あっ、その言葉をお前が読み上げると……』
ネル様の言葉を復唱する私に、ネル様がまずいとでも言いたげに慌てた。
「えっ?」
「何だ、この光!」
絵画から放たれた強い光がチカチカと瞬き、その眩しさに思わず目を細め眉間に皺がよる。その光は私の左手首の辺り輪を作り、青く光り輝きながら形を変えていく。
「バングル……いつの間に」
青い光は金色のバングルへと変化し、私の左手首に収まった。バングルは水の波紋が描かれ、枠の上下を囲むようにエメラルドが多数嵌め込まれている。
グッと力を込めてバングルを外そうとしても、バングルはびくともせず外すことが出来ない。
「……ルイ様、これ困ったことに外れません」
「何だって。一体なぜ」
「これって……この聖女が腕にしているものと一緒ですよね」
「今、ラシェルが古代語を話したことが鍵になって現れたのか?」
ルイ様は不審そうに私の手を取り、バングルに手を添える。
ネル様が読んだ時は何の反応もなかったのに、私が読み上げたことで現れた。ということは、この絵の聖女がバングルをしていることと同じで、聖女が古代語を唱えることが鍵なのかもしれない。
『この絵で眠らせていたんだろうな。ラシェル、残念だがそのバングルは持ち主を定めてしまった為に、今のお前では外すことは出来ない』
深いため息を吐いたネル様が、お手上げとでも言いたげに両手を上げて肩を竦めた。
「ど、どうすれば……」
『とりあえず、起こした責任を取って育てるしかないな』
「育てる? あの、何を……」
同情するように私の肩にポンッと叩くと、ネル様は何かを警戒するように、キョロキョロと辺りを見渡す。
『うわ、やべ。もう起きるじゃん! 面倒くさいことが起きる前に、早めに退散しよっと』
「えっ、ネル様? あの、起きるとは? 何が起きるのですか」
ベッとしたを出して顔を歪めたネル様は、右手を掲げて杖を出現させた。トンッと杖で床を軽く突く。すると、ネル様の体がゆっくりと薄くなっていった。
「ネ、ネル様! あの、まだ」
『一応アドバイスだけはしといてやるが、龍は粘着質な奴らだからな。気をつけろよ!』
慌てた様子で消えていったネル様を引き止めようと差し出した手が、虚しく空を切る。残ったのは疑問だけ。
「アドバイス……どういう意味なのでしょう?」
「さぁ。忙しなく帰ってしまったな」
「えぇ。まだお聞きしたいことが沢山あったのですが」
「だが、龍といえば、帝国が龍の子孫という話は有名だが……それと関係するのだろうか」
この大陸で一番力を持つ帝国。それがフィスノア帝国だ。その軍事力の高さで国土を広げていった帝国は、龍の子孫として有名であり、並外れた強靭な肉体は帝国民の強さの秘訣だと言われている。
「確か帝国の始祖は金色の龍で、人間の姿と龍の姿、二つの姿を持つ龍人だと言われていますよね」
「あぁ。だからなのか、気性が荒く好戦的で力で全てを捩じ伏せてきたそうだな。ドラゴンの山と共に、帝国民はドラゴンと共に生きてきた。その昔は火を噴く巨大なドラゴンの背に乗り、自由に空を飛び回ったと聞く。だが、戦争に使われたドラゴンは徐々に数を減らし、やがては絶滅したとも噂される」
「そんなドラゴンの話をなぜ急にネル様はされたのでしょうね。……精霊とドラゴンに関係があるように思えませんが」
ルイ様と顔を見合わせて首を傾げる。同じ大陸といえど、デュトワ国とフィスノア帝国は北西と南東。接点などほとんどない。それに、国力が違い過ぎる。下手に刺激して戦争に巻き込まれたりでもしたら堪ったものではない。
「このバングルをどう調べるか」
バングルへと再度手を添えたルイ様が顔を上げた時、目を見開いてある一点を見ながら、ぴしりと時が止まったかのように固まった。
「ラシェル……そこ……肩に」
「えっ? 肩ですか?」
ルイ様が指を差した私の左肩へと視線を向ける。それを確認した瞬間、私は驚きに
息を飲んだ。
『キュー』
そこには、未だかつて見たこともない存在がいた。真っ白な体を私の首から肩にかけて巻き付くように添わせたそれは、目を閉じたまま寝言のように鳴き声を上げた。
「えっ……これってまさか……ドラゴン?」
「見間違えでなければ、ドラゴン……だな。蛇であれば小さくとも手足はない……よな」
長さ三十センチ程の小さな体をするすると滑らせるように、私の首元に寄せる。
突如現れた異質な存在を警戒するように、抱いたままのクロが前足でちょんちょんとドラゴンの頭を小突いた。
『ニャー』
『キュー』
クロが小突いた刺激で、ドラゴンは嫌そうに頭を振った。だが、目を開けることなく、またスヤスヤと眠り始めた。
「か、かわいい! この子、きっと子供ですよね。……わぁ、よく眠ってますね」
――な、何! この可愛い生き物! 鳴きながら眠ってるなんて……。
小さいドラゴンに、クロが興味津々に大きな目で見つめている。その様子に思わずキュンと胸をときめかせていると、ルイ様は困ったように眉を下げた。
「確かに見た目はとても愛らしいが……本当にドラゴンであれば、子供だろうが強い力を持っているだろう。注意しなければいけないな」
「確かにそうですね。でも、この子は一体なぜ急に現れたのでしょう。きっとバングルが関係しているとは思うのですが」
「あ、あぁ。これって封印が解かれたってことか? まずいことにならなければ良いが……」
ルイ様と顔を見合わせて苦笑する。
――ようやくオルタ国から帰国するという日に、今度はとんでもない大物を呼び起こしてしまったようね。
「この子、どうしましょうか?」
「……仕方ない。とりあえず、リカルド殿下に報告してから、一緒に連れて帰る方向で考えるしかないな。バングルは外れないのだし、闇の精霊王が育てろと言ったのは、おそらくこのドラゴンのことだろうからな」
「えぇ。……とりあえず、これからよろしくね」
困惑する私たちを他所に、未だ私の首元で眠り続けるドラゴンの頭にそっと指を添えて撫で付ける。すると、ドラゴンは寝ながらも、私の指に頭を寄せるように近づいた。





