2-76 ルイ視点
ラシェルを部屋まで送り、私は自室へと戻った。
ソファーに体を沈み込ませて、深いため息を吐く。
その時、ガチャッと扉が勢いよく開き、その大きな音に私の体はビクッと跳ねた。
「おい、ルイ!」
突然の物音に心拍が速くなるのをどうにか抑えながら、振り返る。すると、そこには案の定、テオドールの姿があった。
「はぁ……テオドール。何度も言うが、ノックはしろ」
「悪いが、それどころじゃないって」
「いや、どんなに急いでいてもノックはするべきだろ」
眉間に皺を寄せて苦言を呈す私の言葉など耳に入っていない様子のテオドールは、部屋に入るなりテーブルの上に数十枚に渡る大量の紙の束を勢いよく置いた。
「これを。バンクス夫人の証言と、残っていた証拠を集めてきた」
あまりに真剣な表情のテオドールの様子に圧倒されつつ、紙の束へと手を伸ばす。文字を追うため、忙しなく左右へと視線を滑らせる。沈黙が続く中、パラパラと私がページを捲る音だけがいやに響いた。
最後まで目を通した後、テーブルの上で紙の束をトントンと整えて中央へと置く。顔を上げると、私の反応を確認するように、テオドールの真剣な眼差しがこちらを捉えている。
「……今すぐリカルド殿下と会う必要があるな」
私の言葉に、テオドールはニヤリと口角を上げた。
「そうだろうと思って、既にこの部屋に来るように伝えてある」
「流石だな」
私の反応やその後の行動までもを読み、用意周到なテオドールに、私もテオドールと同じように笑みを作った。
♢
辺りは暗くなり、夜8時を回った頃、リカルド殿下が訪ねてきた。
先程私が目を通した時と同様、リカルド殿下は一心に書類を読み込んでいる。最後のページまで目を走らせたリカルド殿下は、暗い表情で俯いた。
「これをどこで?」
「優秀な部下たちが集めてくれました。リカルド殿下はこの事実をご存知でしたか」
「……いえ、まさか」
顔を上げたリカルド殿下は、眼光鋭く眉間に皺を寄せた。
「信じられませんか」
「正直、驚いています。母がここまでしていたことに。こんな……何人もの女性たちを手にかけていたとは」
テオドールが集めてきた証拠とは、ミネルヴァ・オルタの数々の隠された悪事だった。短期間でまとめ上げたものだ。本当であれば、これ以上に内密に処理された事件は多々あったのだろう。
「オルタ国王妃、ミネルヴァ・オルタと生家である公爵家は、自分たちの邪魔になる政敵やオルタ国王と関わりのあった女性を秘密裏に暗殺もしくは薬漬けにしていた。もちろん、それに関わった者たちも同じように口外しないように処理された」
「どのように、この証拠を集めたのですか?」
「貧民街や寂れた飲み屋、娼館、修道院、孤児院。こいつらの悪事を見ていた奴らは一人二人ではない。恋人や身内、友人を亡くした者たちの中には、残された証拠をずっと持ち続け、いつの日か復讐出来る日を待っていた人も多くいたのでしょう」
テオドールの言葉に、リカルド殿下は力なく笑った。
「なるほど。今が撃ち落とすチャンスだったのでしょうね。ファウストのことで、薬物関係が明らかになりましたから。母上や公爵家が関わっている噂は、あっという間に広がった。いくら力ある公爵家であろうと、その噂を全て消すことは出来なかったのでしょう」
「えぇ、今までであれば、ひっそりと消されていた証拠たちでしょう。声を上げることが叶うことなく、大勢の人が亡くなっていった」
けど、状況は一瞬の油断でひっくり返るものだ。
ミネルヴァが私を襲うという短絡的な行動を取ったのも、今まで彼女が望んだことは全て両親が叶えてきたからだろう。邪魔者は、どんな相手であろうと簡単に消すことが出来るとでも思っているのかもしれないし、実際に消せていたのだろう。
そう思うと、ファウストは随分とミネルヴァによく似ている。きっと、ミネルヴァが育てられたようにファウストを育てたからなのかもしれない。
「嫉妬深く欲深い。目的の為ならば何でもする。そんな人間、貴族社会では珍しくはありません。……この証拠はあなたにお譲りします。どう使うのもあなたの自由です」
リカルド殿下が手に持つ書類へ、目線で指し示した私に、リカルド殿下は驚きに瞠目した。
「私がこれを隠蔽するとは思いませんか」
「……隠蔽するのであれば、それがオルタ国の意志だと思うまでです」
そうは言ったが、本当に隠蔽するとは一切思っていない。そのような人物であるなら、ここまで自国の秘密を私に打ち明けるはずがない。
リカルド殿下だからこそ、私の手でこの証拠を公にするのではなく、託すことが出来る。彼ならば、もっと上手く使うだろうと信じられるから。
「信頼してくださるのですね」
「同盟相手は、信用できる人でなければ。その為には、あなたが王になるしかない。覚悟はできていますか」
リカルド殿下の瞳の揺れ動きを確認しようと、じっと見つめる。だが、彼は私の視線を真正面から受け一切逸らすことなく、力強く頷いた。
「もちろんです。その為にあなた方に沢山のご迷惑をおかけしているのです。この借りは何十年掛かろうが、未来で返していきます」
「期待しています」
手を差し出すと、リカルド殿下は迷わず私の手を取り、固く握手を交わした。
――きっと、これから両国の関係は大きく変わるだろう。私とリカルド殿下がそうなるように尽力して行くのだから。
その時、私たちの様子を見守っていたテオドールが、部屋に備え付けられていたワインセラーから一本赤ワインを取り出して掲げた。
「どうですか? 一杯ご一緒に」
リカルド殿下は目を細めて微笑んだ。だが、ため息を吐きながら首を左右に振った。
「良いですね。ぜひそうしたいのは山々です。……ですが、早急に動かねばならないものですから」
「そうですか」
「全てが片付き、私が国の代表としてデュトワ国に伺う際にはぜひご一緒にとっておきの酒を開けましょう」
「それは、次我が国に来るときは、国王になっているという意味ですね」
「はい、もちろんです」
肩を竦めながらサッと立ち上がるリカルド殿下を見送るため、私も扉の前へと移動する。すると、ドアノブに手を掛けたリカルド殿下が決意に満ちた表情で振り返った。
「王太子殿下、今回のことで、母上は離宮に幽閉もしくは離縁されるでしょう。……それ以上のことをお望みであれば、尽力しましょう」
「実家の後ろ盾をなくし、擦り寄ってきては甘い言葉をかけてくれる取り巻きもいなくなる。絢爛豪華な生活を送ることなく、落ちぶれていくのは目に見えています。直接私が手を加えることなく、落ちていくのですから。それに、私は全てをあなたに託しました。どうぞ、ご自分で決着をつけてください」
「……ありがとうございます」
リカルド殿下はドアノブから手を離すと、私へ深く頭を下げた。
――彼がいる限り、きっとオルタ国は真っ当に再生していくだろう。その未来を作る覚悟がリカルド殿下には間違いなくあるのだから。