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2-69


 翌日、イサーク殿下に誘われた場所は、二の宮に面した庭園の奥、木々に囲まれてひっそりと佇む神殿だった。アイボリー石造りの神殿は、中に入ると外観では気が付かなかった程天井が高い。壁の上部から天井にかけて一面に広がるステンドグラスは、太陽光によりキラキラと瞬いている。


 思わず魅入っていると、前方からこちらへと近づいてくる靴の音に振り返る。

 そこには、バンクス夫人とリカルド殿下が共に並んでいた。


「今回のことは大変だったわね。甥たちのことは心配していたのだけど、まさかファウストがここまでの事件を起こすだなんて……」


「本当に申し訳ありません」


 どうやらイサーク殿下が私を今日この場に誘い出したのは、昨日の件の報告と謝罪をしたいということだった。

 リカルド殿下は、ファウスト殿下の件の調査がまだ片付いていない段階にも関わらず、時間を作ってくれたようだった。 


「いえ、皆様も大変な中、わざわざ状況を説明してくださる為にここに誘ってくださったのですよね。ありがとうございます」


「そんな、とんでもありません」


 感謝の言葉を述べると、イサーク殿下が恐縮したように両手を左右に振った。


「あんなことがあったばかりだし、昨日からこの城は随分と慌ただしくて、ラシェル様もなかなか休めないでしょう? どこから噂が広がったのか、朝から貴族たちの出入りも多いのよね」


「あの……」


「妹のこと、よね。……随分とファウストに入れ込んでいたから、どんな行動に出るか分からないわ。陛下に私から注意するように伝えておくわ」


 バンクス夫人は、目を伏せると頭を下げた。


「我が国のことで巻き込んでしまってごめんなさい。私が言えたことではないけれど、この国は……もう腐り切っているのよ。昔はオルタこそ聖女伝説を引き継ぐ国だと信じていたけど」


 バンクス夫人の、聖女伝説を引き継ぐという言葉に、首を傾げる。


「この国での聖女伝説とは、デュトワ国のものと同じということですよね」


 デュトワ国内で数ある神話や伝説の中で、一番人気のあるものが聖女伝説だ。

 聖女伝説とは、建国王と初代聖女の話を主としており、今も多数の歴史書や小説、絵本、そして演劇等で語り継がれている。

 オルタ国とデュトワ国は元々一つの国だった為、オルタ国でも同じ話が伝承されていてもおかしくない。

 だが、バンクス夫人は私の言葉に首を左右に振った。


「いいえ、オルタ国の聖女伝説は、デュトワ国のものと少し違うわ」


「そうなのですか? あっ、闇の精霊が関係しているのですか?」


「そう、その通り。……その昔、デュトワとオルタが一つの国だった頃、闇の精霊と光の精霊は同列の神だった。聖女も同時期に闇と光の聖女、2人が現れていたの」


 ――光の聖女と闇の聖女……2人が、同時に? 


 戸惑う私に、リカルド殿下は神妙な顔で顎に手を当てた。

 しばらく考え込んだ後、着いて来てください。とだけ言うと、神殿の奥の一箇所に手をかざして、何かの呪文を唱える。すると、そこに今までなかったはずの隠し扉が出現した。


 突如出現した小さな磨りガラスがはめ込まれた木製の扉に戸惑う私に、リカルド殿下はどうぞと中に入るように案内する。


 中へと入ると、そこは扉の質素さとは反対に、先ほどまでいた神殿と同じぐらいの広い空間だった。

 壁には無数の絵画が飾られ、扉から真っ直ぐに繋がる赤絨毯の先には、大理石の祭壇。そのサイドには、大きなガラスケースが置いてあり、その中にブローチや髪飾り、本といった多種の物が飾られているようだった。


「ここは?」


「王族のみがこの部屋の呪文を知る、隠し空間……といったところですかね。ここは、先程までいた神殿と作りは同じです。ご覧の通り祭壇もある。王族専用のもう一つの神殿と考えてください」


 辺りを見渡す私に、リカルド殿下は壁に並んだ絵を指さした。


「この絵を見てください。これは国を二分する時の聖女たちです。光の聖女は後ろ姿ですが、こちらの黒髪の方。この方がオルタ国建国の妃、闇の聖女様です」


 ティアラを頭に飾り、ネイビーのドレスで微笑む女性――この方が、先の闇の聖女。

 胸元まであるストレートの黒髪は艶やかで、意志の強そうな茶色い瞳は真っ直ぐにこちらを向いている。


「……あなたに似ているでしょう」


 イサーク殿下の声に隣を見ると、イサーク殿はまるで少年のようにキラキラとした瞳で絵を眺めていた。


「この方が……」


「イサークはこの絵が昔から大のお気に入りでね。……どうやらこの部屋に初めて入った日、一目惚れしてしまったのですって。嫌なことがあると、いつもここにいたのよね」


「伯母上! 十年も前の話ですから」


 バンクス夫人がクスリと笑いながらイサーク殿下へと目線を運ぶと、イサーク殿下は恥ずかしそうに口を尖らせた。


「それもあってか、勉強はからっきしなのに、聖女伝説に関してだけは詳しいのよね。地方に放置されていた古い書物や関連物まで見つけてきたりして、ね」


「勉強だってそこそこはちゃんとしてましたよ。……ですが、そうですね。俺にとって強さと優しさを兼ね備えた闇の聖女様は、憧れの存在ですから」


 頬をほんのりと染めたイサーク殿下は、目線を下げて頭を掻きながら語尾を弱くしながら、珍しくボソボソと話した。そんなイサーク殿下を、リカルド殿下は優しく微笑んで見ていた。


「イサークもそうですが、オルタ国では、オルタ国初代王妃は特に人気ですからね。それもあってか、初代王妃に似た闇の聖女であるあなたは、市井でも噂の的なんです。絵姿も出回っているとか」


「そうなのですか? お恥ずかしいです」


「ちなみに、デュトワ国では国が二分した争いの原因は、何だと言われていますか」


 リカルド殿下の問いに、私は闇の精霊を調べる上で沢山の歴史書を読み込んだ記憶を呼び起こす。デュトワ国でも、その争い関連の書物は沢山残っている。だが、もちろんその時に聖女が2人いた事実など、どれにも書かれていなかったのだが。


「私の国では、闇の精霊の存在自体が葬られていたので、国が分かれたきっかけは側妃の子である兄が、正妃で正当な後継者である弟に謀反を犯したから……というものです。その争いは大きいもので、光の聖女のお陰で犠牲を最小限に収めることが出来たが、結局は国が分かれる事態になったと」


 私の言葉に、イサーク殿下がムッと苛立ったように眉を顰めた。


「こちらでは違います。いえ、それは正しい歴史ではない、と言った方が方が分かりやすいでしょね」


「正しい歴史ではない? イサーク殿下、どういうことでしょうか?」


「デュトワ国で伝わっている歴史は、改竄された歴史です」


 闇の精霊の存在が一切隠されていたことから、伝わってきた歴史への違和感はあった。けれども、ここまでキッパリと言われるとドキッと胸が跳ねた。


「元々、正当な王位は兄王にあったのです。弟王はそれを奪ったばかりか、兄王の妃である闇の聖女までもを手に入れようとした。卑怯な手を使ってまでも」


「弟王こそが悪だと?」


「俺たちの知る歴史はそうです。実際、兄王は幼い頃から冷遇されて辺境――つまりは今のオルタ国の一地方で幼少期を過ごしました。ですが、頭角を著した兄王を王位に望む声は少なくなかった。更に、後に闇の聖女となる女性は元々弟王の婚約者でした」


「オルタ国初代王妃が、弟王の婚約者、ですか?」


「はい。ですが、光の聖女が誕生した途端、弟王は光の聖女とすぐに婚姻を結び、婚約者をあっさりと捨てました。そればかりか、その後、彼女が闇の精霊王から加護を与えられると、掌を返して側妃にすると言い始めたのです」


 その言い伝えが本当であるならば、聞いているだけで頭がズキズキと痛む話だ。なぜなら、私たちが賢王と敬っていた相手が、とんだクズだと言われているようなものなのだから。


 ――互いの国によって言い分や見え方が違うにしろ、本当にこれが真実だというのなら、何故当時の光の聖女が弟王を選んだのかが分からない。


 何より、私たちの国ではこの弟王と光の聖女の純愛は、未だに根強い人気のある伝承なのだから。


「……なぜその歴史が正しいのだと言い切れるのです? オルタ国で伝わっている歴史こそが改竄されているとは思いませんか?」


「残念ながらそれはあり得ません」


 私の問いに、イサーク殿下はバッサリと否定した。


「……違和感があったでしょう? デュトワ国に伝わる歴史には不思議なほど闇の精霊の存在が隠されている、と」


「……それは、そうですが」


 ――そう、そこが一番の問題だった。かつてより存在していたはずの闇の精霊。その存在の痕跡を一切消した理由が分からない。誰がどんな目的でそうしたのか。そもそも、そんなことが可能なのかも分からない。


 それこそ、元々デュトワ国には闇の精霊など本当に存在しなかった、といわれた方が納得がいくかも知れない。

 深く考え込む私に、リカルド殿下が一際大きな絵画を指した。


「建国王の名をご存知ですか?」


 リカルド殿下が指し示す先には、聖女伝説の始まりとされる初代聖女と建国王の姿。デュトワ国の王宮内や大教会などでも造像が建てられており、目にする機会も少なくない。


「もちろん。アレクサンドル王ですよね」


 彼の名を知らない者はいないだろう。

 即答する私に、リカルド殿下は意味深に口角を上げた。


「正式な名は……アレクサンドル・オルタです」


 ――アレクサンドル・オルタ? デュトワ国ではアレクサンドル王にオルタという名は付かない。しかも正式名称があるなんて聞いたことがない。


「そんな……」


 唖然とする私を気遣うように、イサーク殿下が口を開いた。


「……過去の話です。それに、光の精霊王はデュトワを選んだのですから」


「確かにイサークの言う通り、過去の話です。ですがこの国では、ただの伝承だと無視することも出来ないのが少々厄介なのです。元々は、オルタ国こそが正式な継承を持つ、という過激派の意見も根強く残っているので」


「ですが、建国王の王冠はデュトワ国にあります。それも偽物だと?」


「いいえ、王冠は本物でしょう」


 リカルド殿下の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。今まで信じてきたもの全てが、偽りだったらと思うと、足元が崩れる思いだ。


「忘れてはならないのは、オルタ国とデュトワ国、元は同一の国で、どちらの王族も建国王と初代聖女の正統な血筋であることは間違いないということなのです。……ただ、オルタ国では正式な継承を奪ったとデュトワ国を未だに敵視する声もある、ということです」


 オルタ国にとっての正史がイサーク殿下やリカルド殿下が語った通りであるならば、今代で同盟を結ぶ前まで、隣国にも関わらず貿易も交流も一切ない険悪な関係だったのも頷ける話だ。


「これは私の想像ですが、国が二分した背後には、闇の精霊王と光の精霊王も関わっているのだと思います。デュトワには光が、オルタには闇が付いたのでしょう」


「両国の信仰神を考えると、そうかもしれませんね」


「今まではオルタには闇の精霊王が付いていると信じられた。……ですが、今は違います。闇の聖女がデュトワ国から選ばれたことは、精霊王がこの国に失望したという声そのものなのでしょう」


 闇の精霊王ネル様は、オルタ国に失望したから私を聖女にしたのではなく、私に加護を与えたこと自体が暇つぶしだった……なんて口が裂けても言えない雰囲気に、思わず苦笑いになる。

 だが、オルタ国における聖女関連の伝承はとても興味がある。それを知ることで、デュトワ国の失われた歴史が知ることができるのかもしれない。


「失われた歴史の鍵は、どこにあるのでしょうね。……出来ることなら、私はそれを知りたいです」


 私の言葉に、イサーク殿下は同意するように頷いた。


「分かります。俺も一度調べ始めたら、どっぷりと沼にハマってしまったようなもんなので。ですが、元々デュトワとオルタが同一の国だった頃に関しては、お手上げです。うーん、もしかすると精霊王であれば、知り得るのかも知れないですね」


 ――精霊王……ネル様に聞けば、もしかしたら教えてくれる可能性もあるかもしれない。だけど、ネル様は若い精霊王だと仰っていた。過去の時空を操る精霊王とはいえ、何代も前の精霊王の時代のことも知り得るのだろうか。


 あっさりと教えてくれる気もするし、興味ないから知らないと一蹴される気もする。


「機会があれば聞いてみたいですね。……ですが、期待はしないことにしておきます」


「そうですね。謎を全て明らかにすることが正しい訳ではありませんから。ですが、誰も知り得ない本当の歴史に、あなたならば近づけるかもしれないと、僅かに期待してしまいます」


「リカルド殿下……」


「なんといっても、精霊王に選ばれたお方ですから」


 優しく微笑むリカルド殿下に、私も頷く。

 すると、私、リカルド殿下、イサーク殿下の輪から少し離れるように、バンクス夫人が闇の精霊王が描かれた絵画の前へと進んだ。


「闇の精霊王が選んだ聖女こそ、精霊王のお考え……なのよね」


 ポツリと何かを呟いたバンクス夫人に、私は振り返る。


「バンクス夫人? どうかされましたか?」


「いえ、何でもないわ」


 深刻そうな表情で何かを考え込むように見えたが、私の問いにバンクス夫人はすぐにいつもの微笑みを浮かべて首を横に振った。

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