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「あなたの目的は何ですか」
「私の目的? そんなのは決まっているだろう。王太子の座だ。オルタ国王の後継者だ! それ以外には何もない!」
急に苛立ったようにファウスト殿下は私に背を向けて、カツカツと足音をたてながら窓の側まで歩くと、すぐ側の壁を拳でガンッと勢いよく叩いた。
後ろ姿は僅かに震えており、全身から怒りが伝わってくるようだった。そして、振り返った彼の目は、赤く充血して頭に血が上っているのが遠目からも伝わる。
止まらない怒声に、体が勝手に震えてしまう。自分を落ち着けるようにと、両腕をギュッと抱える。
だが、尚もファウスト殿下は苛立ちがおさまらないように、何度も壁を叩いた。
「今、私がこんな状況に陥ったのも、全部母上がしくじったせいだ。あいつ……リカルドにまで馬鹿にされて。こんなの許せるはずがないだろう! 私の物なのに。この国の全ては私の為にあるのに!」
――この人は、国を何だと思っているの? 国も、ここに住む民も、自分のおもちゃだとでも思っているの?
まるで駄々を捏ねる幼子だ。こんな人が一国を治めることを考えるだけでゾッとする。
だが、ファウスト殿下は顎をしゃくりギリっと奥歯を噛み締めながら、眼光鋭くこちらに視線を向けた。
「だから、私は母上なんかに頼らず、一人で後継者の座を取りに行くことに決めた。……鍵はお前だったんだ」
「な、何を……」
「何のためにここに来たと尋ねたな。あんな母親でも、望みを叶えるためには、他人のものを奪っても良いという教えだけはまともだったな。母上が父上に使った手と同じことを、まさか自分がすることになるとは思ってもいなかったが」
ミネルヴァ様がオルタ国王に使った手? この人は一体何を言っているの。
先程までの怒号が落ち着いた事よりも、何を考えているのか分からない気味の悪さに、私は一刻も早くここを逃げ出さなければと、急ぎドアまで走る。
――早く、早くここから出ないと! 誰か!
焦りから足が絡れ、ドアノブにかけた手が滑る。それでも急いでドアノブをガチャガチャと動かすも、ドアはガンガンと音を立てるだけで開くことはない。
「開くはずないだろう? 言ったはずだ。この屋敷には私の言うことを聞く人間しかいない、と」
ファウスト殿下は、うっそりと怪しく笑いながら、ゆっくりと一歩一歩こちらに近付く。
私の口からヒッと引き攣る声が漏れる。
「ここに来た目的を聞きたいと言っていたな。良いだろう、教えてやる。……既成事実とやらを作りに来たんだ。お前と私の」
ファウスト殿下の今までの言動と下品な笑みから、そうではないかとは思っていたが、いざ本人の口から発言されると、より一層気分が悪くなる。今、鏡を見れば私の顔は真っ青になっていることだろう。
「お前は私の妻になればいい。闇の聖女を娶れば、今の状況も逆転する。全てが上手くいくんだ!」
「そ、そんなことが許されるはずがないでしょう!」
「どうかな? 幸い、私はオルタ国の第一王子、お前はデュトワ国の侯爵令嬢。身分は釣り合うし、何より同盟国だ。私に嫁ぐ以外の選択肢を潰すことなど造作もない」
――妻ですって? 私が? この人の? それは……つまり。
「……ルイ様以外に……嫁ぐ……ですって?」
意図せずポツリと呟いた声は、沈黙が生まれた瞬間よく響いた。
――自分のエゴを通すために、私の全てを奪うと?
「……何を……言っているの?」
ファウスト殿下の勝手な物言いに、サーッと頭から血が引くのを感じた。人は怒りが極限を超えると、冷静になるというのはどうやら本当のことらしい。
ファウスト殿下の怒鳴り声に震えていた私は、もういない。
「……何だ、その目は」
一切の表情を消した私に、ファウスト殿下は眉を顰めながら舌打ちをした。そして、大股でこちらまで近付き、真っ赤な顔で私を見下ろした。
だが、私もここまで言われたままで黙っているつもりはない。何より、不思議なほどに頭だけでなく、心の奥底までもが冷えている。
「おい、聞いているのか!」
私の態度に、ファウスト殿下の手が私の腕に伸びる。だが、それをパシンッと跳ね除ける。
「なっ!」
「私はあなたに従わない」
「お前、生意気だな。……私が誰か分かっているのか」
「あなたこそ、私が誰なのかご存知ないようですね。なぜあなたと関係のない私が、あなたの思うように動くと思っているのですか? ましてや、妻になどなるはずがないでしょう。私は……デュトワ国王太子、ルイ・デュトワ様の婚約者なのですから」
「……お前!」
「私の夫になるのは、ルイ様以外あり得ないのです」
言い返されるなど思ってもいなかったのか、ファウスト殿下は言葉を失って瞠目した。
「何だと?」
「あら、理解できなかったのでしたら、何度でも言いましょうか。何があろうとも、私が選ぶのはたった一人だけです」
「自分が選ぶ立場だと思っているのか? お前たちのような無能な奴らは、私が価値を与えてこそ存在が許されるんだ」
「……あなたこそ、生まれた身分だけで選ばれた人間だと思っているのであれば大間違いです。今のあなたは次期後継者を争う立場からも、時期降ろされるでしょう。……王としての器は、リカルド殿下の足元にも及ばない」
「何だと?」
私の言葉に、ファウスト殿下の目尻がピクリと動き、わなわなと身を震わせた。
「言うことを聞かないのならば……ここで死ぬか?」
額の血管を浮かび上がらせながら、ヒクッと口を歪めたファウスト殿下は、腰元の剣を一切の躊躇なく抜くと、私の喉スレスレに突き刺した。





