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「貸してもらう⋯⋯」
「だって、もう君たち契約関係にあるからさ」
「確かに⋯⋯そうですね」
クロを抱き上げると、私とクロの顔の位置は近くなる。そして、クロのまん丸の瞳に目線を合わせる。
『ニャーニャー』と鳴くクロに
「もしかして⋯⋯クロ、任せろってこと?」
『ニャー』
わぁ、返事をしたわ!
力強い鳴き声に感動で目が潤みそうになる。
だが、そこにテオドール様からの冷たい一言
「いや、この黒猫ちゃん。下ろせって」
えっ、そうなの!?
テオドール様の言葉に、慌ててクロをすぐに膝の上に戻す。
クロは私の膝からサッと降りると、トコトコとテオドール様の元に向かいピョンと膝の上に乗る。
テオドール様が「どうした?」と優しい声で聞くと、『ニャーン』と甘えた声で返事をする。
⋯⋯負けた気分だわ。
クロと仲良くなるにはまだ時間が必要ね。
ひとまず、猫のオモチャを調達しようかしら。
やっぱり猫じゃらし?ボールとかどうかしら。
犬の精霊はボールで遊ぶのが大好きだったけれど。
私の考えがどんどん違う方に向かっているのに気づいたのか、テオドール様は「だから、無条件に好かれやすいんだって」と慰めるような言葉をかけられる。
「でもまぁ、この黒猫ちゃんは低位精霊だからそんなに大した力はない」
「はい、そうですよね」
「でも、君の魔力は黒猫ちゃんのおかげで十分の一ぐらいは満ちたんじゃない?」
「十分の一」
「元々の魔力が高いからね。そんなもんでしょ」
「今はまだ繋がったばかりで実感ないと思うけど」
「はい」
「少しずつ黒猫ちゃんの魔力が身体に馴染んでくると思う。
そうしたら、魔術なんかは全然使えないレベルだけど、日常生活は問題なさそうだ」
「そうなのですか?」
「あぁ、走ったりとかは難しいかな?でも、歩いて出掛けるとかは問題ないだろうな」
⋯⋯良かった。
きっと、殿下も両親もそう言うだろう。
でも、本当にそれで良いのだろうか。
こんな都合の良いことが私にあっても良いのだろうか。
「⋯⋯こんな奇跡、私に起こるなんて⋯⋯良いはずないのに」
思わず考えていたことが小さな呟きになって出てしまった。ハッとテオドール様を見るも、しっかりと聞こえていたらしい。
彼はいつもの軽い表情を消し、真剣そうな顔つきをする。そして、真っ直ぐな瞳を私に向けた。
「何でダメな訳?」
「⋯⋯私はそんな力を与えられるような、クロに選ばれるような人間ではないのです」
その答えに、テオドール様は「ハッ」と乾いた笑い声を出す。
「そんな事情なんて知らないよ。この黒猫は君を選んだんだ。
必要なのはその事実のみだ」
そうだった。
今の言葉はクロを⋯⋯せっかく私を選んでくれた子を否定するような言葉だ。
きっと、テオドール様にとって精霊は全てとても大切なものなのだろう。
だからこそ、あんなにも優しく精霊を扱う。それを精霊も知っているかのようだ。
だからこそ、クロの気持ちに向き合わずに自分の都合で考えてしまった私の間違いを指摘した。
自分の罪に対して、魔力の枯渇が与えられたことは報いだと感じていた。
だが、代償を得ることが償いになっていたのだろうか。
勝手にそれが償いと感じていた自分の、何とも身勝手なことだろう。しかも、私を選んでくれたクロに対して失礼だった。
沈み込む気持ちを振り払うよう、自分の両手で頬をパチンと叩く。
うん、少し気合いが入った。
私の様子にテオドール様は驚いたように唖然とすると、「ハハッ」と笑い目を細めた。
ピリッした空気が一気に消え去り、「令嬢が自分の頬っぺた叩くなんてきいたことがない」とまた大きな声で笑い出した。
「ごめんね、クロ。
テオドール様、私はもっと考えないといけないことがあるようです」
「そうみたいだね。とりあえず、思うところはあるだろうけど良かったね」
穏やかな顔でそう微笑むテオドール様は、一枚の絵のような美しさがあった。
よしっ
クロと、そして自分と向き合おう。
後悔や反省じゃない。
前を向いていくために、どうするか考えよう。
テオドール様は膝に乗っていたクロを抱き上げて、立ち上がると私の膝の上に置いた。
「はい。君と黒猫ちゃんがはやく仲良くなれると良いね」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、今日はこの辺にしとく」
そのまま、テオドール様は椅子に座ることなくドアの方へと向かう。
その行動に慌てて椅子から立ち上がろうとする私を手で制した。
「まだ身体は思うように動かない。そこでいいよ」
「申し訳ありません。お気遣いありがとうございます」
「いや、俺もこれから色々調べることが山積みだし、協力よろしくな」
「協力?」
「え?だって闇の精霊見つかったんだよ?
これってかなりの歴史的事実だよ」
うん、確かにそうだ。
闇の精霊は分からないことだらけだ。
それが見つかった今、精霊についての見解も変わってくるだろう。
「ちゃんと君が日常生活を送れるようにするよ。魔術コントロール出来るまでは面倒を見てあげる」
「はぁ」
何だか気の抜けたような返事にテオドール様は気にも止めずに、「では、また」と手を上げ軽くヒラヒラと振った。
サラが部屋の内側からドアを開けると、執事が扉の前で待っており「玄関までお送りします」と声をかけていた。
そして、ゆっくりとテオドール様の背中が見えなくなる。
バタン
ドアが閉まると、何だか一気に疲れがやってきた気がする。
目線を下げ、膝の上のクロを見るとクロはツンと顔を背けている。
さっきクロの気持ちを受け入れられなかった私に気付いちゃったのかしら。
うーん。まだまだこれからね。
とりあえず、早急にオモチャが必要ね。