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「その計画というのが、デュトワ国の力を弱めるということですか?」
バンクス夫人の人生は、想像するだけでも胸が苦しくなる話で酷かった。その話を感情などどこかに置いてきてしまったかのように平然と語るバンクス夫人は、どんなに辛い経験を話す時も背筋を伸ばし前を見据えて顔を上げていた。
今も私の問いに、あっさりと頷いた。
「正確には、オルタ王家の力を強めるため、デュトワを利用するという形です」
「……そのために、オルタ国に縁のあるヒギンズ家のカトリーナを私の妃にしようと?」
「えぇ、それも計画の一つ。まぁ、ヒギンズ家が勝手な行動ばかり起こすので、失敗に終わりましたが」
ヒギンズ侯爵家がオルタ国と繋がっていることは、ほぼ確定だと思われていたが、まさかオルタ国王やバンクス夫人と繋がっていたとは。
「……母上も片棒を担いでいたと?」
ルイ様の言葉に、今まで表情を一切変えなかったバンクス夫人が、あからさまに蒼ざめて焦った表情を見せた。
「ち、違います! オーレリア様は、何もご存じありません。オルタ国の王族として、和平のために同盟国であるデュトワ国に嫁いだに過ぎません。あの方は、夫を失い居場所を無くした私をただ純粋に助けたいと思ってくれていたのです。……陛下に利用されているとも思っていないでしょう」
バンクス夫人は、オーレリア様を想ってか口元に手を当てて顔を歪ませた。
「母上は、オルタ国王から情報を流すように指示されていないと?」
「はい。誓って言い切れます」
「とても信じられないな。あなたの行動の責任は主人である母が取るべきでしょう? あなたの暗躍が母国に有利に働き、嫁ぎ先を陥れる行為だと黙認していた訳ですよね。それとも、一番の側近が裏切っているのも気づかないほどに愚鈍だと?」
「……もしかしたら薄々気づいている可能性はあります。ですが、私の行動とオーレリア様は無関係です」
「その辺りはこちらでしっかりと調べさせてもらう。まぁ、母上がそのような思惑を持って嫁いできたのであれば、父が既に処分している可能性があるかもしれませんが」
「ほ、本当にオーレリア様は私や陛下とは関係ありません。私のせいでオーレリア様を巻き込むわけにはいかないのです」
バンクス夫人は、顔面蒼白になりながらガタッとソファーから立ち上がると、床に膝をついて頭を下げた。
「あなたがどの程度の情報をオルタ国に流していたのかは分からないが、場合によっては命で償う可能性もある」
「……承知しております」
「同時に、事と場合によっては母上もまた責任を取る必要がある。なぜなら、あなたは母上の侍女であり腹心であること、そして母上がオルタ国の元王女であるからだ」
「オーレリア様は殿下の母上なのですよ!」
「……だから何だと?」
冷え冷えとしたルイ様の瞳に、バンクス夫人は怯えたようにガタガタと震えた。
「オーレリア様は……仲のいい家族に憧れる、普通の少女だったのです。殿下を身籠られた時も本当に幸せそうに、毎日お腹に語りかけていましたよ。……あなたの母親になれるのを、心から楽しみにしておいででした」
「……普通の少女では、国母にはなり得ない。私もまた、息子という立場ではなく一国の王太子として判断するべきだとは思わないか」
取り付く島もないルイ様の様子に、バンクス夫人はもはや口を噤んで俯いた。顔の表情は見えないが、震えた手からオーレリア様への心配と後悔が滲んでいるようだった。
「ジョアンナ・バンクス。あなたを今この時を持って拘束し、明朝私の部下と共にデュトワ国に発ってもらう。私が帰国後に改めて話を聞くことにする」
「……はい。そのように」
話は終わったと、テオドール様に目配せをして立ちあがろうとするルイ様を、手で止める。すると、ルイ様は先程までの厳しい表情を僅かに和らげて不思議そうに私を見つめた。
「あの、ルイ様。私もバンクス夫人に質問しても宜しいでしょうか」
「もちろん」
ルイ様は立ち上がりかけた腰をもう一度ソファーに沈めると、私の言葉を待った。
私はバンクス夫人の元まで歩み寄ると、床に座り込む彼女の肩に手を添えた。すると、顔をゆっくりと上げたバンクス夫人の薄らと涙で濡れた瞳と視線が合う。
「なぜ、夫人と国王陛下は口論をされていたのでしょうか? 一生を陛下に捧げると決めていたのなら、もう協力出来ないなどという言葉は出ないはずです」
バンクス夫人の生い立ちや国王との関係性は理解した。バンクス夫人もまた、国王に協力すると決めた時から、危険と隣り合わせだということを理解していたはずだ。
けれど、彼女は自分の保身のために国王の手駒として動くことを止めようとしたのではない。――それは彼女と国王のやり取りを聞いていたからこそ分かる。
だとして、なぜ自分の全てを捧げると決めた国王に背く判断をしたのだろうか。
私の疑問に、バンクス夫人は私とルイ様へと順に目線を運んだ。
「あなた方を見ていたら、私たちの歪んだ愛情に次世代を担う方々を巻き込んではいけないと……そう、思うようになりました。何も考えずに、彼の言う通りに動くことは楽だったけれど、いつからか何の信念もなく復讐心のみで国を乱そうとすることに、疑問を持ち始めてしまったのです。……ましてや、精霊王の選んだ聖女を苦しめるなど……精霊王の怒りを買い国を滅ぼしかねない行動ですから」
確かに指示されたことを無心で行うのは楽なことだ。それが当たり前となれば、自分の行動に疑問を感じることもなくなってしまうだろう。
それでも、バンクス夫人はその中で抵抗を始めた。それが身を滅ぼすことになると分かっていたのに。
「後悔しているのですか?」
「後悔……分からないわ。私には、これしか生きる方法がなかったもの。……きっと、何度人生をやり直しても、あの人を好きになって、あの人のために生きることを決めるかもしれない」
「夫人と国王陛下はお互い想い合っていたはずなのに、なぜ傷つけ合うようなことに……」
「……私たちは愛し方を間違えていたのでしょうね。あの人のために生きたいと願うのであれば、私はあの時……どうすれば良かったのかしら。陛下の手を取るべきではなかったのかしら、ね」
眉を下げて切なげに微笑みバンクス夫人は、こんな状況にあって尚、儚く美しい人だと感じた。
その後、テオドール様と共に部屋を退出したバンクス夫人を見送り、私たちはソファーに倒れ込むように腰を下ろした。先程までの緊張感から解かれたことで、張り詰めた糸が急に緩んだのかもしれない。
「ルイ様、今後どうされますか」
「……帰国し次第、関係者の事情聴取をしなければいけないな。バンクス夫人の話の裏を取らなければならない。だが、今回の件は、国に帰るまでは大事にしたくない。バレてしまえば、バンクス夫人と繋がっていた者たちはそれこそ証拠を処分しようとするだろう。……私が帰国するまでは、内密に動くつもりだ。……もちろん、母上にも秘密にする」
「バンクス夫人は、オーレリア様の侍女です。内密に出来るでしょうか?」
「彼女は侍女長ではあるが、母上の代わりに社交界に出たりと忙しい人だ。用事で先に帰ったと伝えておけば良いだろう。……それに、彼女はああ言っていたが母上の関与も否定できないからな」
「やはり、まだお疑いになっているのですね」
「バンクス夫人は、母上の一番の腹心だ。庇う可能性だって十分にある。……だからこそ、一度しっかりと話す機会を設けようと思う。」
ルイ様はあくまで冷静に物事を見ている。情に流されることなく、事実のみで判断することの重要性を教えられているようだ。
「そうですね。それが宜しいかと思います」
「ラシェルも同席してくれるか?」
どこか不安げにこちらを見るルイ様に、私は思わず頬を緩めた。
「はい。もちろんです」
私の言葉に、ルイ様はパッと表情を明るくした。さっきまで次代の王の貫禄を見せていたにも関わらず、急に年相応の表情をするルイ様にドキッと胸が高鳴った。