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ノックの音に返事をすると、ドアから見知った人物が顔を覗かせた。私が慌てて席を立ち駆け寄ると、彼女は嬉しそうに頬を綻ばせた。
「お嬢様!」
「サラ、こんなに遠いところまで来てくれてありがとう」
私の一番信頼する侍女であるサラは、今回のオルタ国には同行していない。侯爵家の屋敷では、サラが常に一緒にいることが当たり前だった。だからこそ、久しぶりの再会は心が浮き立ち、サラの顔を見るだけでほっとした気持ちになる。
「でも、お父様はサラを隣国まで派遣するなんて、何を考えているのかしら……。道中何事もなくて本当に良かったわ」
「いえ、旦那様ではなく、私が希望したことです。オルタ国滞在が長期になることについて、旦那様が王太子殿下からの手紙を受け取り、お嬢様のために調査団と共に数人派遣すると決めた時、私が真っ先に立候補したのです」
サラは私の手を両手で包み込むように握りながら、優しく微笑んだ。
「お嬢様が安心して過ごせるようにお側でお世話させてください」
「サラ……本当にありがとう。あなたが側にいてくれて心強いわ。でも、知り合いもいない中でここまで心細かったでしょう?」
「大丈夫です! 調査団の中には、シリル様もおりましたし、女性も数人おりました。それに王妃様の侍女の方々とも親しくさせていただきましたから」
「そう。それなら良かったわ」
サラがこの部屋に入室する少し前に、シリルが挨拶をしに来た。シリルは、ルイ様が国外で公務を行う際はルイ様の代わりにデュトワ国に残ることが多い。
それでも、ルイ様がシリルを呼んだということは、それだけ王妃様が来ることを危険視しているのだと思う。
この部屋から動くことができないルイ様にとって、シリルは誰よりも信頼がおける相手だ。そして、ルイ様の代わりに自分の手足になって動く手段でもある。
私とサラが再会を喜んでいると、後ろの扉が開き、そこからルイ様とシリルが出て来た。
「サラ、大変な役目を引き受けてくれてありがとう」
「王太子殿下……ご無事で何よりです」
頭を下げて礼をした後、後ろに下がろうとするサラをルイ様は手で制した。
そんな二人のやり取りを見ながら、私は先程のルイ様の言葉に首を傾げる。
「大変な役目とは?」
「実は、マルセル侯爵に信頼のおける使用人を一人、ラシェルの侍女として調査団に付けて欲しいとお願いしていたんだ。マルセル侯爵が愛娘を心配して調査団と一緒に、マルセル家の騎士とラシェルの侍女を一緒に派遣することは、とても自然で……何というか……あり得そうだろう?」
お父様の過保護さを知っているルイ様は、気まずそうに苦笑しながら言葉を濁す。だが、それでも十分に伝わるニュアンスに、私もおずおずと頷く。
「それは……確かにお父様ならば、今回のルイ様の事故が本当に事故だったのかを疑って、我が家の騎士を送ってきそうだとは思っていましたが……」
「……流石の私もまさか、マルセル侯爵が本当にラシェルの侍女であるサラをその役目に任命するとは思ってもいなかった。だが、よく考えてみるとサラがラシェルの信頼する侍女だということは、ラシェルと親しい者たちは皆知っている。だからこそ、誰よりも適任なのだろうな」
「適任? 一体何の……まず、なぜ私の侍女を調査団に付ける必要があったのですか?」
私はサラの肩に両手を置きながら、ルイ様へと疑問を投げかけた。だが、それにいち早く反応したのはサラだった。
「王太子殿下からの指示は、デュトワ国からオルタ国への道中、王妃様のご様子を監視し報告することです」
「王妃様の監視……」
サラの顔を覗き込みながら唖然としながら呟く私に、サラは緊張した面持ちで頷いた。
「それで……王妃様は……」
「ご報告できるような特別なことは何も」
シュンと沈んだ面持ちで首を横に振るサラだったが、ルイ様はその答えは想定内のようだった。
「それならそれで構わない」
そう答えたルイ様は、考え込むように鋭い視線を右下に向けながら顎に手を当てた。
「怪しい動きがなければ、それはそれでいい。だが、母上が何故わざわざオルタ国まで赴くのか。理由が分からないことが一番気持ち悪いな。道中、母上の様子はどうだった?」
「王妃様と顔を合わす機会はそこまで多くありませんでした。王妃様は必ず一人の侍女を伴い、その方が王妃様の身辺をお世話しているようで、馬車も必ずその方も一緒で……」
「あぁ、ジョアンナ・バンクス夫人だな。彼女は、母上の輿入れの時オルタ国から連れて来た侍女だ。ラシェルは顔を知っているだろう?」
ルイ様の言葉に、一人の女性の姿が頭に浮かぶ。
「えぇ、王妃様とのお茶会や王妃教育で約束があった日、王妃様の体調が優れない日はバンクス夫人が代わりに相手をしてくださっているので。とても優雅で優しい方です。確か……ご主人を早くに亡くされたとか」
「そうだ。未亡人になったバンクス夫人は、婚家とも実家とも折り合いが悪かったらしい。母上は元々幼馴染のバンクス夫人を姉のように慕っていたらしく、侍女としてデュトワ国に来ることになったそうだ。……それだけ信頼のおける相手だ。きっと私たちが知らない情報を沢山持っているだろうな」
「では……」
ルイ様の言葉にピンと来て顔を上げると、ルイ様はそうだと言うように頷いた。
「あぁ。母上に接触するよりも、バンクス夫人から今回のオルタ国訪問の事情について、情報を引き出す方が良いのかもしれない」
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