2-63
沈黙に耐えられなくなった私は、どうにか出来ないかと視線を彷徨わせた。
「ル、ルイ様は……生まれた時からあのように……麗しかったのですか?」
――えっ、私……何を。
そんな空気でもなかったのに焦って変なことを口走ってしまったかもしれない。話題を変えるにしても、もっと自然な流れがあっただろう、と口にしてから冷や汗を掻く。
案の定、先程まで取り乱していたオーレリア様も、隣で慰めていたアルベリク殿下も、ポカンとした表情でこちらを見た。
――き、気まずい……。
「え、えぇ。そうね……とても愛らしい子だったと思うわ」
戸惑いながらも、僅かに頬を和らげたオーレリア様は、ふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべた。その表情は、どこかルイ様に似ていて、やはり親子なのだと実感する。
「微笑んだお顔はオーレリア様にとても似て、とても美しいですね」
「ルイが、私に似てる?」
「それに、とても頼もしく優しい方です。あの、私……ルイ様の婚約者となれて、本当に本当に幸せです!」
誰もそこまで聞いてもいないのに、空気が少し緩んだことに安堵した私は、何の宣言をしているのだろうか、と自分でも謎に思う。
そんな私の様子に、アルベリク殿下はおかしそうに噴き出した。
「ラシェル嬢……急に惚気ですか?」
「い、いえ……こんなことを言うつもりはなかったのですが」
「兄上とラシェル嬢が仲睦まじいのは、私もよく存じておりますから。いくらでも惚気てください」
アルベリク殿下の言葉に、頬が熱くなるのを感じる。恥ずかしさで縮こまっていると、「まぁ、兄上の素晴らしさは、長年側で見てきた私もよく知ってますから」と、アルベリク殿下が笑った。
「……あなたは本当にルイのことを想ってくれているのね」
ポツリと呟いたオーレリア様の声に、目線を向けると、その表情に、驚きに目を見開いた。
なぜなら、あまりに嬉しそうに優しいお顔をしていたから。
「ありがとう。ルイを大事に想ってくれて」
「そ、そんな……お礼を言われるような特別なことなど何一つありません。私は、いつもルイ様に助けていただいていますので」
「……あの子に、大事な人ができた。それだけで、母としては嬉しいものなの。……とはいえ、ルイの母親として、私はルイに何もしてあげられなかったのだけど」
「立ち入った話であれば申し訳ありません。ですが、今の私の目には、オーレリア様はルイ様のことをとても大切に思っているように見えます。それなのに、なぜ……」
――ルイ様とオーレリア様の溝はここまで深く感じるのだろう。
「全部、私が悪いのよ。私が弱かったばかりに、ルイを大事にできなかったの」
オーレリア様は、自嘲の笑みを浮かべながら、ぼんやりと遠くを眺めた。そして、大きく深呼吸をした後、ゆっくりと口を開いた。
「私は、ルイを抱きしめたことがないの。ただの一度も」
「えっ……」
思わず口から漏れてしまった驚きの声に、オーレリア様は咎めることもなく、悲しそうに微笑んだ。
「ルイが生まれてすぐ抱くこともなく、取り上げられてしまったの。デュトワ国の王太子は、国一番の教育係たちが育てるからと。お腹にいた時からずっと生まれてくるのを楽しみにしていて、この子に沢山愛情をかけよう。何があっても守ってあげよう……そう思っていたのにね」
――ルイ様と陛下の関係性が、仲の良い親子関係とはいえないのは知っていた。その理由の一つが、この国の王太子という立場に生まれたことだということも。
だけど、生まれてすぐに母の手に抱かれることなくひき離されていただなんて。自分がオーレリア様の立場だとしたら、耐えられない程の悲しみだろう。
「ルイと会える僅かな時間は大切にしようと思っていたけど、私よりも乳母に懐いてね。乳母のスカートの影に隠れてジッとこっちを見るルイの視線に耐えられなくて、逃げ出してしまったこともあったわ」
オーレリア様の気持ちも痛いほどよく分かる。けれど、自分の顔を見て去り行く母の背を見ながら、幼いルイ様が何を思ったのか。
それを考えると、胸が締め付けられるようで苦しい。
「兄上の乳母……つまりは、シリルの母も何とか間を取り持とうとしてくれたそうですが、やはり離宮に住む私たちと兄上では、育つ環境も違うので、なかなか難しかったのでしょう。兄上は、母と仲良く過ごす私たちの姿も見ていたでしょうし、疎外感が余計にそうさせたのかもしれません」
以前、ルイ様からアルベリク殿下との関係性の話で、母からの愛を受ける弟妹と違い、自分は愛されることはなかった。嫉妬心からアルベリク殿下が慕ってくれたのを受け入れられなかった、と言っていた。
「ルイが風邪をひいた時も、見舞いの許可が出なかったの。ちょうどその頃、下の子を身籠っていたから、風邪が移らないようにという配慮ね。それでも、部屋で苦しんでいる我が子の汗を拭うことも水を飲ませることも出来ず、早く治りますようにと、扉の前で祈るしかなかった」
「風邪をひいた時……そんな……」
確か、熱を出してもオーレリア様は見舞いにも来なかった、と。ルイ様がオーレリア様への不信感を持つきっかけでもあった出来事だと思う。
だけど、オーレリア様の言葉が本当であったのなら、実際には見舞いに行こうとしていた。
もし、あの時王妃様がルイ様が高熱で苦しむ中で、顔を見に行っていたのなら。手を握ってあげていたのなら。お二人の関係性はもしかしたら違っていた可能性もあったのではないか。
「いつの頃か、私に向けるルイの顔が作り笑いになってたの。あの時は、正直心が折れてしまったわ。……徐々に陛下に似てくるルイを前にすると、緊張でうまく喋れなくなって……母親なのに、おかしいわよね」
「オーレリア様は、陛下のことが……」
「……昔から、少し苦手意識はあるわ。私はこんな人間だから、彼のように自信に満ち溢れていて、他を圧倒する存在感は、とても緊張してしまうの」
「そうなのですね」
「この年になっても、変わらずこの調子で……遠の昔に陛下からも呆れ果てられて、今や一切期待もされていないわ」
冷徹なオーラを放つ陛下に謁見する際、私もいつだって緊張感がある。
オーレリア様は、歳若く一回り年上の陛下に嫁がれた。だとしたら、初対面の印象が濃く残っているのも分かる気がする。
そして、ルイ様は陛下とは違い柔和な印象を受ける。だが、陛下やオーレリア様を語る時の冷たい表情は、ルイ様の印象を一変させる。もちろん、それもまたルイ様の一面なのだろう。
どんな時でも微笑みを浮かべることが、ルイ様の外交術のひとつだ。それが剥がれるほどに、ルイ様と家族間の溝は深いということだ。
「でもね。いつからかしら……ラシェルさんが魔力を失くして、ルイが頻繁に侯爵家に顔を出していたでしょう? あの頃から、ルイの表情が明るくなって、子供の頃にも見たことがなかったような屈託のない笑顔をする時があって……本当に驚いたわ」
オーレリア様は、先程までの沈んだ表情から一変して瞳を輝かして頬を綻ばせた。そして、私へと視線を向けた。
真っ直ぐな視線に、ドキッとしながら姿勢を正す私に、オーレリア様は頭を下げた。
「あなたに感謝しているの。ルイの側にいてくれてありがとう」
「オーレリア様、そんな、頭を上げてください」
「いいえ、まだ謝らなくてはいけないことがあるの。……私は周囲の言葉を間に受けて、あなたのことを誤解していた時があったわ。本当にごめんなさい」
1周目の時、オーレリア様は私を避けていたように思う。そして、ルイ様やオーレリア様のことを慕う、カトリーナ様を可愛がっていた。
今世では、婚約者に選ばれて1年経たずに魔力を失った。つまり私とオーレリア様の関係が悪化する前に戻ってきた。だからこそ、オーレリア様が私を見限り、冷たく当たられるような出来事もなく、私への感情が変化したのかもしれない。
それでも、今の状況を作ったのは私だけではない。
「そんな……。私は、ルイ様がいたから変われたのです。感謝を言うのは私の方です」
私の返答に、オーレリア様は笑みを深めた。そして、席を立ち私の元まで歩み寄ると、私の手を握った。
「今回ここに来たのは、ルイが心配だったのが一番だった。でも何より、もうあの子から目を逸らすのをやめたかったの。もう遅いかもしれないけど」
潤んだ瞳で私を真っ直ぐ見つめるオーレリア様の瞳は、ルイ様の眼差しによく似ていて、思わず吸い込まれるように見入ってしまった。
♢
応接間を出てから、頭を整理することができず無言になっていた私に、隣を歩くアルベリク殿下は気遣う目線を向けた。
「驚きました?」
「え、えぇ。オーレリア様があのように感情を乱されるところを……その、初めて見たので」
「まぁ、珍しい姿ではありますね。……それだけ、今回のことは母にとって大きな出来事だったのでしょう」
アルベリク殿下は、困ったように微笑んだ。
――王妃様にとって、大きな出来事、か。
ルイ様から聞くオーレリア様とは違い、私の目から見る今日のオーレリア様の姿は、ルイ様への愛情を隠すことがなかった。愛情深い母親という印象を持つ。
ボタンの掛け違いさえなければ、こんなにも拗れることはなかったのではないかと思わざるを得ない。
「ルイ様から聞くオーレリア様の姿も、私が知るオーレリア様の姿も、今の様子も。どれがオーレリア様の本来の姿なのでしょうか」
「……兄上が両親に向ける感情は私も知っているつもりです。もちろん母が兄上に後悔や負い目を感じていることも。だからこそ、私はどちらの肩を持つこともしません。兄が望まない限り、母との仲を近づけようとも思いません」
アルベリク殿下のあまりにキッパリとした物言いに、私は瞠目した。一番複雑な心境を持つのは、アルベリク殿下ではないかと考えていたのだから。
アルベリク殿下にとっては、オーレリア様もルイ様もどちらもとても大切なはず。2人が仲違いをしていて心を痛めているのではないかと思っていた。
「……冷たいと思いますか?」
「いえ、ですが……本当にこのままで良いのでしょうか」
「彼らは互いに互いを知らないのです。ある意味、父と兄は似たもの同士ですから、単純ですよね。でも、母と兄はあまりに違い過ぎる。国への想いも、家族観も、幸せの基準も」
ルイ様と陛下は、やり方は違えど、どちらも民を第一に想い、国の安寧を願う。だが、オーレリア様とルイ様は、二人をよく知るアルベリク殿下からすれば、水と油のように見えるのだろう。
「オーレリア様は、本当にルイ様の仰る通り……ヒギンズ前侯爵と組んで、ご自分やオルタ国の権力を強めようとしたのでしょうか」
「どうでしょうね。私から見る母は、本当に普通の人なんです。父である陛下に萎縮して、王女として生まれたにも関わらず貴族社会に馴染めず、打たれ弱いから引きこもる。それでも夢見がちで、仲の良い家族に憧れている。……きっと、あの人は王女なんかに生まれない方が幸せに暮らせたのでしょう」
――王女になんかに生まれない方が、か……。
そういえば、かつて私がルイ様との婚約を解消しなければならないと思っていた時、ルイ様は私の自由や未来を想ってくれていた。
私が望まない場所に押し留めようとすることに、何度も何度も悩まれていたようだった。
「自由などない、窮屈な椅子。ルイ様は、王妃という立場をそうお思いになっているのでしょうね。オーレリア様の姿を見て」
私は、ルイ様とならどんな場所であっても、どんな環境であっても、一緒に生きて行きたいと願っているのに。