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王城に戻る馬車の中、私はルイ様に頭を下げた。
「ルイ様、ありがとうございます。ルイ様の計画上、現段階で人の多い場所に出ることはまずかったですよね」
「気にしなくていいよ。君の安全が守られない上に、私の計画なんてないのだから。何度も言っているけど、私の最優先はラシェル、君だからね」
何でもないことのように微笑むルイ様に、胸がじんと熱くなる。いつだって、ルイ様は私を想ってくれて、最優先にしてくれる。それだけでなく、私のために今まで培ってきたものを投げ失せてしまのではないか。そんな想像さえ出来る危うさもある。
その気持ちは何より嬉しくて、目頭が熱くなる。だけど、私という人間が、ルイ様の負担になってしまうことが何よりも嫌だ。
「それでも、いざとなったら私も十分立ち向かえる強さはありますから。私のために全てを犠牲にしないで欲しいのです」
「ラシェル、君のために犠牲にしたことなどただの一度もない。全部、自分のためなんだ。私が君に傷ついて欲しくないから。私が君を守りたいからしたことなんだ。……自己的な考えだろう?」
眉を下げて困ったように微笑むルイ様に、ここが馬車の中でなければ今すぐ抱きついてしまいたい衝動を何とか抑え込む。
「君の強さを疑っている訳ではないんだ。……そこは信じて欲しい」
膝の上に置いた私の手に、ルイ様の手が重なる。そこから温かい熱がじんわりと伝わってくる。視線を合わせると、月夜に照らされた海の色をした、吸い込まれそうになる瞳が私を捕える。
「……肝が冷えたよ。ファウストのことはもちろん警戒していた。だが、ここまで短絡的な行動に出るとは。親が親なら子も子だな」
深いため息を吐いたルイ様は、私の手をギュッと強く握った。
「……すまない」
「え?」
「先日は、私の為と思って言葉を尽くしてくれた君に、当たるような真似をした」
「そんな! 私こそ、ルイ様の気持ちを無視するようなことを……謝らなければいけないのは私の方です」
今日こんな事件がなければ、未だ私とルイ様は互いに気まずい感情を抱えていたかもしれない。でも、お互いの価値観が違うのは、別に悪いことではないのだと思う。
お互いの譲れない部分、譲歩できる部分、それは対話でしか生まれないのだから。
私はルイ様のことを知りたいし、ルイ様が笑って過ごせる日々を一緒に過ごしたい。だからこそ、ルイ様の想いを知って私の気持ちを伝えて、その上でルイ様の一番側にいる理解者になっていきたい。
それに、今日のことでよく分かった。私にとって母からの愛はいつだって包み込んでくれて、温かい守られた場所だ。
だけど、人によっては違う。
「私、ファウスト殿下のことで思ったのです。愛情とは……一歩間違えれば、呪縛にもなり得るのだと」
「呪縛?」
「ミネルヴァ様は、ファウスト殿下を王太子にする為に人生を捧げて来られました。……それがファウスト殿下の為だと思って。ですが、過度の期待をかけられ、幸せを決めつけられたファウスト殿下は、心を壊されてしまった。……まるで呪いですよね」
ファウスト殿下の様子は、私からは母親との共依存のように感じた。母親のいうままに生きてきて、それで失敗したら癇癪を起こす。大人になりきれていないファウスト殿下も、子供の人生そのものが自分のものだと思い込んで子離れできないミネルヴァ様も、どちらも互いの首を絞めるように窮屈に見える。
互いが互いの足枷になっても尚、鎖で繋がれている両者は離れることさえできない。自分がその環境に置かれたら息苦しいと思う。
ルイ様は私の言葉に、「親子の形とは難しいものだな」と深いため息を吐いた。
「確かに血の繋がりは愛情を生みやすいかもしれない。でも、それが子への本当の愛なのか、自分の付属物であり所有物だと考えての愛なのかは全く別のものだ。後者が本当に愛しているのは、子供でなく自分だけなのだからな。本当に愛しているのであれば、大切な相手を自分のエゴで思い通りにさせようとなんてしないはずだ」
「本当の愛ってなんでしょうね。転ばないように、舗装した道だけを歩かせて障害物を排除することも一種の愛かもしれません。でも、それでは一人で歩く術を取り上げているようなものです」
「ラシェルだったら、どうする?」
「そうですね。私の両親は、私の自由にさせてくれたと思います。ですが……幼い時、私が転んで大泣きした時に、母は「痛かったね」と抱き締めてくれました。その時は痛くても、母の温かさですぐに痛いのも飛んでいったように思います。だからこそ、怖さなどなくのびのびと自由に一人で歩いていけたのかもしれません」
今考えると、幼い頃の記憶はいつだって側で見守っていてくれた両親が、沢山の愛情をかけてくれた。成長してからは、近くにいなくても相談すればいつだって話を聞いてくれた。
それでも、決して意見を押し付けることなどなく、あなたはどうしたいのか、と私の考える機会を奪うことはしなかった。その選択が結果的に失敗したとしても、私のしたいことを尊重してくれた。
「私も、自分が親の立場であるのなら、両親のように関わりたいです」
「良い親御さんだな。だからきっと、ラシェルは誰かがつまずいた時に迷わず手を差し伸べる優しさがあるのだろうな。君がご両親から教えられた通りに」
ルイ様の穏やかな微笑みを眺めながら、私はまたひとつルイ様に教えられた気がした。
ルイ様はいつだって私を尊重してくれて、私が何をしたいのか、どう考えているのかを大事にしてくれる。それがルイ様の愛情だから。
それなのに、私は自分の物差しや経験からしかルイ様の幸せを見れていなかった。
「ルイ様がオーレリア様を拒むのは、幼いルイ様がそうしなければ生きて来れなかったからですよね。それなのに、私が勝手にルイ様の幸せを決めつけて、対話を望んでしまった。……ルイ様は、そんなことを望んでなどいないのに」
「ラシェル……」
「人は相手への好意と悪意で、同じ事実を別の解釈で見てしまうものです。……ルイ様は事実のみを冷静に判断しようとしていたのに、私は感情で動こうとしてしまいました。大きな間違いです」
「いや、そうではない。私だって同じだ。……今更、母上と話をしてあの頃本当は自分のことを愛していたと言われたとしても、何の感情も沸かないんだ。それを求めていた幼い私はもういないし、私に息子としての立場を求めて欲しくもない。何より、これ以上失望したくもない」
ルイ様の言葉は、母親に対してこれ以上失望したくないという程の経験を、これまで何度もしてきたと言っているようなもの。
「私が一番大事なのは、ルイ様の心です。ルイ様が望まないのであれば、無理にオーレリア様と関係を修復する必要はありません。……そんなことにも気が付かず、本当に申し訳ありません」
「ラシェル、良いんだ。私のことを想ってのことだろう? だったら、もう気に病まずに笑っていて欲しい」
眉を下げて気遣うように微笑むルイ様に、私はキュッと胸が掴まれたように、また更にルイ様のことが愛おしくて泣きそうになる。
「ルイ様はどこまで私を甘やかすのですか」
「どこまでも。それが私の愛し方だからね」
――あぁ、私が愛した人はどこまで素敵な人なんだろう。
月明かりに照らされたルイ様の笑みが、より一層光輝く気がした。ゆったりと進む馬車の揺れを感じながら、私はルイ様と過ごす時間、彼のことを知れば知るほど、何度も何度も彼のことが好きになるのだと実感した。
王宮に戻る道中の私とルイ様二人きりの穏やかな時間が、出来るならずっと続いて欲しい、と願ってしまった。
王宮に着くと、既にリカルド殿下が秘密裏に部屋に戻れるように手配してくれていたようで、ひっそりとした廊下をルイ様と共に歩いた。
先程までの重苦しい雰囲気もなくなり、談笑している中、ふと気になったことを聞いてみることにした。
「……ところで、ルイ様はいつから扉の前にいたのですか? 物音など全くしなかったので」
「そう? 扉の前まではテオドールの魔術で飛ばしてもらったんだ。で、部屋の前にいた騎士たちは大声を上げられたり応援を呼ばれるたら困るからね。ひっそりと近づいて、気絶させたんだ」
――なるほど。流石にあの状況でも、扉の前で大騒ぎになっていれば気がつく。でもテオドール様の魔術を使っていたのなら、納得がいく。
けれど、今の返答でもうひとつ疑問が浮かんだ。
「ちなみに、私とファウスト殿下の会話はどこからお聞きでしたか? 随分と恥ずかしいことを口にしていた気がして」
思い返すと、かなり強気に出ていた自覚はある。
ルイ様は、うーんと腕を組みながら考え込むと、頬を僅かに染めながら嬉しそうに目を細めた。
「ラシェルが……私以外に夫はいないと言っていたあたりから」
「えっ! そこからですか? ……そんな、恥ずかしい。でしたら、もっと早く入って来てくだされば良かったのに」
「すまない! 一刻を争うというのに、ラシェルの言葉に感動してしまって……舞い上がってしまったんだ」
頬を膨らませて拗ねる私に、ルイ様は慌てたルイ様が手を合わせて謝罪した。
こうやって軽口を言い合うのも、久しぶりの様な気がする。それを思ったのはるい様も同じだったようだ。
ルイ様と私は目を合わせて、一瞬の沈黙のあと、クスクスと笑い合った。





