2-65
あれからルイ様とは顔を合わす機会がなかった。
あんなにも拒絶を露わにしたルイ様を見たことがなかったから、気まずさがないと言えば嘘になる。だけど、一番の理由は今は私がルイ様を理解する時間が必要だったから。
自分のことを欠陥品だと言ったルイ様は、きっと私にはまだ見せていない姿がある。
そんなことはない、と否定することは簡単にできる。だけど、そうではなくルイ様が綺麗に隠していた劣等感を、私は理解したいと思ったからだった。
それを理解できなければ、ルイ様はまた綺麗に仮面を被ってしまう気がした。
「……様、ラシェル様?」
「は、はい!」
「どうかなさいました? 先程からぼんやりとされているようですが」
「も、申し訳ありません」
隣に座るご令嬢から声を掛けられ、ハッと顔を上げる。
――招かれた舞踏会の途中だというのに、また考え事をしていた。しっかりしないといけないのに。
何より、今日ここにいるのはルイ様から託された目的を果たす為だったのだから。
というのも、私はオルタ国の夫人や令嬢からオルタ国王とオーレリア様のことを探る為にこういった社交の場に積極的に出ている。
闇の聖女という肩書きはこういう時にとても便利だ。なぜなら、オルタ国では闇の精霊王が信仰の対象だ。その精霊王から加護を受けた私と関わりを持ちたいという人たちは数多く、オルタ国の有力貴族からのお茶会や舞踏会など様々なお誘いがある。
女性たちの噂話は、情報収集という観点からとても重要なものだ。煌びやかなシャンデリアの下、綺麗に着飾ったドレスで美しい微笑みを浮かべた裏で、退屈を紛らわす術を探しているものだから。スキャンダルや人の不幸、それらは他人事であれば、何よりも楽しいスパイスになり得る。
今日もまた、オルタ国の5大公爵家の一つの舞踏会に招かれて参加していた。何度か社交界に顔を出して顔馴染みになった令嬢たちと会話をしていたが、今日はもう目ぼしい情報は得られそうにない。
――もう少し時間を潰せば、後からリカルド殿下とバンクス夫人が合流するはず。そうしたら、一緒に帰ることにしましょう。
「ラシェル様はご婚約者のお加減も心配でしょうし、慣れない土地では気が休まらないことも多いでしょう?」
「そんなことはありません。皆様と親しくしていただいて、本当に有難いことですから。それに、殿下の加減も回復していっておりますので」
「そうですか。それなら安心しました。もし宜しければ、2階に休憩室があるので、少し休んできてくださいね」
「それでは、お言葉に甘えて」
今日の主催者のご令嬢が、友好的な笑みを浮かべてそう提案してくれた。彼女とはここ最近、よく顔を合わせる。屋敷も荘厳で代々近衛騎士を務める家柄だそうだが、本人は流行に敏感で同年代の女性たちのリーダー格のようだった。
正直、最近は考えることも多く、あまり寝つきが良くないのが本音だ。そのため、ご厚意に甘えることにした。
令嬢が侍女を呼ぶと、侍女が休憩室まで案内してくれた。部屋の前には警備の騎士が数人立っていた。侍女に、リカルド殿下かバンクス夫人が到着し次第、伝えてくれるよう言付けた。
部屋に入った私は、ソファーに腰掛けると「ふうっ」と小さく息を吐く。
社交の場にいくら慣れているとはいえ、連日のお茶会や舞踏会に疲れが溜まっていたようだ。軽く目を閉じるだけ、と思いながら目を瞑ると、ウトウトとしてしまった。そして、私はいつの間にかそのまま眠りについてしまった。
どれぐらい経ったのか、カタッと物音がした気がして、ハッと目を覚ます。
――まずい……眠ってしまっていたみたい。どれぐらい経ったのかしら。
もしバンクス夫人たちが既に到着しているようだったら、待たせてしまうことになる。慌てて時計を探そうと視線を動かす。
「おや、お目覚めですか?」
その声に隣へと顔を向けると、そこには私の顔を覗き込み楽しそうに笑うファウスト殿下の顔があった。
「な、なぜ……」
微睡んでいた脳は、一瞬のうちに覚醒し、冷静に状況を確認しようと辺りを見渡す。
控室のチェストの上に置かれた時計を見ると、私がこの部屋に入ってから十五分しか経っていないようだ。
目の前のファウスト殿下は、一人がけのソファーで足を組みながら、テーブルに置かれたブランデーの瓶をロックグラスに注いだ。
トクトクとブランデーが注がれて、氷がカランと鳴る音が耳に響いた。
「……ファウスト殿下、どうしてこちらに?」
今にもこの部屋を飛び出して、助けを求めに走りたいのをグッと堪え、今自分がどうすることが最善なのかと必死に頭を働かせる。
もし目の前にいるのが第二王子のリカルド殿下や第三王子のイサーク殿下であれば、こんなにも警戒する必要はない。
けれど、相手はファウスト殿下だ。
数回しか会ったことはない。それでも、双子のリカルド殿下と似た容姿をしていながら、顔から滲み出る傲慢さと卑屈さが苦手だ。
「ここは、私の従兄弟の家だからな。私が舞踏会に来ていても不思議はないだろう?」
「……部屋の前には、騎士がいたと思いますが」
「それこそおかしなことだな。私はこの国の第一王子だ。この国で私が入れない場所などないに等しい」
嘲笑の色を浮かべながら、グラスを煽るファウスト殿下は、悠然とした態度を崩さない。
――まるで初めから準備されていたかのような状況……。疲れていたからぼうっとしていたと思っていたけど、もしかすると舞踏会で渡されたグラスに薬でも盛られていた?
となると、この部屋に私を案内した令嬢も、ファウスト殿下の指示だったのかもしれない。
「……ご用件は何でしょうか」
「君は意外とせっかちなようだな」
ファウスト殿下は、空のロックグラスが並ぶトレーから一つグラスを手に取ると、ガラスのアイスペールから水晶のような透明感ある丸氷を入れ、更にそのグラスにブランデーを注いだ。
「一緒に一杯どうかな?」
「結構です」
グラスを私の前へと差し出すファウスト殿下を、キッと睨みつける。
「嫌われたものだな。……君の婚約者はリカルドを推したいそうだから、私は敵ということかな」
そうだ……今日の舞踏会は元々、リカルド殿下とバンクス夫人と共に来るはずだった。それが出発の直前に、問題が起きたからと急遽私が一人で先に来ることになった。
それも仕組まれていたのだとすれば、間違いなくこの状況はまずい。何とかして、助けを求めなければならない。
だとして、リカルド殿下がいつ到着するのかも分からないし、言付けをした侍女がファウスト殿下の手の者だとしたら、助けを待っているだけでは、一向に来ない可能性が高い。
「今すぐここから出て行ってください。……いえ、良いです。私が出て行きますから」
「それは困るな。私は君と親しくしたいと思っているのだから」
立ち上がって近付いてきたファウスト殿下は、私の髪を一房掬うと唇を寄せた。その瞬間、恐怖とも嫌悪感とも呼べる悪寒が全身を襲った。
「やめてください! 声をあげますよ」
恐怖心に手をパシンと跳ね除けると、ファウスト殿下は可笑しそうに腹を抱えて笑い声を上げた。
「それは良い! ぜひそうしてくれ。休憩室で男女が一緒にいるのを、この屋敷にいる参加者にしっかりと見せるのは良い手だな。……まるで私の母のような狡猾さだ」
何がそんなにも面白いのか、ファウスト殿下は一頻り笑うと、私の腕を掴んで耳元で脅すように囁いた。
「そうすればどうなるか分かるか? 傷物と噂されれば君はルイ王太子殿下の婚約者ではいられなくなるだろうな。……だが、私はそんなあなたでも拾って差し上げよう」
はなからこの展開を期待していたのだろう。
蛇のような目をしたファウスト殿下は、嫌らしくニヤリと口角を上げた。