2-75
応接間から出て、客室が並ぶ廊下へと進もうとするルイ様の袖の裾を掴む。不思議そうに振り返ったルイ様に、私は窓から見える庭園へと目線を動かす。
「少し散歩して行きませんか?」
私の提案に、ルイ様は頬を綻ばせながら頷いた。
庭園へと足を踏み入れると、池を囲むように紫やピンクのチューリップが一面に並んでいる。大きな木の下に置かれたベンチは、日陰になっている。そこに座ると、澄んだ青空と陽によってキラキラと輝く池の水面がよく見える。
「あぁ。……やはり、外はいいな。風が心地良い」
「えぇ、今日は雲ひとつない美しい青空ですね。自然の中にいると、心が落ち着きます」
「ラシェル、ありがとう。……ベンチに座って景色を楽しむ時間も久しぶりな気がするな。ほっとするよ」
ルイ様はベンチの背もたれに体を預けながら、こちらを見た。先程までの何処か強張った表情と違い、今はリラックスしたように顔色に血色が戻っている。
しばらく無言で青空を見つめたルイ様がったが、何かを思い出したように表情が曇った。
「ごめん……」
「何がですか?」
空を見上げたままポツリと呟いたルイ様に、私は驚いた。なぜ謝られたのか、理由が全く分からなかったからだ。
だが、ルイ様はこちらへと顔を向けると、眉を下げた。
「先ほどの話を聞いていただろう。……私が如何に非道で夫として相応しくない人物なのかを」
「自分や家族の幸せよりも、国を優先すると仰ったからですか?」
「あぁ。君のことを愛しているし、守りたいと思っている。きっとこの感情は唯一無二、君にだけ向ける感情だ。だけど、もし将来君との子を授かったとして……親として愛情を向けられるかと言えば、自信がないんだ」
ルイ様は前屈みになりながら、適度に開いた膝の上で鉄を組み、足元へと視線を下げた。
サラリとした金髪が目元に影を落とし、表情を窺い見ることは出来ない。
「自分の子供であっても、将来国王になる器ではないと判断すれば私は自分の子供よりも、親族の中から優秀な者を後継者に選ぶかもしれない」
「ルイ様のお考えはよく分かります。嫡子相続だけが全てではありませんし、適性もあるでしょう。それだけの責任ある立場なのですから」
「以前、ラシェルとの婚約を陛下に解消されそうになったことがあっただろう? あの時、陛下は私を王太子から外すと脅してきた」
確か、アンナさんが光の精霊王から加護を授かったことで、陛下はアンナさんとルイ様を婚約させようと考えた。だが、ルイ様がそれに反抗すると、王太子の座をアルベリク殿下に譲ることも考える、と脅したのだった。
もちろん、ルイ様はそれに一切屈することもなく、最終的には陛下も私たちの関係を認めてくれた。
当時、ルイ様と破局しなければいけないかもしれないと悩んだことを思い出すと、今も切ない気持ちが蘇ってくる。
「陛下だったらやりかねないとは思っていたが、自分が国王になった時はそんなくだらない脅しなんかするものか、と怒り狂ったよ。だけど、いざとなればその決断をする冷酷さが、自分の中にあるのだと、自分自身が恐ろしくなる。……似たくもないのに、な」
「陛下とルイ様はどちらも国を想う心は同じですが、同じ状況で同じ選択をするとは思いません」
ルイ様のことを誰よりも見続けた私だからこそ、自信をもって言える。ルイ様に訴えるよう、顔を覗き込むと、ルイ様は驚いたように目を見開いた。だが、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
「ラシェルがそう言ってくれることが何より心強いよ。……そうだな。陛下と私は違う。何より、私には君がそばにいてくれる」
「未来のことは分かりません。子供が国王の器かどうかだって、親族の中に優秀な者がいるかだって、まだこれから先のことです。それよりも、自分たちがどう接するかの方が重要だと思います。責任感も器も、生まれ持つものではなく育つものです。全ては私たち次第かと」
「……育つもの、か」
「えぇ。何より大事なのは、信じることだと思います」
何より、私はルイ様と共にいる未来だからこそ、信じられる。その気持ちを込めてルイ様の瞳を真っ直ぐ見つめる。
すると、ルイ様はほんのりと頬を赤ながら、左手で頭を押さえた。金髪がくしゃっと形を変え、手から零れた髪の毛がルイ様の頬にかかった。
「まいったな。これ以上ないほどにラシェルに惚れ込んでいるというのに、また君のことを愛しい気持ちが増してしまったよ」
その言葉に私の胸はドキッと跳ねた。ルイ様の柔らかく細めた眼差し、口調、空気感全てが私への想いを真っ直ぐに伝えてくれているのが分かる。
さわさわと頬を撫でるように、絶え間なく流れる風で揺れる私の髪に、ルイ様は優しく手を伸ばした。そして、顔にかかる髪を私の耳元へとかけた。
ルイ様の整った綺麗な顔を間近で見つめるだけで、心臓の鼓動が早まっていく。
「ラシェル、私は自分の子供をちゃんと愛せる人間になれるだろうか」
「怖いですか?」
私の問いに、ルイ様は「うーん」と少し考え込んだ。
「私は父にも母にも、親子の情なんてものを微塵にも感じていない。だから、親子というものの特別さをあまり理解出来ないんだ。例えば子供が出来たとして、その子に君への気持ちと同じような感情を自分が持てるとは、自信がなかった。……さっきまでは」
――さっきまで? 今は違うということ?
首を傾げる私に、ルイ様は笑みを浮かべた。
「さっきのラシェルの話を聞いて、少し考え方が変わった」
「どう変わったのか、聞いても良いですか?」
「ラシェルとの婚約が決まった時も、初めから今のような気持ちを持っていた訳ではなく、ゆっくりと君が人を愛することを私に教えてくれたよね。……子供がひとつひとつ学んでいくように、私も自分が親になれば、ひとつひとつ学んでいくものなのだろうな。そして、心を育てることが出来るのかもしれない」
「えぇ、そうです。きっと、この先私とルイ様の間に、子供を授かったとしたらその子が愛し方を教えてくれると思うのです」
未来のことなど何も分からないけど、それでもルイ様となら、どんな困難であっても一緒に乗り越えていけると信じられる。
「どんなことがあろうと、私はあなたの隣にいます。だから、支え合っていきましょう」
「あぁ。ラシェルとなら、いつだって自分が変われる気がするよ」
「私も同じです。ルイ様がいるから、困難からも逃げずに向き合える気がするのです。私には何があっても味方になってくれる人がいると知っているから」
隣に座るルイ様の頭がコツンと、私の肩に乗った。
「……ラシェル。……ありがとう」
小さく消え入るように、それでも私の耳にしっかりと聞こえるように、ルイ様は呟いた。ルイ様の頭に寄り添うように、自分の頬を寄せる。すると、ルイ様から笑みが漏れる音が聞こえた。その声はとても柔らかく、心地良い響きを持っていた。
――いつまでもずっとこんな時間が続きますように。
穏やかな時間の幸福感に、私はそっと瞼を閉じて、今のこの時間を噛み締めた。